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空洞電池「パンツ」突発的に与えられたお題でお互い二時間で書く 

 意中の相手がどのような人間であるのかどうかを確かめる効果的で即効性のある確認方法はおよそ二つある。一つ目は、何に対して”かっこいい”と思える人間かどうかを聞き出すことで、同時に二つ目の重要項目”ダサい”と思える事柄はどのように認識できているのかということも確認できるというものだ。例えば幼少期の思い出を一つだけでも話してもらえれば、僕にはその相手がどのような種類の人間かを即座に判別できる。
 鈴宮さんの場合はとてもシンプルで、昼飯にと訪れたトンカツ屋でヒレだかロースだかは忘れてしまったのだけど、とにかく運ばれてきた定食に箸を伸ばしている合間に聞いてもいないのにどんどん話し出してくれるのだからわかりやすい。
 
「小さい頃からさ、食事のマナーだけは徹底的に仕込まれて育ったんだよね。両親というよりおばあちゃんが厳しかったからなんだけど。箸の持ち方、背筋の伸ばし方、茶碗の持ち方。どれか一つでもおばあちゃんの逆鱗に触れると、それこそ手の甲をピシャリと叩かれるわけ。大人になった今では少しだけ感謝はしているんだけど、やっぱりほんの少しだけなんだよ。考えてみれば食事中に会話をすることをタブーとしてる家庭も世の中にはあってさ、みんなそれぞれが独自に気を付けているマナーにだけ敏感になっているだけの話なんだよね。でさ、ここからが本題なんだけど、目を向けないまま聞いてよね。左側二つ離れたテーブル席のカップルの男が、あれは恋人かな。うん、奥さんって感じじゃないから。その彼女に向かって男の方が女に向かって箸の持ち方がなっちゃいないって軽くお説教してた。彼女の方は萎縮しちゃって食事がもう美味しくは食べられないぐらいの表情でいてね、かわいそうだった。でも男の方はさ、白ごはんを咀嚼する時に口を開けっぱなしでクチャクチャ食べてるし左手もテーブルの下にだらしなく垂らしてるままなんだ。食事のマナーを口に出すことがマナー違反だって言うつもりはないんだけどさ、やっぱり見てて気持ちいいもんじゃない」

 鈴宮さんはそう言うと定食についているお味噌汁を手に取りズズッと音を立てて飲み干した後で、「花火大会どうする? 仕事休めるの」と首を傾けながら聞いてくるのだった。
 僕は僕で、わかんないけどたぶん行けるよ、などと話した。もし休みが取れなくても当日は定時で上がれば間に合うし、というようなことを続け様に言う。

 一人の女の子、というよりも一人の人間と向き合うときに気を付けていることが一つだけある。それはとても難しいことなのだけど、難しいと言いつつ気を付けてはいてもあまり実践はできていないことなのだけど、恋人という立ち位置の人間は例えば家族より親友より、もしくは友達よりペットの猫よりも深くその人と向き合ってしまうことが定められているのだから特段に難しいと評しても間違いはないのだと思うのだけど。あまり他人の感情に対して傾倒してはいけないということ。要は何が言いたいのかというと、人の感情に寄り添うことで自身の立ち位置がブレてしまうと。いいや違うな。具体的に例えるとなんだろう。そうだ、溺れてしまう人を助けるためには、しがみつける場所や人であることを意識し続けるためには他者の感情を小馬鹿にし、相手にしないまま受け入れるだけの土壌がなければいけないなどと考えているのだということ。
 この場合は鈴宮さんがそうだ。何事も考えに考え抜いて物事の白黒をはっきりさせて生きていただろう鈴宮さん。鈴宮さんに相対する僕は自分でも感じることなのだけどなんとも頼りない。白黒を分けて考えるよりは物事の結論を先延ばしにすることで余白を無理矢理作り続けている人間が僕で、ダサいのも、ダサいのがカッコイイと思っているのも僕だ。

 仕事終わりに駅前で待ち合わせをした花火大会の当日に、鈴宮さんは浴衣を着て現れてくれた。紺色の浴衣を着ていて、手持ちの金魚カバンも相まって如何にも涼しげでいる。
「どう?」と聞いてくるので、「めちゃくちゃ夏っぽい」と応えた。

