大道芸は無くならない!(1992年4月)

原題:大道芸を愛する皆さんへ!!「大道芸は無くならない!」

[Peace Net News1992年️️◼️月◼️号【要確認】に、一部省略の上、転載。以下の本文も、冒頭の一段落、及び末尾の一段落と一行を省略する。]

 I

 この度、「大道芸文化向上協会(仮称)」結成に向けて、その「準備会」ができました。御報告します。これは、芸能プロダクション等による企画ではなく、「プロの大道芸人」を名乗る人たち自身の発意による集まりです。「大道芸文化」を大道芸人自身の手で受け継ぎ、守り、向上させていこうというものです。総勢30名ぐらい、私もその準備会委員14名のひとりです。

 然し、ひとくちに「大道芸人」と言っても、色々な立場があって、例えば、ガマの油売り、紙芝居、バナナのたたき売りなど、古来、近来の大道芸をイベントの企画の中で、出演料(ギャラ)をとって上演する人たちも一緒です。この人達は、一部の芸能プロダクションが、マスコミの所謂「大道芸ブーム」に乗じて、にわかじこみの素人芸人を安値で売り歩くので、仕事が減り、ギャラが減って困ると言うのです。私のように、初めからギャラをとらずとも、ひとりひとりの観客の「投げ銭」で生活を建て得る(プロダクションのお世話がなくても生きて行ける)ところに、「大道芸人」としてのプロ意識を感じている者も、見方によれば「プロの大道芸人の仕事場荒らしだ」という事になりかねません。さらに、この会で「道路交通法」や警察の問題を云々する私は、むしろ極く少数派です。

 色々な亀裂をはらみながら、同じ「大道芸人」を名乗る者同士、とにかく一緒にやって見ようということで、「準備会」が発足しました。少なくとも「大道芸(人)を正当に扱って欲しい。」という点では一致していると思います。日本に於ける大道芸(人)の復権[「日本に於ける大道芸(人)の復権」に傍点]、という事です。

 II

 「大道芸復権」の運動のひとつとして、私も一年程前に、「ハチ公広場の大道芸を保護する東京都条例制定を求める陳情書」を東京都都議会に出すことを思いつき、皆さんから御助言や御署名、そしてカンパまでいただきました。都議の方のうち14名にぶ厚い手紙や資料を送ったりしてみたのですが、結局頓挫してしまいました。当時としては、何かやってみずにはおれない心境、状況でしたが、少し構えすぎたのかも知れません。

 然し、大道芸をめぐる状況はいっこうに良くならない、むしろ悪くなって行くぐらいなのに、正面切った「運動」ができる条件が無いというジレンマは今も変わりません。

 それからは、マスコミの取材申し入れがある時には、(マスコミの所謂「大道芸ブーム」は、形を変えながら、根強く続いているらしいのです。)芸の中身の話より、大道芸をめぐる法律上の問題、暴力団関係とのトラブルの話、またマスコミの取り上げ方に対する意見、苦言などするようにしています。どうも膚の合わない方がいたり、カメラやマイクなどが苦手だったりするのですが、逃げごしにならず、積極的に応じる様、心がけています。「運動」のやり方としては、ずいぶん消極的なのですが、今私にできるのは、これぐらいしかありません。東京の大道芸の実情について、少しでも多くの人に知ってもらうこと[「東京の大道芸の実情について、少しでも多くの人に知ってもらうこと」に傍点]、それから、大道芸をやり続けること[「大道芸をやり続けること」に傍点]。

 Ⅲ

 さて、問題のハチ公広場ですが、私はこの一年間で十数回というかなりロー・ペースの上演を、交番を横目に見ながら続けてきましたが、とうとう今月(4月)3日、「再三の注意に関わらず」ということで、「誓約書」を書くことになってしまいました。これは痛手です!!4月に入り、たぶん交番勤務の警察官の配置換えがあっただろうとあてこんでの上演でした。芸の方は私としても上出来、最後の詰めに入る矢先でした……。およそ400人ぐらいのお客さんの、ブーイングもあり、私もいつもの手[「手」に傍点]で、「あと5分だけ待ってくれ」と言うのですが、今日はお巡りさん達も覚悟をきめてきた様子で、聞き入れてくれません。「お巡りさんに対しては反抗的な態度はとらない。」これが、今のところ私の方針です。悔しいけれど即座に中止、お客さん達には最後の出しものの題名(「自転車旅行」)だけ見てもらい、短いあいさつをして終わりました。何十人ものお客さんと握手して、投げ銭もずいぶんもらいました。どういうわけか花束まで………………..。荷物をまとめるのに約10分、警官の見守る中最後まで無言でつき合ってくれた20人程のお客さんが、パラパラとひかえ目な拍手をしてくれました。そして、交番の奥の部屋まで「任意同行(というのでしょうか?)。」

