ダン・シモンズ「イリアム」「オリュンポス」注解(サルベージ版) 2/2

3.ツッコミ

 準備もできたので、順次ツッコんでいきます。

◎なぜ、オリュンポスの神々はPHが姿を変えたものなのか
 ホメロス創造による「イーリアス」宇宙とこちらの宇宙が繋がったのであれば、当然ギリシャの神々もその宇宙に最初からいたはず。なぜPHたちが彼らの代役を勤めているのか?
 考えられるのは、もともといた神々をPHたちが追い出しちゃった(皆殺しにした?)と言うことでしょうか。ヘファイストスは当初の神の事を「取り換え仔」と呼んでますし、これが最も辻褄が合う。
 しかしです。何でPHがわざわざギリシャ神話の神となったのか、何べん読んでも納得いかないんだよなあ。多くの同胞が、軌道リング上でキャリバンに喰い殺されてしまっているのに、並行世界に逃げてギリシャ神話の神になって遊ぶなんて。通常の思考回路の持ち主なら、そんなことにはなりますまい。
 オルフ曰くその動機は「ギリシアの神々は、ポスト・ヒューマンの対極にある存在だ。不死性、性別の選択、神々同士のセックス、気に入った人間とのセックス、多数の神や人との子孫を儲けること―――これらはもはや、ポスト・ヒューマンがしたくてもできなくなっていたことばかりではないか」だと。いやいやいや、そんなことのためにわざわざ、下手すれば命の危険まで冒してギリシャの神になるか?
 ついでに言うと、神々の配役は誰が決めたんだよ。普通に考えると、トロイ戦争の帰趨を知っているとされるゼウスだろうと推測できるのですが、軍神アレスなどしょーもない神の役決める時は、さぞかしもめたに違いない。

◎オリュンポスの神々としての力をPHに授けたのは、結局誰なのか
 ロックヴェック総司令官、ベフ・ビン・アディー曰く「(神々は)自分達の力の背景にあるテクノロジーをちゃんと理解してはおらぬよう」です。デモゴルゴンとアキレウス・ヘファイストスとのやりとりをみると、<唯一神>なるものがその力を授けたらしいことが分かります。唯一神とはもちろんゼウスではない。もちろん、シコラックスであるとも考えにくい。セテボスは、プロスぺローと対峙する初登場シーンで、自分がPHを神話の神にした…と言う事をほのめかしていますが、その後本件については何も語られないため、セテボスが生みの親と言うのも少々無理があります。
 となると、残るのは消去法で<静寂>のみとなります。ここで分からんのが、<静寂>は何のためにそんなことをしたのかと言うことです。ひょっとして、<静寂>とゼウスの間には何か密約でもあったのでしょうか。ゼウスの役を引いたPHは最も政治力に長けていたか、他のPHが知らないことを知っていたか、そんな理由で。大体ホッケンベリーを復活させたのもゼウスの差し金だしなあ。
 何にせよ、全く説明がないこの辺のからくり。推測するしかありません。

◎火星、結局のところどうなったんだよ!
 これは訳者・酒井昭伸氏も「説明に揺らぎがあってはっきりしない」と、解説で指摘しているところ。テラフォームしたのか他の宇宙にある火星と交換したのか、その両方なのか。オルフは「オリュンポス」クライマックスの長広舌解説の中で、平気で前言を翻して恥じるところがありません。「(火星のテラフォーミングや重力の変化は)多分、1,400年間の大半を通じて、営々と行われてきたものさ」って、その直前で、「テラフォームは完成するまで8,000年はかかる」と言ってたじゃねえかよオルフ!!!
 一つの仮定として、他の宇宙にある火星は地球とかなり似通っていて、それと現宇宙の火星が交換されたと考えるのが、最も破綻が少ない。では、それを実施したのは誰か?終盤にほんの少しだけ触れられるのですが、どうもPHがその主導者のようです。
 それでですね。何のために火星を交換したのか、これが全く分からない。こっちの方が気持ち悪い。
 唯一考えられるのは「火星にはオリュンポスモンスがあるから」と言うことなんですが…惑星交換とテラフォームの理由がそれってか…orz。わざわざ火星引っ張ってくるより、並行宇宙イリアムの近所にあるアルプス山脈かどっかに、オリンポス神殿建てときゃいいじぇねえかよ、とツッコんだのは、決して私だけではありますまい。
 それにしても、ハイペリオンシリーズのオールドアースと言い、シモンズは惑星交換ネタが好きですねえ。話としての必然性はまったくないのに(苦笑)