「一人で着付けできないからお母さんに手伝ってもらったけど」と鈴宮さんはうちわで顔を仰ぎながら言うので、「なんか難しそうだもんね」と僕は労いの言葉を投げかける。

 ふふーん、とご満悦な様子の鈴宮さんは僕の顔をニヤついた表情で見つめた後にクルッと回ってからもう一度、「どう?」と聞いてきた。

「最高に似合ってる。夏っぽくて最高」と大袈裟に僕は言う。気分は洋画の吹き替え版俳優の言い回しのそれだ。

「ありがと」と微笑みながら鈴宮さんは続けて、「でもさ、見て欲しいところは浴衣だけじゃないよ。着付けの最中におばあちゃんがやってきてね。怒られちゃったから」

「なんで怒るの?」

「下着のラインが出るからパンツは脱ぎなさい! って、だから今あたし何も履いてない」

「それは、世界一最高のおばあちゃんだ。いつか会ったらハグをしたい、あなたのおかげで最高の夏になったって僕は言うはずだ」

「ありがとう、伝えないでおく」と鈴宮さんは言って、それから二人で川沿いの河川敷まで歩いた。途中目についた屋台で鈴宮さんは綿菓子を、僕はビールとイカ焼きを買って二人で頬張りながら、「暑いね、暑いね」などと話しながら歩いた。

 夕暮れから陽が落ちて空の色は紺碧の模様。自転車で息を切らせて走り抜けるTシャツ姿の学生や、小さな女の子をおぶさりながら目の前を歩く若い父親に、「お子さんの靴が脱げて落ちましたよ」などと、拾った靴を渡すと笑顔で礼を言ってくれるのだから今夜はとても良い気分だ。

「もうすぐ上がるね」と鈴宮さんが言って、数分もしない内に夜空には花火が打ち上げられて、僕らは目的地もまるでないまま歩き続けた足を止めて大空に咲く大輪の火花を眺める。

「ねえ、希望的な要望というか確認なんだけど」と鈴宮さんが言って、僕は鈴宮さんの横顔を見る。

「うん、綺麗だね」

「ほんとに、二人で見れてよかった」

 僕はぼんやりと花火を眺めている。横にいる鈴宮さんに何か楽しい話題を提供した方がいいのかどうかと逡巡しながら、花言葉はあるけど花火言葉なんてものはあるのかな、だとかくだらないことを考えている。

「ねえ」ともう一度鈴宮さんが言う。「希望的な要望というか確認なんだけど」

「うん、なに?」

「浴衣の着付けってできる?」

「できると思う? 僕だよ?」

 僕だよの一言はよくわかんないんけどさと、前置きを置きつつ鈴宮さんは続けて、「確認だよ。着付けができるんだったらこの後脱がしてもらってもいいかなんて考えてた」

「それ、僕もずっと考えてた。パンツのくだりを聞いた瞬間からずっとイライラしてる」と僕は言う。「Google先生に聞けば僕なら控えめに考えても一時間あればマスターできる。してみせる」

「単純だなあ」と鈴宮さんが笑うので、「すぐ行こう、花火が終わったらきっとホテルはすぐ満室になっちゃう」と僕も笑った。

 二人で手を繋ぎながら花火大会の人並みを掻き分けて歩く。左手の先には鈴宮さん、背後からは僕らの祝砲のための爆発音が鳴り響く。空が焦げる音を、一瞬で消えてしまう感動を愛おしく思えるのは何故だろう。
 
 不意に疑問に思ったことを精査しないまま投げかけてみる。汗ばんだ手の先にいる鈴宮さんに聞いてみた。「瞬間に永遠を感じることなんてある?」

「あるよ」と鈴宮さんは笑う。「来年も再来年もその先もまた、この花火を二人で見たいって気持ちだよ」と。

 そうか、なんだかわかった気がする。などと僕は思う。繋がれた手の先にいる鈴宮さんの浴衣、布の下にある汗ばんだ身体を想像しながら。

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お肉かお酒買いたいです