C-KDI-3/桑沢講義デジュメ/ 2014年版「仕掛けられた『光と陰』」;
文責;平川武治;
初稿;2014年5月;
再稿/2022年10月
今日のインデックス;
1)『光と陰』とは、;
2)これからの僕たちの国家と国体の『光と陰』とは、;
3)モードを通じて時代性を読む。;
4)参考証言、いろいろ、;
5)新たな『あり得るべきGOOD LIFE』という空気感の創成或いは、;
付記/参考サイト、いろいろ。
1)『光と陰』とは、;
物事には全て『表と裏』が有ります。
例えば、モードの世界から見ても巴里のコレクションのトレンドの一つにこの『光と陰/表と裏』と言うコンセプトのコレクションが続いています。
表向きの表情と後ろ姿の表情の相違の“二面性”とそのセンスオブバランスを着る女性が愉しむ、というデザインです。
過去からこの手法は案外よく使われその意外性やユーモアという世界観やその特意性に至る迄の“二面性”というコンテキストが時代性を象徴し、
ここ2シーズンのトレンドとなっている。
もう一つ、『表と裏』と言うコンセプトには“リバーシブル”という手法も有るが、却ってこの手法は’60年代のような昔に流行したものでした。
ここには現在の様にモノの豊かさが日常的になった現代では然程大きな魅力ではなくなったのであろう。
時の経済環境や社会性の変化によってもう、以前の”機能性”や”経済性”に委ねた発想からの”二面性”というコンテキストではなく、2シーズン続いたこの”二面性”のトレンドは現代の”時代の表層と深層構造”そのものが日常的に二面性の世界である事そして、その虚偽性、虚構性に気が付き始めたリアリティーに対しての”二面性”の表現である。
”二面性”というコンテキストの根幹も、“一粒で二度美味しい”でしかなく、ここに“愉しみ”が存在しているから魅力となり創造性が膨らむのでファッションの潮流に度々現れてくる。しかし、過去をみても此のコンセプトが出る時代性とは決していい時代ではなく不況時や不確実性が広がる時代に多く出たもので、現代ではそれに不平等性が加わった時代性と読める結果であろう。
なので、この“二面性”は素材が持つ”表と裏”の“リヴァーシブル”ではなく構造が違う“表と後ろ”の二面性である。即ち、着る事によって”表の見え方と後ろ姿の見え方”が違うと言う”表層に於ける二面性”であり、ここには大きな相違が有る。それは隠された”二面性”ではなく見える”二面性”であり
一種のフェイクを愉しむというコンテキストが読める。
ここには僕が発言しているファッションの根幹である ”The fashion is always in fake.”が理解されるであろう。 現実世界においては、これを熟知し、巧く使い分けられる民族がこの世界で富と権力の主導権を執っている。何故ならば、彼らたちの多くは物事の”根幹”/”二面性”を家庭教育に因ってエジュケーションが為され理解させられているからだ。だから、彼らたちユダヤ民族の人たちがこの先端を担い、富を築きその格差は年々増すばかりである。
“世界は一つではなく、必ず表と裏という二面が在る。”
これは彼らたちの宗教が教える根幹の一つでもあり、この”二面性”を愉しむ為には富と権力の為の立ち居場所確保とそのための関係性が大切である事に尽きる。
こんな”二面性”がトレンドとなる時代性とは、日本の新たなる『表と裏』が表層化し始めた今,”見え始めた二面性”を現実性として”妄想”して見よう。
2)これからの僕たちの国家と国体の『光と陰』とは、;
この変らぬ”二面性”を根幹に、これが新たな時代を虚像化して行くさまを感じています。
『3.11FUKUSHIMA』の現実とその被害影響を隠し続ける為、早く忘れて欲しい為の”光”の部分が現在の安倍政権の表層ポリテカル構造です。
最近メディアに取り上げられている政策的な課題は、『憲法の見直し、
観光立国、集団自衛権、移民法改正、パチンコ法/換金の改定、TPP交渉、
知的財産権、選挙権年齢の引き下げ、国家戦略特区等など、、、、、』
その結果、これからの日本国の新たなる表層になる現実とは、