◎ハーマンは、何であそこまで陰湿にプロスペローとモイラに苛められたのか
 この部分は、筆者の「オリュンポス」に対する最大の不満です。正直、この一事があるだけで、「オリュンポス」は▲30点。▲40点でもよい。
 ハーマン=プロメテウスのくだりの裏ネタは、シェリーの「鎖を解かれたプロメテウス」なのですね。プロメテウスは、人類に火を与えたことの代償として多くの責め苦にあう、そこをなぞっているのだと。いやいや、書き手の意図はそうかもしれないけど、そんな仕掛けを知らない読み手には全く伝わらないぞ?
 エアリエル・プロスペローに拉致されて、モイラとムリヤリ性交させられて、<水晶球>に入れられて、言語に絶する苦痛を経て、本来の人類としての能力を取り戻す。ハーマン=プロメテウスとしての役割を全うするための必然的な通過儀礼として、ここまでの話はまあ納得が行きます。
 ところが、ハーマン自身が激怒するようにその後彼はなぜか徒歩で、3,000km先のアーディス・ホールまで、食料もろくに持たず行かされる羽目になります。何故プロスペローとモイラがそのような行動をハーマンに取らせたのか、最後まで納得の行く説明は得られませんでした。
 しかも、その直後に登場するのが例の潜水艦だよ。全く伏線もなく、完全に取ってつけたような現れ方をする<アッラーの剣>。ハーマンにこいつを見つけさせることが二人の目的だったとしたら、その前の行動が全く辻褄が合いません。ハーマンがここで死ぬのならば、彼をわざわざ覚醒させる必要などなかったわけです。彼が他の古典的人類と接触することは不可能になるのですから。重度の放射線障害に侵されつつ「プロスぺローとモイラはこの事を知っていたに違いない」などと殊勝に独白するハーマンの下りを読みながら、怒りで手が震えました。
 この潜水艦のくだり、シモンズの9.11に対する怒りの暴走と言うのが一般的な見解だそうですが、そうだとすればなおさらこのネタを持ち込んだのは大失敗です。話の流れを完全に損なっています。

◎<アッラーの剣>搭載ブラックホールのトンデモぶり
  ついでに書いておきましょう。これは訳者酒井氏も(脚注でこっそり)ツッコんでいる内容ですが、にっくき潜水艦<アッラーの剣>に搭載されている768個のブラックホール。こいつがどれほど非現実的な存在か。
 ブラックホール1個がサッカーボール大と言いますから、この半径をFIFA公式サイズの11センチとしましょう。地球をブラックホールにした際のシュヴァルツシルト半径は9mm。すなわち、このブラックホール1個の質量は地球の1,826倍にあたり、さらにそれが768個だから総質量は地球のほぼ140万倍…すみません、太陽より大質量なんですが(太陽の質量は地球の130万倍)。どっから引っ張ってくんねん、そんな質量!本船が建造された当初は、そもそもブレインホールもなかったはずなのに!!
 この設定、さらっと見逃すにはあまりにも致命的でしょう。そんな技術が汎地球カリフにあったなら、<狂気の時代>の時点で地球はおろか、下手すれば太陽系全体が吹っ飛んでいたはずです。

◎ノーマン・オデュッセウス、何で地上でそんなモタモタしてたんだよ?
 「オリュンポス」読了後、かなりの人がノーマン・オデュッセウスにツッコんだのではないでしょうか。「オメエがソニーに乗ってとっととシコラックスに会いに行けば、オリュンポスの序盤辺りで話は丸く収まってたんじゃねえかよ!」と。
 もちろん、古典的人類は最終的にハーマンによって覚醒したこと(特にフリーファックス機能復活)と、ウルトラマンばりにタイミングよく現れたモラヴェック及び、オデュッセウスによるシコラックスの篭絡が見事に同期化できたことで、古典的人類達はヴォイニックス及びキャリバニ達を圧倒できます。
 そこまでオデュッセウスは見越して行動してたんだろうって?いやいや、だったらヴォイニックスとの戦いで瀕死の重傷などそもそも負うまいし、そんな戦いに自らの命を晒すとは到底思えません。
 やっぱ、オリュンポスの後半は破綻を繕いきれてないなあ。ハーマンとオデュッセウスの二人は物語破綻の犠牲者とも言えます。


4.登場人物評

 最後に登場人物の評価をしておきましょう。
 本作は登場人物も多く、誰に感情移入するかによって結構評価が変わると思うんです。大抵の読者にとって好きな人は大体共通すると思うけど、嫌いな奴は結構分かれるでしょう。

