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私はこんな人①

幼少期

父は弁護士

母は美容師

母の実家も裕福で家には大きな池があって

一匹数百万の鯉が元気に泳いでました。

母は親に決められた人とお見合いをしていたのですが

父がその場に乗り込んで連れ去っていったという

駆け落ち婚だったのよと聞いています。

母は実家を捨て父と共に生きる覚悟をしたのです。


それから私が生まれ

両親の元厳しく育てられました。

食事は作ってくれた人に感謝して

米粒一粒残さない事。

後片付けが楽なようにきれいに食べる事。

他にも

今の私の礎となる事を叩き込まれました。

父の仕事柄

特に周りの人に〇〇先生のお嬢ちゃん

という事ですごくかわいがられて育ちました。


駆け落ちまでした二人ですが

情熱的な父は

他の女性に心底惚れたようで

母と私と別れる決意をしたのです。

その時の周囲の大人の態度の一変が

私の心に今でも鮮明に残っています。


ああ、人ってお金でこんなに変わるんだ


良くも悪くも幼いうちに体験できたと思いました。

それからは母と二人

風呂なしアパートで暮らし

鍵っ子で寂しい思いをした記憶があります。


後述にも出てきますが、人生で5回命の危険にさらされたうち

初めての体験は5歳。

母の職場の近くのパチンコ屋の駐車場で遊んでいる時

一人の男性に声を掛けられトイレに連れ込まれたのです。

記憶が定かではないのですが

確か、500円上げるから苺パンツおろしてほしい

と言っていたと思います。

その当時のパチンコ店は18歳未満の子供も

普通にホールに入れたので特に目立つこともなかったのですが、

いつも駐車場で遊んでいる私を知っていた

母と顔なじみの店員さんが

すぐに母と警察に連絡をしてくれたおかげで

特に危害がなく終わりました。

今思うと

私の幼少期の子育てって

地域とのコミュニケーションが密で

親が子を育てているのではなく

地域全体で子育てをしていたんだなと思います。


その後

心配した母は私に護身術として

空手を習わせてくれました。

その空手道場で初恋をした私は

その子に会うのが楽しみで一生懸命取り組んで

小学校五年で黒帯になるまで没頭していました。


ここまでお読みくださりありがとうございます。

続きはまた次回お楽しみに!

親子



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