輪郭が曖昧な妹。

妹がよくわからない。
これは去年のクリスマスあたりから。

両親の誕生日が12月だから、一緒に料理を作って振る舞ったら最高かな!喜んでもらえるかな!と思って、一緒に料理をしていた気がする。
でも途中から、妹は1人でどこかに消えて泣いてた。私は料理に夢中で、というか1人で頑張って料理を、遅れてもいいから、とりあえず作りたいと思って、続けてしまった。楽しみにしていた両親のために、頑張りたかった。
放っていたら、妹は、よくわからない存在になっていた。
料理の途中、コンソメの量を聞かれたような気がする。私は塩梅で入れて、足りなければコンソメを足せばいいと思って、曖昧に答えた。でもそれが、後々ちゃんと答えなかったと思われた。ぞんざいに扱ったと思われた。
もしかしたら、他にも、妹に対してぞんざいな対応をしたかも知れない。全然気が付かなかったけど。
結局、妹は途中で帰った。楽しみに待ち侘びていた両親の気持ちもよそに。私の身勝手な頑張りをよそに。すごくむかついた。
母が、楽しみにしていた父のために、妹を連れ戻してくれた。
でも、連れ戻した妹は、ふてくされ、怒鳴り散らし、なんだか、おかしかった。

境界性パーソナリティ障害。怒鳴り散らす中で
そんなことを告白していた。ちょっとびっくりした。
社会に出て、働き出して、感じて、自覚するようになったかも知れない。

一緒に暮らしていた頃を思い出すと、わたしは妹については自己愛性パーソナリティ障害も混じったグラデーションの中にいると思う。あとはちょっとした嘘をつくこと。

理由を述べる。
努力ができない。夏休みの宿題はやらなかった。でもやらない、できない自分は表現できずに母にやらせていた。それも土壇場になって。土壇場までやらないのは父も同じだが父とは要領の良さが違う。できないのである。でもやらない。いつも馬鹿みたい、と思っていた。
嘘をつく。彼氏がいる、イエモンのライブに行った、私は緊張しない、私は素晴らしい人間だ。些細な嘘だけど、その場の見栄でつく。理解し難い。素直に生きたほうが、楽しいと思ってしまう。
自信がある。中身のない自信である。空っぽな、無価値な自信を、あたかも存在しているように語る。この特性も嘘つきといえば嘘つきだと思う。自信のない私からすれば、到底意味のわからないことである。
母にだけ甘える、というか見せる顔がある。母にだけ他人の悪口や、愚痴をこぼす。仕事仲間や友達のこと。自分は正しいという考えのもとに。母が参っていたので、やめてくれよ、と思っていた。

気づかなかったけど、感受性が人よりも鋭くて、たくさん感じてしまうが故に、生きづらさを感じているのかも知れない。そんな気がした。

でも、それはそれ、である。育ててもらった両親への感謝や愛情は、無くなっちゃったのかな。

今日は父ががんを患ってしまったので、励まそうと食事を共にした。幸い、手術で取れる範囲で安堵したが、何があるかわからない。そんなら食事の機会。

久々に会った妹は、ものすごく態度が悪く不機嫌全開だった。

わたしは、妹の形がわからなくなった。

すごくすごくむかついたし、悲しかった。
場を和ませようとする両親の気持ちもわかる、わたしも楽しくありたい、でも楽しくない妹。

押し付けてるのは分かるけど、今日の意味、わかってるのかな、と悲しくなった。少しでも演じてくれれば、優しくしてくれればいいのに。父が落ち込んでるのに、なんでお前が悲しませるんだ?お前の一人暮らしの家賃や携帯代、誰が払ってるんだ?両親に頼ってるじゃないか、頼っているなら礼は尽くせよ、とか変な方向までむかついてきてしまった。

そんなこんなで輪郭が曖昧な妹が理解できずにむかつき、眠れない夜を過ごす羽目になる。それすらもむかつく。なんだあいつ。妹なので生きてて欲しいとは思うが、両親を悲しませることについては許せない。大好きな両親には笑っていて欲しいものだ。

愛の形は人それぞれ。それはわかっている。でも、悲しいよ。

いつか笑い合える日が来るといいな。

妹は表現の場として、働いている場所がある。それはコンセプトカフェ。そこでのSNSがある。

「わたしはかわいく、幸せに、自然を愛し、おいしいものを食べて生きている」を表現している。
自分をぞんざいに扱うな、と怒鳴り散らし、両親を悲しませている妹が表現する幸せ。ゆるふわに幸せを語っている。その裏では悲しませている人がいる。すごく捻れていて滑稽である。

なんでこんなことになってしまったのか、わからないけど、また家族で暖かく過ごしたいな。そんな夜の駄文である。

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