7月31日 「惑星9の休日」
7月31日(月曜日)
あれは僕が結婚して仕事もせずにふらふらしていたころの話なので、2017年のことだと思う。前に勤めていた会社の同期の結婚式に呼ばれて新潟に行った。記憶だと三条に向かったはずだが、もしかしたら新潟市だったかもしれない。この時期は体調が悪く、はっきり覚えていること以外は記憶が混濁している。
神社での式、結婚式場での披露宴を終え、二次会へ向かった。会場はちょっとしたレストランの貸し切りだった。着いてから会が始まるまで少し時間があったので、僕は別の同期と置いてあった二人がけのソファーに座った。彼は二歳上で、入社後に新潟で研修をしていた頃はよく話したり一緒に出かけたりする仲だった。僕が新潟を離れてからは会う機会がほとんどなく、そのときも何年かぶりの再会だったと思う。
「最近どうなの」と彼が言った。
「仕事を辞めて家にいるんだ」と僕は言った。「何もしていない」
「ふうん」と言って彼は少し黙った。彼は僕の具合の悪さを少しだけ知っていた。「そういうのも、いいよな」と彼は続けた。
「あと、結婚したよ」
「教えろよ」と彼は笑った。95%の笑いに5%の怒りが入ったような笑い方だった。僕たち同期は仲がよかったが、僕は自分の結婚を同期の誰にも伝えていなかった。思えば彼は僕が倒れて入院したとき、わざわざ新潟から東京の病院まで見舞いに来てくれたのだった。マイケル・ジャクソンが死んだ梅雨のことだ。彼には伝えてもよかったなと、そのときに初めて申し訳なく思った。
彼は漫画やアニメが好きだった。皮肉屋で、批評をするときは容赦がなかった。
「最近、何かおもしろかった漫画ある?」と彼は聞いた。そのころの僕はほとんど何も本を読む気が起きず、漫画もほぼ読んでいなかった。読んでいたとしても、何かを感じられるだけの感性があったかどうかはわからなかった。
僕が口ごもっていると、「そういえば、君の漫画家をやってる親戚の子って、まだ漫画描いてるの」と彼は言った。僕はその漫画家になった僕の親戚がまだ漫画を描いていて、雑誌で連載をして映像化もされたのだということを教えてあげた。教えながら、僕が彼とよく会っていた頃は、その親戚はまだ連載を持っていなかったのだなと思った。
彼は「へえ!」と身を乗り出して、僕が思っていたよりもはるかに派手な反応を示した。僕は自分がその漫画には何も関係がないのに、自分のことのようにうれしかった。
同じ質問をした。彼は、「少し前の作品なんだけど、『惑星9の休日』っていうのがおもしろいんだよね」と言った。「町田洋という人の作品なんだけど」
町田洋という漢字を頭に浮かべたときに、どこかに思い当たるふしがあった。あれはいつか、所沢の駅の芳林堂に平積みされているのを買った、線が印象的な絵柄の、どこか変わったタイトルの……「その人、『コンクリート』みたいなタイトルの本出してない?」
彼は僕の口からそのキーワードが出てきたことに驚き、「そうそう、『夜とコンクリート』も同じ人の作品だよ」とうれしそうに言った。
それから少しして、本屋で『惑星9の休日』を見つけて購入した。
雨が少なく砂漠が多い辺境の星、「惑星9(ナイン)」。その星を舞台にした短編連作。
大きな事件が起こるというわけではない。でも、話の最初と最後では、少し何かが変わっている。あるいは少し何かが進んでいる。詩的な表現に、簡潔な絵。短編ならではの魅力の詰まった作品だった。
いまも時々、『惑星9の休日』を読み返すことがある。この本を教えてくれた友人に、人生であと何回会うことができるかはわからない。もしかしたら、もう二度と会うことはないのかもしれない。けれども、彼と僕がたしかに友人だったこと、そしてこれからも友人であることを、この本はいつも証明してくれている気がする。
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