感情論で語る劇場アニメ「ルックバック」

藤本タツキの読み切り「ルックバック」が公開されてから、3年がたった。あの頃の僕は大学生で、一丁前にメンヘラをこじらせて、布団の中と洗面所を行ったり来たりする生活をしていた。その中で出会ったそれに対して、初めに出た感想は
「全てを創作に捧げられない偽物の皆様」とか「大して捜索に大して熱を込めてないのに上手い人に嫉妬してる皆さん生きてる?」
と言ったふうな、嘲笑混じりのものだった。当時めちゃくちゃフォロワーに怒られた記憶がある。あの作品を読んでなんでそういうものが出てくる。とかなり強めの語調で怒られた。そりゃあそうだとしか言えない。その本心と言えば、本気でやっている人間に大して張り合えるタマかよ本気でやるってのはこういうことなんだよ!という、作品の威を借りた八つ当たりである。それに、僕は僕で、ルックバックで言う暴行犯側であるという自覚があった。そんなものだ。今も感情の暴力性を駄文に書きなぐって、創作らしいことをしてお茶を濁そうとしている。そういうわけで、感情は今でも大して代わっていなくて、社会人になった僕は小さなデザイン事務所で、死んだ目をしながら働いているというわけで。

あれから何か変わったのか。何かを信じてこれたのか。そういう質問を問いながら、自分は映画館に向かっている。
3年という月日は人を変えるには十分だと、昔なにかのcmで見た気がする。アイドルだったか、なんだったかのやつだ。その中で、何も変わらなく薄汚さと歳だけを増やした人間の僕が、映画という形で、もう一度ルックバックを、振り返るのである。

壮大な虚飾と装飾

 ルックバック劇場アニメ版。一言で言えば、壮大な虚飾と装飾である。美しい演出とアニメーション、壮大な音楽が合わさってエモーショナルという塊をぶつけてくる。悪い意味で。

 しかし、もしかしたら劇場が悪いのか(もしくは僕の耳か)もしれないという感覚もある。言ってしまえば、劇伴の音が馬鹿デカかった。音質が悪い……と言っていいだろうか。前の方の席に座ったのが悪いのだろうか。それにしても、音が悪いと映画館で思ったのは初めてだった。そういう作品に関係ない……?マイナス点がひとつ。そして、自分が上手くこの劇場作品に乗れなかったのは、過多なエモーショナルが案の定洒落臭さかったからだ。それは、予告編の時点で予期されていたことでノットフォーミーなのかもしれないと警戒していた。しかし、自分はルックバックというものを信仰しているから、観に行った。見えてる地雷を踏みに行ったので、文句を言う筋合いは無いと言われればそうなのだけれど……。

 というか、ラスト周りペラ1枚なのかよ。という感想もある。そこ大トロやないんかい!という気持ち。無論表情の演技とか動いてる感のある物はすごく良かったのだけれど、戦場のメリークリスマスで思った感情と同じで、エモいところにエモそうな音楽をデカい音で(しかも音が悪い)音で鳴らしました!泣いてください!みたいなそういう圧があって、もちろんひねている僕の感想の方が間違っているのはそうとしか言えないけれど、それがやっぱ嫌だな。という感情が強くある。

しかしそれは藤本タツキの作風的に仕方ないのかもしれないなーという感触もあって。映画的な漫画なのもあり、読み手はBGMや演出を脳内で補完してたり……するのかな?と思うから、それぞれの中にあるそれが全員にハマるわけが無いよねというアタマり前の事実に、書きながら気づいたりするわけで。

まあそんな感じです。ノットフォーミーでした。原作だけで満足です。

追記、この不満は端的に言うと、ガツンと傷つけて欲しいなーと思ってたらなんか思った通りのが来た。ガッカリ。です。そんな感じ。

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