北朝鮮が主張する「領空侵犯」及び対応措置の信憑性について
亜覧澄視、小泉悠(@OKB1917)
はじめに
7月10日、朝鮮中央通信は、北朝鮮の国防省が「米軍の無人偵察機が領空侵犯した」という談話を出したことに続いて金与正朝鮮労働党副部長がその詳細と対応に関する談話をリリースしました。
一連の声明・談話では、「スクランブルで米軍機を追い払った」との対応のほか、1969年に米軍のEC121電子偵察機を撃墜した件や2003年に戦闘機がRC-135偵察機を直近まで接近した件を紹介して、撃墜を視野に入れた今後の対応が警告されています。
7月10日当日に撮影された衛星画像があるため、今回はそれを根拠に北朝鮮の声明の信憑性などを検証していきます。
結論
1 7月10日時点で日本海側にある北朝鮮の元山・葛麻飛行場に特異な動きは
ない(迎撃を担当するであろうMiG-29戦闘機が展開していない)
2 同日の長距離地対空ミサイル陣地にも動きがない
3 北朝鮮が発表した米軍機の位置を探知できるレーダーやミサイルが存在
しない可能性が高い
4 北朝鮮は公開情報から米軍機の位置を得た可能性がある
元山・葛麻飛行場の動きについて
この飛行場は北朝鮮が日本海側に持つ最大の飛行場であり、2003年3月には、ここから発進したとみられるMiG-29戦闘機とMiG-23戦闘機がRC-135を追尾したとみられています。
また、この飛行場は2014年頃に大規模な整備が行われた結果、北朝鮮で最も現代的で設備が整った軍民共用の飛行場となりました。
この飛行場では旧式のMiG-17戦闘機とMiG-21戦闘機が常駐していますが、米軍機が飛び回ったとされる期間はどうだったのでしょうか?
結論としては、上述のとおり特段大きな動きはありません。衛星画像を見ていきます。
若干の動きがあったのは上記画像の①と②程度です。順番にみていきましょう。
①は滑走路と駐機場の連絡通路のようなものですが、ここに戦闘機が駐機されています。この位置に駐機される事例は通常は見かけられないため、珍しいものと言えます。
②ですが、(シェルター)ハンガー手前に戦闘機が駐機されています。このような光景は以前から見られるので特段珍しいものではありません。
しかし、MiG-17と21がこのように混在して配置されたことが確認されたのは異例です。また、ハンガーと機体直近にこれだけの車両が集まっていることも注目を集めます。
スクランブルに備えていたと考えることはできますが、それでも本当に撃墜してやろうという様子には見えません。
③についてですが、連絡通路場に沿ってMiG-21が8機駐機されています。これ自体は珍しいですが、6月の時点ですでにこの状態であったため、米軍機の動きや対応と関係あるとは考えにくいでしょう。
④についても、通常と変化はありません。機体の動線上にトラックが並べられているのが不思議ですが。
⑤は北朝鮮の空軍基地の多くに設けられている地下シェルターについてです。元山・葛麻も例外ではなく大規模なものが存在します。
シェルター前の通路と駐機場に飛行機が並べられているのが常ですが、この日は見当たりません。ただし、これも6月時点からこの状態でしたので特別な事情で移動させたわけではないようです。
⑥の大型機用シェルターは、金正恩総書記の専用機である「チャンメ-1」号が駐機したり、2016年ころに「火星-10」中距離弾道ミサイルの発射試験で自走式発射機が格納されていたことが知られています。
整備自体はされているようですが、特に動きはありません。
日本海側の長距離地対空ミサイル陣地の動き
北朝鮮は1980年代にソ連から射程300kmを誇るS-200(SA-5)地対空ミサイルを導入しています。昨年に演習で発射して残骸が韓国に回収されたことで、現在も稼働状態にあることが知られています。
北朝鮮は、このミサイル陣地を国内に2か所設けており、そのうち1か所は日本海側直近にあります。
7月10日時点の衛星画像では、発射機にミサイルが搭載されていません。また、地下のバンカーに格納されている専用のレーダーも姿を見せていません(過去にはミサイルが搭載されたり、レーダーが展開する様子が確認されています)。
したがって、S-200については、平時のごとき運用がなされていることがはっきりしています。
北朝鮮側の談話を読む(一部抜粋)
朝鮮中央通信がリリースした談話を確認してみます。
上の談話を読むと、
1 米軍機が2日から「戦略的縦深地域」に対する偵察を実施した
2 7月10日にも経済水域の上空を8回にわたって無断侵犯した
とあります。