 この「交番の奥の部屋」というのは久し振りです。そして、「誓約書」を書かされるのも。大道芸を始めた頃は、年に一枚ぐらいのペースで書いていましたが、この数年はたち回り方がうまくなったせいか、書いたことがありません。さらに、意外というか、僕のメーン・ステージ、ハチ公広場の件では初めてです。お巡りさんとのやりとりは、妙になごやか[「なごやか」に傍点]なものでしたが、「誓約書」が残った事実は消えません。人質を取られたようなものです。「……このような行為が違法であることは知っていました。二度といたしませんので、今回に限り寛大な御処置を、云々。雪竹太郎。(左手薬指だったか?の指紋押捺)」というような内容です。お巡りさんの言うには、「不満ならサインしなくていい」と言うのですが、…………………もしかしたら判断を誤ったかも知れません。(どなたか、この「誓約書」が効力を有する期間がどのくらいか、御存知ならばおしえて下さい。)お巡りさんの言うことには、「あんただけが憎くていじめているんじゃない。他のみんなにも言っているんだ。」然し、4月3日(金曜日)当日、ハチ公広場で活動した芸人は、見ただけでも僕を含めて3組、捕まったのは恐らく僕だけです。自慢めきますが、私も大道芸歴9年目、条件さえ整えばかなり派手な芸もやれます。目にもつきやすくなります。腕を上げれば上げる程、東京では活動しづらくなります。「やるなら道路使用許可を取ってやれ。許可が降りるかどうか分からないが……。」ハチ公広場は「歩道」で、「道路交通法」が適用されるのだそうです。誰か一緒に動いてくれる仲間の芸人がいれば許可を取る努力をしてみようかとも思いますが、無駄な気もします。それに、日時を限定された許可であれば、かえってじゃまになったりします。

 交番を出たのは約30分後、比較的短い方だったと思います。駅の改札を入ろうとすると、若い女の方が僕の「モナリザ」の額を引っ張って、声をかけてくれました。「自転車旅行はいつ見られるんですか……?」いつになるかわかりません。とにかく最低半年ぐらいは、ハチ公広場での活動は休むつもりです。残念です。今、僕ひとりで事を構えても、勝てる見こみがありません。

 Ⅳ

 それに、このことがあったからというのではないのですが、今年も6、7、8月の約3月、海外へ出ます。毎年夏の海外遠征はこれで5回目です。今年は、ニューヨーク経由でフランス、スペイン、できればイタリア、スイスにまで足を伸ばすつもりです。

 特に、フランスのアヴィニヨンという町は、ハチ公広場と同じスタイルの芸が成立する、私の知る限り最後の場所です。しかもお巡りさんが紳士的で、去年こんなことがありました。或る日、芸が終わると、(つまりアヴィニヨンのお巡りさんは、芸が終わり、お金を集め終わるまで待ってくれているのです。)数人の警官がやって来て、僕の芸をすごくほめるのです。「とても素晴らしいが、若干問題がある。」フランス語がよく聴き取れないので、少し取り乱してしまいました。へんなもので、ほめられる時には外国語もよく分かりますが、問題があるとなるとちっとも分からなくなります。しかも相手は大道芸人の「天敵」です。仲間の芸人に立ち会ってもらい、ようやく問題がはっきりし、その解決策について合意に達すると、今度はまわりにつめかけた新たな人垣に向かって、おどろくなかれお巡りさんが、「この人の芸はすばらしい、是非みましょう」みたいなことを言う。ここでは警察官と芸術家とが先ずは対等な市民なのです。それでも、ここの芸人達はやはり警察官をいやがります。私もまだ、トゥーリストの感覚でヨーロッパの「お巡りさん」を見ているのかも知れません。でも同じようなことを、私はバルセロナとミュンヘンでも経験しました。海外に少し長くいると、つくづく日本に帰るのがいやになります。

 Ⅴ

 「大道芸は無くならない。」これが僕の信条です。日本の法律がどうであろうと、街頭に人の和ができ、楽しいひとときを、見知らぬ者同士が共有するというのは、人間の「自然権」に属するものだと私は考えています。

 1992年4月5日 大道芸人 雪竹太郎


付録:大道芸を愛する皆さんへ 号外(抄)[未発表]

 4月25日(土)、歌舞伎町でも捕まってしまいました。たまたま居合わせたちょっと左翼的な街頭仲間が「市民」をひきつれて交番におしかけてくれたおかげで、交番の中ではお巡りさん達の方がたじたじ[「たじたじ」に傍点]で、4〜5分で釈放されました。こういう市民の応援が東京中でいつでもどこでも[「いつでもどこでも」に傍点]見られるようだと本当に心強いのですか!ーー本当はこの辺りに、慎重に議論を尽くさねばならないデリケートな問題もあるのです。無責任に皆さんをたきつける[「たきつける」に傍点]ことはできません。私の方は「お巡りさんに対しては反抗的な態度をとらない」という方針をいまのところ変えるつもりはありません。勇敢な市民諸君からみると、ものたりないかも知れません。[…中略…]一説によると、「暴力団新法」が大道芸人にとってもあだ[「あだ」に傍点]になっている、とのこと。[…後略…]

 1992年4月26日(日) 大道芸人 雪竹太郎


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https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c

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