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"TheLEPLI"ARCHIVES-37/     新たな僕のモードへの眼差しそして、新たなファッションの『夢』への願い。

初稿/2010-07-01:
文責/平川武治:

  最近、考えていた事、
そして、新たな僕の眼差し。

  或る意味でのこれからの時代における”新しさ”即ち、“差異”、これは消費社会の必然的価値要素ですからね、洗濯機も掃除機も冷蔵庫も新たなテクノロジーに可能性がある分だけ今後も、「新商品」が開発され、そのためのデザインが必要である。例えば、最近のダイソン社の扇風機が凄いですね!!

 この新しさを考えた場合、特に、このモードの世界のイノベーションは『テクノロジー』が今後の、唯一の大きな可能性ではないでしょうか?
 もちろん、もう一つは、『着る人の情報』という”リアリティ”でしょう。

 『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』。
それらを”本質”としての『自分の世界観』でもって、この三位一体の発想が極めて自分的そして、人間的あれば”時代”が表現出来る。
時代に恩返しが出来る。
ここでは、”エゴ”に委ねるだけではいけません。

  ———そんな眼差しに今でも想いが残るのはもう1年前になってしまうのですが、あのPITTI UOMOでの”UNDER COVER”のコレクションでした。

 このような時代、即ち、個人が持ち得たパーソナルメディアの結果、我々の社会は『POPの泡沫化』でしかないのですから個々のエゴは普遍化し当然ですが、類似化するしかないのです。
そして、最後はかなりのスピードにて、消滅してしまう迄の現代。
ですから、ありきたりな人並みな生活現実とバーチャル体験から生まれる”エゴ”にはもう然程、創造性高きカオスは望めないでしょう。
 ここで、”自分の自然体”への月謝が払われるか?責任感が?、という問題定義にも。
 だから、このレベルでの”エゴ”と称されるものは只の”業”でしかない。
従って、純な”エゴ”を他者より強く、多く例えば、200%出せばそれは社会へ届く可能性があるという事ですね。

 ここに『夢』の在り方と立場が、想いが。
それに何のために、何に、自らの”エゴ”を持ち出すか?が大切な自分の創造者としての責任と立場です。
ここで、『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』、この三位一体のためにカオスとしての”エゴ”。

 此の様な時代性になってしまうと、
『テクノロジー』はヒューマニスティックなバランスを超えています。
 『テクノロジー』を認めない、認めたくない人たちが『良心的環境主義者』としてその自らの立場を肯定し始めている。
この場合の『テクノロジー』についての意識と技術と思いが、全くと言ってよい程、日本のファッション教育で遅れてしまっている。
従って当然、今の服を作る若い人たちに欠如していること。

 例えば、自分の『手』を信じられる迄に手を使って来たのか? 
使いたいのか? 修練して来たのか?
これも、一番解り易い自分自身が持ち得た『テクノロジー』の一つ。

 即ち、”ヒューマンテクノロジー”の世界、それと解り易い”サイエンステクノロジー”の世界。
これらの調和ある融合が今後のモードをより、愉しく豊かな夢あるものへ
導くであろう。

 ”自我”もテクノロジーの変容器官の一つ。
ファッションの場合の『テクノロジー』はその殆どが”素材の開発”に委ねられ、目を向けられていますが、本当は、服を作ると言う工程を分解すれば、”縫う、編む、折る、切る、貼る、繋ぐ、紡ぐ”などの諸技術が必要になって造られるのが1着の”服”であるはず。しかし、これらが変わらずに『ミシン』中心に委ねられて来た世界。

 もう一つ、着る”身体”にも『テクノロジー』は存在している。
身体の”構造機能、拡張機能、性機能ともしかしたら、こゝろにも”。
例えば、”テクノロジー”は資本主義が消えても、社会主義が消えても国家が無くなっても残り、動き続けて存在して行くものでしょう。

 『身体』と『製品としての服』それに『素材』。
これらそれぞれに新たなテクノロジーと古いテクノロジーが人間を想うこゝろで僕たちらしい新たな調和と融合の世界を。

  或る意味で、『危機の時代』。
すべての根拠が失われ始めた現代と言う「POPの泡沫化現象」状態で新たなものを創ると言う行為を開始するとしたら『産みの苦しみと覚悟』に懸け、委ねる事が新たなる勇気ある選択、これこそが新しい時代を生む迄のエッポクメイキング足りうるでしょう。

 ファッションの人たちに今欠如している眼差しの一つに、”イノベーション発想”があります。
 その一つに、『テクノロジー』への関わり方があるのではないだろうか?
どうしても、『素材』そのものの新しさに委ねてしまって、服を作る事の『本質』を考えなければならない『産みの苦しみと覚悟』が欠如してしまっている。
 新たな『テクノロジー』と新たな発想での『バランス-オブ-テクノロジー』が生まれなければ所詮、ファッションはすべて、ここ1世紀を超えても未だ、”ミシン”と”アイロン”を使っての『WRAPPING-PAPERE』−包装紙の領域。
 そして、このコンセプトは変わらぬ”FAMME OBJECTS"と"HOMME OBJECTS"。(最近のCdGを見ていても残念乍ら、これは感じてしまう)

 いろいろな『諸テクノロジー』とその新たな生活環境と「手」の調和を考えたバランス観が加われば、この現在の閉鎖的なるファッションの世界にも可能性ある、豊穣なる世界観が誕生するのではないだろうか? 
そして、新たなる『夢』が宿るのでしょう。

 考えてみれば、この発想による世界観は従来の日本人が最も得意とし、発達させて来た分野だったでしょう。
「パクれるものはパクって」、そこに自分たちだけの発想と器用さとこだわりが使われていればそれはもう、オリジナリティを持ち得る迄の現実に。
 極論を言ってしまえば、”アッセンブリ”の世界である。
例えば、『ファッションにおける日本式ケイタイを創る』論理である。
ここが可能性あるスタートでしょう。

 こんな事を考え今シーズンのメンズコレクションを見ていました。

 この兆しは確実に、最近のメンズコレクションでも着る身体を『ソフト-プロテクション』する側からまた、都市をバイクで徘徊するアウトドアーレジデンサーズへの新しい視点でテクノロジーに挑戦し始めた若手たちが輝き始めた。
 RAD HOURANI:
 ROMAIN KREMER:
   VISVIM
   UNDER COVER : 
   RAF SIMONS :

 参考サイト/
日本繊維機械学会:http://wwwsoc.nii.ac.jp/tmsj/japan/index.html
テクノ手芸ウエブ:http://www.techno-shugei.com/
Dashing Tweeds : http://www.dashingtweeds.co.uk/
Dr.Jenny Tillotson : http://www.smartsecondskin.com/main/
WearAbleTechnologies : http://www.loop.ph/bin/view/Openloop/  WearAbleTechnologies#NEW_developments
St.Martins College of Art & design : http://www.csm.arts.ac.uk/
Elisabeth de Senneville /art-couture : http://www.e2senneville.com/

初稿/2010年07月01日:
文責/平川武治:

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