『オリンピック=カジノ=原発輸出外交=武器輸出=格差社会=イミグレーター問題=軍事産業=軍需産業=国防軍=北アジア冷戦構造の確立=
”やまとこゝろ”の消滅=金権虚飾時代等など、、、』
例えば、「戦略特区」では、『解雇規制緩和、有期雇用契約自由化、労働時間規制見直し・適用除外、労働者権利一部放棄、積極的移民政策の推進』等が具体化して来るのです。
気が付くと、これほどアメリカ大好きだった日本人が戦後持てなかった分野がここに集約されて、新たな日本の産業力になると言う魂胆が仕組まれています。
特に『カジノ』と『国防軍』の登場は戦後日本に無かったもので今後、
新たな表層の”日本国”を形成して行く大きな新ファクターになって行くでしょう。この新たな産業構造は例えば、「カジノ=パチンコ業界=元在日系」と言う構造。その為『東京オリンピック』は現在では掛替えの無い国家イベント=利権ビジネスの美味しい塊なのです。ここには建築家、ゼネコン、不動産界たちの新たな戦場/トラックでもあり、インテリア産業もこれに準じる事でしょう。ここには新らたな「エンターテイメント観光産業」が構築化され、”東京=ラスヴェガス化元年”が始まります。このエンターテイメント観光産業とは,”パチンコ、スロットマシーン、ゲーセンと吉本他のヴァラエティエンタメそれに,アキバカルチュアであるマンガとジャポネズムカルチュアーそしてホテル産業と飲食産業ともう一つ,風俗産業そして,情報メディア産業やアニメ、音楽におけるコンテンツ産業と交通産業によって新たな”東京=ラスヴェガス”都市構想がアジア第1のレベルで実現化し始める”TOKYO”という都市です。その建前が“TOKYO OLIMPIC"に集約されています。ここには、この21世紀に入ってからの日本を代表する全ての”産業とジャパカル(?)”が競争力在る実態として集合化され構造化されています。大阪でも、早々と、待ってましたと、橋下氏は“オオサカーラスヴェガス”構想をUSJを巻き込んだ世界構想を発表しました。
ファッションもデザインの世界もこの新2大産業が新たな経済効果を生む可能性は大きい。国防軍が現実化されれば、アパレル産業はこの自国の軍隊の”軍需産業化”へ動くでしょう。これも現在のアパレル不況を打破出来る可能性を持っています。又、『カジノ産業』が一般化し、「戦略特区」化すると、新たな都市生活者たちの『娯楽=賭博』或いは年金生活者のリクレーションとして品格無き世界が「IR法」として表層化するでしょう。
この世界でのファッションとは、まさに『ヴァニティファッション』そのものになり、ここへ”マイルド-ヤンキー”たちが登場し、メイン世代になり
”ご利益ファッション”が“金と艶”を目指してより着飾る時代も来るでしょう。このような時代性が現実になれば日本のファッションシーンは、
[ 海外ラグジュアリィー⇒09系ラグジュアリィー⇒フアストラグジュアリィー+フアスト衣料品 ]と言うカテゴリーに最大集約されてしまう可能性も大いに有り。
後は、皆さんが勘違いしている”アート”の世界も「アート&ファッションスーベーニールズ」と言うカテゴリィーで消費社会と言う裁断機で裁断されてしまう迄の単なる『モノのバリエーションの時代』でしょう。そして、
このような時代性になると例えば、ファッションにおけるクリアティビティとは、モノの『バリエーション オブ アーカイヴス』となり、音楽シーンの『カヴァー』と同様に、『デザインにおけるカヴァー時代』の到来でしょう。
”アーカイブス/古いもの”が新しいと言う時代性ですね。
ここではデザインの世界にも”ビックデーター”の情報量が必然性を持つでしょう。
皆さんが卒業後の進路と就職を考える場合にもこのような『日本の将来を読む。』事は必然でしょう。
そこから自分たちの立ち居場所としての”職業”を探す時代です。その為にも今後の僕たちの国家の為にもより、”政治”への関心と参加行為を忘れないようにしてください。
『注/この項目の現実性は、この後の元凶、「コロナ/COVID-19」によって世界をパンデミックにし、”隔離”というシャッターを閉ざしてしまったために、”コロナ禍の三年”はこれらの政府諸案にもシャッターが下されてしまった。しかし、これらの政府諸法案は”取り消され”たのではなく、ただ、