 まず、個人的にはイリアムにいるギリシア人たちにはほぼ感情移入できない(ヘレネも含め)。モラヴェックたちはいい奴らなんだけど、いい奴ら過ぎてこれまた面白みがない。プロスぺローやモイラは話にもならない。やっぱり自分の中で核となるのは(イリアムの地球ではない本来の)地球メンバーです。
 ディーマン、ハーマン、アーダ、ハンナ。ついでにノーマン・オデュッセウス。筆者の中では、彼らがこの物語の真の主人公です。そりゃそうだわね。過酷な運命に晒されている古典的人類の覚醒と再生、それが本作最大のテーゼなのですから。

 自分の個人的な感覚で言うと、本二部作、特に「イリアム」は「ディーマンの成長物語」であるとしか思えません。物語冒頭では滑稽なほどのヒールというかヘタレと言うか、月亭邦正キャラだったディーマンが、軌道リング到達辺りから少しずつ変化していき、ついにはキャリバンと1対1のタイマンを(それも成層圏で)繰り広げるくだり、深い感動を呼びます。
 このタイマン、ディーマン以外では全く成り立ちません。ハーマンが対決するんじゃ何のヒネリもない。あのヘタレの女たらしが、イリアム中盤でウンコ漏らしそうになって必死になってた奴が、あっさりアーダに振られたディーマンが、あろうことかキャリバンのキンタマ掴んで撃退する(爆笑)。いや、実際笑ってしまうんですこのシーン。スピード感と言い「痛さ」といい、まさにシモンズの面目躍如と言ったところです。
 このタイマン部分と、オリュンポス山上にワーム・ホールが現れて、大量のモラヴェック達がPHギリシャ神共と戦端を開く同時進行シーンは、まさに本二部作最大の山場。何度読み返しても初読同様手に汗握りますし、毎回もったいないのでものすごくゆっくり読んでしまいます。単なる大戦争シーンだけではなく(それこそ「指輪物語」や「スター・ウォーズ」のクライマックスのように)、1対1の小さな戦いが同時進行となっているのが、実に素晴らしい。
 「オリュンポス」では、ディーマンは単なるタフな戦士になってしまいます。もちろん母親をキャリバンに惨殺されたり(このくだりのスプラッターぶりは凄い)、決死の覚悟でセテボスの卵を持ちかえったり、活躍ぶりは凄いのですがね。成長しきってしまったディーマンには、「イリアム」の頃の面白さはありません。
 その代わりに「オリュンポス」は、ハーマンの不必要な贖罪物語となっていて、ここに共感できなければ「オリュンポス」は好きになれないでしょう。私は前述の通り、全く共感できない性質です。

 最後にホッケンベリーですが、彼の評価は結構難しい。可愛そうな奴だとは思いつつ、全然感情移入できないのが正直なところだったりします。。
 ホッケンベリーは完全な狂言回しです。一方で、当代最高の美女ヘレネとセックスし放題と言うおいしいキャラでもあります。彼は本作で唯一の「20世紀人」であり、さえない元大学教授と言うのがまた生活感を醸し出す。即ち「読者の代役」のはずなんですよね。「イリアム」ではそれなりの見せ場もあります。
 にも拘らず、彼のこの話への貢献は実に薄いんですよね。QTでどこへでも行けると言う意味では、神々と肩を並べるだけの存在なのに、結局よく解らん行動原理であっちこっちに行って(まあ、ヒーローではなくて普通の人ですからそれは当然なんですが)、ヘレネに1回殺されたり、ゼウスの元へ向かう以降の行動動機もよく解らない。そもそも「イリアム」において、なぜ古代ギリシャ人たちを神々に盾突かせようとしたのか、その動機も最後までよくわからない。
 多分、彼が何者なのか最後の最後まで曖昧にしか語られていないのが原因なのだと思います。シモンズにおいてはよくあることですが、膨大な伏線を回収するプロセスの中で、結局何だったのかがちゃんと語られないままに終わってしまった。執筆当初はもっと重要な役割を持たせるはずだったのかもしれませんが、それ以降魅力的なキャラが次々と出てきてしまい(特にディーマンとキャリバン)、ほったらかしになっちゃったんでしょうね。

 文庫版、電子書籍版の訳者あとがきに書かれていることですが、シモンズは最終的に三部作として、オデュッセイアを下敷きにした第三部を執筆するつもりでした。ですが、出版社ともめてお蔵になってしまったらしい。
 そう考えると、伏線回収に結構漏れがあるのはまあ致し方ない気がしますが、仮にシモンズ版オデュッセイアが書かれていたとして、「エンディミオン」で起こったような「前二部作のいくつかの設定をなかったことにする」が結構発生しただろうなこれ…まあ、それも含めてシモンズ作品を読む楽しみがあるのですが。
 残念なことに、シモンズの年齢を考えると2020年現在「オリュンポス」がシモンズの最後のSF長編ということになりそうです。ハイペリオン4部作とともに、今後も時々再読していきたいと思います。

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