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私はこんな人③

少女期②

私はこんな人②の続きです。

今日の内容は少し人によっては不愉快に感じる事が

あるかもしれません。


高校は私立に進みました。

少し遠方の学校だったので、昔の私を誰も知りません。

一番じゃないと嫌と言う自分は変わっておらず

入学から卒業まで成績はトップを独走しました。

※自分の偏差値から1ランク下げたためもあります。


最初の事件は入学1週間以内の時でした。

私はこんな人①でも書きましたが、

2回目の命の危険にさらされたのは

なんと、日中の学校内だったのです。

当時新校舎建設中だったため

中庭を通ってトイレに行かなければいけなかったのですが、

反対側からやってきた大柄な男性を

先生だと勘違いして、

こんにちは!

と挨拶してすれ違ったのです。

すれ違った直後に

背後からひょいっと抱えられ

旧校舎から出ようとしたのです。

最初は教室に行くまでのコミュニケーションかな?

などと思ったので抵抗しなかったのですが、

なんか様子がおかしい・・・

慌てて抵抗した所に

なかなか戻らないクラスメイトが探しに来てくれて

大騒ぎになったところで

大柄な男性は御用となったのです。

そして、この時一番に私を探して助けてくれた男の子が

私の初めての彼氏になりました。


その後は青春を満喫した高校生活を送っていました。

夏休みはコギャルをやったり、

ヤマンバになったり。

今その当時の写真を見ても

思いっきり全力で生きていたんだなぁと思います。


私の環境ががらりと変わったのは

高校二年の夏休み。

一緒に遊ぶ友達が変わった時でした。

彼女は私から見たらすごく大人の女性で

同じ年とは思えませんでした。

彼女はこっそり教えてくれたのです。

自分はテレクラで相手を探して援交をしていると。


ある日彼女が私を頼ってきたのです。

「私のマネージャーやってくれない?」

彼女も私と同じ母子家庭でお金が必要だったのです。

ただ、彼女はてんかんを持っており

いつ発作が起きるかわからないからと

私はいつも隣にいました。



そして猿岩石がヒッチハイクをしていたので

私たちもまねて、夏休みは東京で過ごそう!

という事で、田舎から東京まで約200㎞

ヒッチハイクをやり遂げたのです。

途中3回車を乗り換えたのですが、

最初の車は男性二人で、東京まで行ってくれるという約束。

だったのですが、

後部座席でうとうとしていると

声が聞こえたのです。

「おい、こいつらどうする?」

あ・・・これはやばいなと感じた私は

運転手さんに頼んで

「トイレ行きたいのでどこかコンビニ寄ってもらえますか?」

コンビニついたら彼女を起こし、トイレに籠り

「あの人たちヤバいから、ここでお別れするよ!」

そして、女性店員さんに事情を話し

最寄りの駅まで送ってもらう事になりました。

男性達にはお礼を言って帰ってもらいました。

スタート地点から、東京まで逆へ80㎞離れていました。


女性店員さんに駅まで送ってもらうと

諦めずにまたヒッチハイクを(笑)

そして、その後2回の乗り換えで無事に渋谷にたどり着きました。

そこからの20日間は夢の東京生活。

日中はマネージャーの私がテレクラでお客さんを探し

彼女と三人でホテルに入って

彼女とお客さんが過ごしている間は

私はお風呂に入っていました。

中には

見てくれというリクエストのお客さんもいたので

その場で見ていたり。

夜は町で大学生にナンパされて

その日の宿探し。

特にK大生は質が悪く

お坊ちゃんを鼻にかけたり

家に行ったら複数の男女がいて乱交していたりと

見たことのない世界でした。

宿が見つからない日は

テレクラでお客さんを探して

そのまま宿泊で入って、事が済んだら男性には帰ってもらう。

一緒に泊まった時に

川の字で寝ていたのですが

真ん中の彼女を通り越して私の上に馬乗りになり

お前もやらせろよと

首を軽く絞めてきました。

気づいた彼女が、友達はそういう子じゃないからと

自分がするからと、真横で事が始まったり。


その時代というのもありましたが、

彼女は一日20万以上稼いでいました。

私はずっと彼女の傍を離れませんでした。

マネージャーだからと

私に稼ぎの半分を必ず渡してきました。

そして、移動はタクシーになり

高校生がシャネルで買い物したり

大人から見たらいい笑いものだったかもしれません。

そうして

私たちの夏休みは終わりました。


秋になると彼女は学校を退学して

自然と疎遠になっていきました。

退学理由は

援助交際がばれたからでした。



3年生になると

5月生まれの私は4月から教習所に通いました。

8月には免許が取れたので、

2時間かけて通っていた高校も車で通うようになりました。

そして、近所の割烹店でコンパニオンのバイトを始めました。

高校は行っていない。と嘘をつきました。

車通勤だったので、社長も疑いはしませんでした。

他のコンパニオンさんたちはみんな23歳以上だったので

18歳の私は引く手数多状態。

時給3500円でしたが

とにかくお金持ちのお客様が多く

チップが凄かったのを覚えています。

一番仲良くしてくれたおじいちゃんが

パチンコに付き合ってご飯を食べて10万円

と言うデートでした。

パチンコ代もおじいちゃん持ち。

勝った分も私にくれるという感じで

糖尿のおかげ?でそれ以上は誘われません。


その中で、一番の上客だというお客様が

私を気に入ってくださって

ゴルフにお供したり

お食事をしたり

その時ミラのぼろぼろ自動車に乗っていたので

GTRが欲しいというとポンと500万を出してくれたり。

そして、

いよいよホテルに誘われると

「ごめんなさい。私まだ高校生なので

お金は必ずお返ししますから、それはできません。」

そこで住所と本名を書いてお別れをすると

割烹店の社長から

寝ないのにそんなにお金もらっちゃいけない!

一回くらいやらせてあげなさい

と言われました。

流石に自分もやばいと感じたのか

高校生という事実は伝えなかったみたいです。

そのまま割烹店をフェードアウトしていきました。

その後筋の人から何回も電話がかかってきましたが

自分はまだ高校生で

就職したらお返ししますと。

もし今すぐというのであれば

車を売っていただいてもいいですか?

そんなやり取りをしているうちに


私は高校を卒業し

鞄一つで

東京へ上京するのでした。

女子高生


最後までお読みいただきありがとうございます。

今日の内容は

人によっては興味を持っていただけたり

不愉快に感じる方もいらっしゃったかと思います。

そんな感情も踏まえて

私の高校時代を記事にしてみました。











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