”延期”されただけである。今後、2030年へ向けてここでも、”再稼働”なされるであろう。』(文責/ひらかわ:2022年10月記)
3)モードを通じて時代性を読む。;
僕は、1年前からの2シーズンのファッショントレンドのイメージコンセプトとなった、“グレートギャズビー”がイメージングするところの社会背景がこのところずーと、気になっています。
その根幹は『光と陰』です。今の時代程、またこの『光と陰』が顕著に実社会に表層化された時代は、やはり’30年代をオリジナルとして考えてしまう迄の『富と貧困』という格差社会でしょう。
このトレンドのコンセプトの読み方は’20年代後のヨオロッパから’30年代のハリウッドへ。「光と陰」の両義性と二面性です。
そこでこのオリジナルである時代’20年代後半から’30年代のキーワードを検収、復習してみよう。
『光と陰=ヨオロッパの終焉=階級者社会の没落=世界恐慌=帝国主義の
台頭=ユダヤ人難民=新しい世界の誕生=合衆国=ニューディール政策=
工業産業化=合理性=効率=無駄が無い=流線形=新素材=デザイン効果=大量生産=システム=人間工学=新しい市民階級そして、=『あり得るべきGOOD LIFE』へ、、、』
過去の歴史では、19世紀末のイギリスでの『アートアンドクラフト運動』そして、1919年に設立されその後の、ドイツ『バウハウス運動』と1930年代以降からの合衆国での”流線型ムーブメントに始まる『近代デザイン運動』がある。このそれぞれのムーブメントの目的は”富める国家が自国民たちへ新たなあり得るべき生活環境をどのようにプロパガンダしてゆくか”
の”革新性"でしかなかった。
そして、これらのムーブメントの根幹は”合理性”であり、『あり得るべきGOOD LIFE』構想の為の”規格化”である。”製品規格が生活習慣を生む”という発想が此処にはあった。
それ迄の世界がヨオロッパ社会とそこで培かわれて来た”文化を武器”にした帝国主義世界であったのが’29年の世界恐慌を境に完全にそのイニシアティブは”新世界”としてのアメリカ合衆国へ移行した時代であった。
この時期、ヨオロッパは時代の新しさとして”アート”を創成し、それが
”文化”の根幹になり、それを武器に世界のトップを堅持していた時代でしたが、’30年以後は国家を豊かにする為の富国強民政策に因って、”デザインの世界”が初めて産業界と正面切って向かい合った時代の始まりになりました。これが事実上の「近代デザイン」の始まりです。
では、最近のTOKYO, 前出の『東京オリンピック』をその頂点とした
”光”と”FUKUSHIMA”を根底とした”陰”の構造が今後のわかりやすい僕たちの國の近未来観の根幹でしょう。そして、今後の僕たちが思考し、決断を伴った”賭け”を試みなければならない国体の究極の課題は『絶滅と創成』でしょう。
例えば、昨年来からの”モノカラー”へのチョイスは”白黒をハッキリさせたい”という心理的な行為であり、選べる豊かさが生み出したしトレンドでしょう。そして、季節が春だからだけではなく、僕たちの現実社会も確実に”新たな、新しさ”を生み出し始めています。
僕が今回、巴里から戻って来て東京へたまに出掛けて見かけるこの街の
ファッションに関しての新しさに、若い女性の『カワイイ!』のイメージングが変った事でしょうか?
そして、『モノ離れ世代』が登場し、一般化し始めたこと。女子小学生たちの『バレー』ブーム。昨年来”ダンス”が体育の授業に組み込まれて以来、
”ダンス”は彼女世代のキーワードになる。
そして、”ヤンキー”たちの様変わり。何よりも地元家族とのパラサイトに因って”豊さ”を享受してしまった「ヤンキー」たちが”お利口さん”になり始めた、"ユルキャラ=マイルド”なヤンキー化であろう。この彼らたちの変貌に一喜一憂しなければならないのが現在日本の”消費社会”であり、ファッションの世界もである。
極論すれば、彼らたちを”メインターゲット”としたクリエーションやMDによるファッションビジネスなのか、彼らたちをどのように位置づけした
ブランディングでビジネスを構築して行くのか?