北朝鮮側がこれを把握しているにもかかわらず、本気で対応しようという姿勢があまり見えないのが、今回の衛星画像ではっきりとしています。
撃墜の示唆を豪語するのであれば、少なくとも
1 高度なレーダーや中距離空対空ミサイルを備えた戦闘機(つまり
MiG-29)の前進配置
2 あらゆる事態に備えた軍事面での動き(迎撃態勢や地対空ミサイル
システムの稼働)
が必要ですが、それが全くないのです。
「MiG-29が別の基地に配備されているかもしれないじゃないか」というお叱りを受けそうですが、十分な後方支援を受けれる基地は限られていますので、日本海側で本格的な作戦行動をするのであれば元山・葛麻が妥当です。
北朝鮮側の問題点
そもそも、北朝鮮側が自国のレーダーで米軍機をリアルタイムで追尾できていたのかという問題があります。北朝鮮の空軍はソ連の影響を受けており、基本的に要撃機は地上からの誘導を受けながら敵機へ向かうため、地上で追尾できないと接敵が不可能だからです(RC-135追尾事件では、北朝鮮っが各種情報を総合的かつ綿密な分析で位置を割り出して誘導していた可能性を示唆しています)。
日本海側に配備されているものとしては、
1 P-35 "バー・ロック" (最大探知距離:350km)
2 P-14 "トール・キング" (最大探知距離:400km)
3 P-80 "バック・ネット" (最大探知距離:380km)
の3種類が存在します。
北朝鮮側が発表した米軍機の位置と探知距離を衛星画像に落とし込んでみます。米軍機の位置については、
A:韓国・慶尚北道蔚珍の東南276km
B:江原道通川の東435km
C:江原道高城の東400km
とします(地上のアルファベットは計測の起点です)。
ご覧のとおりですが、北朝鮮側が主張する経済水域が日本のEEZに食い込んでおり、日本海側で韓国軍機はおろか自衛隊機が飛んだだけで「侵犯」扱いされるほどとなっています。
これを踏まえると「米空軍戦略偵察機が朝鮮東海上で撃墜される衝撃的な事件が起きないという保証は、どこにもない」という北朝鮮の国防省代弁人による談話が暴論であることは火を見るより明らかでしょう。
ここで、米軍機の位置とレーダーの探知距離を照らし合わせます。
探知距離を示した円は赤がP-14、オレンジがP-80、青がP-35/37ですが、米軍機の位置はどれもその圏外にあります。
もちろん、飛行中にその中に入った可能性はありますが、出入りした後の位置を明確に特定することは不可能です。
北朝鮮はこの数年で新型レーダーの存在を公表しているため、それらを使用すれば可能とは思われますが、現時点では何とも言えません(検討の余地はあります)。
もちろん、フライトレーダー24といったウェブサイトである程度の位置が確認できることから、北朝鮮がそのような公開情報を参照した可能性もあります。
その他
元山・葛麻飛行場にMiG-29戦闘機が展開していないと書きましたが、現在はどこにいるのでしょうか?
拠点とする順川空軍基地は大規模な改修工事を終えて5月ころから運用が再開された模様ですが、米軍機が偵察飛行を繰り返したとされる期間の7月6日には付近の北倉空軍基地も含めて、その姿が確認できませんでした(5月の時点では配備が確認されていました)
現時点ではCJ-5/6やAN-2、Mi-8ヘリコプターなどの機体が集結し、7月27日に実施される見込みの軍事パレードの訓練をしていると思われます。今年2月のパレードでもジェット機はSu-25攻撃機のみでしたのでMiG-29が参加しない可能性は想定済みですが、元山にもいないとなるとどこへ行ったのでしょうか?平壌の順安国際空港という線もありますが、現時点では確認されていません。
おわりに
今回リリースされた北朝鮮側の談話と実際の状況を見ると、本当に彼らが飛行機や地対空ミサイルを使って強硬な対応を図るどころか「わが空軍のスクランブルによって退却した」という談話の内容自体も疑わしい状態が明らかとなりました。
私自身、最低限のことはすると考えていただけに肩がすかされましたが、北朝鮮は私たちの知らない間に高度な技術の開発・実用化をしているだけに油断はできません。
朝鮮戦争「戦勝」70周年とされる7月27日を前に北朝鮮がどのような動きをするのか、今後も注視していく必要があるでしょう(新たに動きがあった場合は新しい記事をリリースする予定です)。
参考資料
朝鮮民主主義人民共和国の陸海空軍
radartutorial. eu
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