即ち、”味方につけるか、付けないか”の極論的なる状況がしばらくは続くであろう。これは彼女たちがチョイスした「SPA発 ”モノトーンスリムパンツ”」に回答が読めるでしょう。
4)参考証言、いろいろ、;
証言-1/「先ず、作品の歴史的背景を解説した。1920年代と’30年代。この時代は深刻な経済不況、軍国主義のくびきのもとアジア侵略の戦争に突き進む日本を現代という時代性と結びつけた。
東シナ海、南シナ海周辺諸国におけるナショナリズムのエスカレーション軍事力拡大競争。金融危機の影響、安倍晋三首相の派手なイデオロギィー的言動と場当たり的な経済政策などなど、、、
『当時と今の状況は恐ろしくなる程共通点が在ります。新たな破局が訪れる条件が少しずつ揃いつつあるかのようです。』と彼、宮崎駿は言う。」
参考/“Le Monde ウイクリィーM"紙/1月18日付け:インタビュー「ハヤオ ミヤザキの最後の予言」から:
証言ー2/『クリントン政権下で労働長官を務めたロバート・ライシュ氏は、アメリカにおける格差の増大についての一本のドキュメンタリー映画
”Inequality For All /『皆の不平等』日本未公開”を'13年に公開した。
1978年にはアメリカ人の平均の賃金は年4万8000ドルだったのが、今日では購買力でもはや3万4000ドル相当にしかならない。それとは反対に、アメリカ人の上位1%の金持ち世帯の平均所得は1978年に39万3000ドルだったのが今では110万ドルに増えている。5年前には、人口の1%にあたる人々が国内総生産(GDP)増加分の90%を取り込み、99%の人々は残りの10%を分け合っていた。たった400人の裕福な人々が、貧しい1億5000万人が持っているのと同じ額の金を持っている。
しかし、アメリカでは徐々に格差と経済の停滞との関係が一般にも認められるようになってきたが、ヨーロッパではとりわけドイツではこうした考え方は相変わらず奇異なものと捉えられている。今の状況は、同じような富の集中を特徴とした歴史上のある時期のことを思い起こさせる。すなわち1920年代のことであり、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落と世界恐慌に
至った時代である。したがって、あらためて大多数の国民の貧困と経済的不振との因果関係を否定するとはどういうことか?
400人分の支出が、貧しいアメリカ人1億5000万人分の支出に届くことは決して無いだろう。所得が階層の頂点に集中すればするほど、国家の支出は縮小し、貯蓄や財政重視策にとっては有利になるが、生産への投資や雇用は犠牲にされる。大金持ちの資産が生産から得られるのではなく、付加価値から一層多量の天引きによって増加する時は、経済成長は減速する。そして、そのシステムは、その再生産の条件そのものを徐々に損なっていくのである。
”新自由主義”は資本主義をその危機から助け出すのだと主張していたが、実は危機に追いやっていたのである。だからわれわれが向かっているのは「新しい定常状態」ではない。”袋小路”なのだ。』
参照;http://www.diplo.jp/articles14/1403liberaux.html
証言-3/「一国の文明の解体と創成が、今生まれつつある瞬間ではないかと思っています。絶滅と創成が同時に来た。そして、今の日本に決定的に無くなってしまったものは、上品さと優雅さです。」/石牟礼道子著、映画『花の億土へ』(’14年)のメッセージから:
5)新たな『あり得るべきGOOD LIFE』という空気感の創成或いは
『ユートピア』構想;
では、戦後の”豊かな生活”とは、一体どのような状況の元で創成されたのだろうか?
その豊かさは市場の原理では確たる生活様式は作れなかったと言っても
良い。例えば、近代デザインを振り返ってみれば、19世紀のW.モリスの
”アート&クラフト”(赤い家)、’20年代の”バウハウス”のデザイン又、
’30年代のアメリカ合衆国における”ストリームデザイン”は単なる市場と言う事だけではなく、当時の”新たな生活様式”を総合的に全体として構築した事が解る。だから、たった一つのバウハウスの家具や自動車が新たな生活のメタファーになり得たのである。又、新たな道具や装置はそれだけで人々の生活や身振りを新しく作り出した。例えば、最近では電話から携帯電話へそして、iPhoneへの移行があろう。
近代デザインの実践とは単に、売れるからと言う様な安直な市場原理だけではなく、どの様な生活環境を構成すべきなのかと言う事を巡る様々な理念的な根拠を背景にしている。
それはどの様な家具や室内から住宅や建築そして都市に至る迄を計画しようとするものであった。これを欧米に真似て”近代化プロジェクト”と呼んで来た。しかし、結果的に見れば戦後の日本は少なくとも”プロジェクト”として生活のあり方を計画する事よりも、”消費”と言う事によって自分たちの生活とその生活感覚を形成して来たのである。
これは『あり得るべき新たな生活』を考えるプロジェクトによる”計画と管理”である、より戦後の荒廃した生活の必需性から始まりその後、”消費と市場”の論理によって戦後の僕たちの生活は作られて来た。
その”消費と市場”は全くの自由な思想的でもなく、解放区でもなくそこには”広告と情報”と言うディスクールやデザインによって動機付けられがなされ常に、意図的に”消費と市場”性のために構造化されて来たものであり、
これが『大衆消費社会』と言う迄の現代の社会構造を生み出した戦後の”豊かな生活”の根幹であった。』
*参照/『消費社会の生活とライフサイクル』柏木博著/20世紀の定義-7~2章/より。
そして、「近代デザイン」が誕生した'30年代とは、”新たなあり得るべき生活習慣を日常化する為の国家的『規格』を“アート&デザインマネージメント”で実際に具現化してゆくかを競いあう時代であった。
従って、これらの”近代化プロジェクト”ムーブメントを成功させた国家がそれぞれの時代の先端を担った国々であった。
これからの数年間は、PCや3Dプリンター等をより、新たな生活ギアとして『ヴァーチュアル=イメージ=リアリティ』の”新-三位一体”構造によって今後の21世紀中盤への『あり得るべき生活環境』=『習慣』を社会環境化してゆくかが現実のデザインビジネスにおける目標になる。
もうひとつ、日本では今後の国政における政策上,”経済成長が格差を拡大する”事とは「所得格差」が広がる事でありこれは,取りも直さず,一般
国民の日常生活における『ハレとケ』の世界が新たな意味を持つ事である。この新たな”日常生活における「ハレとケ」”の『習慣』化は前述の「エンターテイメント観光産業/カジノ=IR法案」の登場が具体的な引き金になるだろう。そこでは「日常着」の世界と「お遊び着」による新たなる『習慣』としての『あり得るべきGOOD LIFE』構想も必然となる。
即ち、『新たなあり得るべきライフスタイリング』を生み出す為の空気感を考える事が時代性と感じています。
親によって与えられた“豊かさ”から、次なるあなたたち、自分世代たちの”豊かな生活”とは?“マイルドヤンキー”たちの迎えるべき新たなあり得るべきライフスタイリングとは?
そこにこれからの”デザイン作業”が必然となると言う視点です。
そのオリジナルは、『’30年代からのアメリカにおける近代デザイン運動』でしょう。この辺りを今後の日本のデザインテーマとして考えていますが、本来、日本人がもう一度、立ち返らなければならない”中継点”を無視して、行かなくても良いバニティな表層的なる生活様式へ、今後一直線に向かってしまうのではないだろうか?という”バニティな消費文化”構造。
そこには本来の日本人が自負出来た”躾”や”立ち居振る舞い”などに品性や品格を漂わせる迄に、新たに進化した日本人が育つ可能性が有るのだろうか?
ここで、もう一度これからの日本人の為の“ユートピア”思想を考えてみる必要性もこの時代の新しさでしょう。
“ユートピア”とは、”人間理性と倫理”への信頼を基礎とした人間の描く
理想社会のビジョンだからです。
参考サイト/
*バレー雑誌/
https://www.shinshokan.co.jp/mag/mag_new.html?SRC_CAT_S_ID=2010020
*「もしかして地元のヤンキーの方が幸せ!?」/地方出身大卒者の不安」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140218/259926/?P=1&rt=nocnt
*日経デザインより/
http://netstore.nikkeibp.co.jp/welcome/nbo.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Farticle%2Finterview%2F20140218%2F259926%2F%3FP%3D1
*マイルドヤンキー賞賛とその先にあるもの、
http://www.huffingtonpost.jp/gen-shibayama/mild-yankee_b_5005067.html
*日本人の9割がヤンキーになる/
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37682
*「ヤンキー」とは?/
http://homepage2.nifty.com/osiete/s730.htm
参考書籍/
『流線形シンドローム』原克著:紀伊国屋書店刊:
『世界が土曜の夜の夢なら』/斉藤環著:角川書店刊
『ヤンキー化する日本』/斉藤環著:角川書店刊
『ヤンキー経済 消費の主役-新保守層の正体』/原田洋平著:博報堂生活総合研究所刊
文責/平川武治:
初稿/2014年5月;
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