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ARCHIVES-20-2/ 試論、『14歳のためのモード論』 そのー1。

「世界で騒がれている一流ファッションデザイナーたちは、女性の美しさをどのように定義して、表現できるのか?」

初稿/2008-04-08;
再稿/2022-03-03;
文責/平川武治;

1)「”ファッションデザイナー”という職業は、決して、”アーティスト”ではありません。」/
 ”ファッションデザイナー”は「服」という消費財をデザインする職業人です。彼らは自分たちのデザインのために「創造のための発想」の領域、ショーイングやイメージングにおいて、”芸術的”感覚と創造性を発揮することはありますが、デザイナーは芸術品を作りません。”ファッションデザイナー”は「生活に、よりときめきを与え豊かにする」ための”消費財”としての「服」をデザイン•ディレクションする職業です。

2)ファッションデザイナーたちは”流行/トレンド”は作りません。/
 このファッションビジネスに大事な”トレンド”を生み出すのは世界中の素材メーカーたちで、1年先の素材情報を自分たちのビジネスのために提案する構造が出来上がっているのです。例えば、パリを中心に考えると、年2回開催される、”プルミエール ビジョン”という素材展がこの機能と構造を担っています。この毎シーズの”プルミエール ビジョン”で発信される最新の
素材情報を”トレンド”として、素材展を訪れる企業デザイナーたちや個人デザイナーたちが素材を選び、ビジネスを考え、与えられた”トレンド情報”というフレームを”安全枠”として、その中で自分たちの世界観やイメージをデザインするのです。

3)”Femme Objects"という眼差しがコンセプト。/
 ファッションデザイナーという職業の人たちは、ある意味『選ばれたる人』に成りたい為、または成りきって独断と偏見を自分流に定義し、その時代時代に身勝手な女性像を作り出して来ました。
 その多くの根拠はそれぞれが持ち得た「時代観と社会性そして、モラル」を基盤にした、”Femme Objects"という眼差しの女性像です。そこにはデザイナーという当事者たちが持ち得た知性と教養と文化、そして美意識と問題意識、それに大切な個人の人間性を拠り所に、彼らたちの極めて個人的な「眼差し」が存在しているはずです。
 それらを自分たちの好きな世界、それが『モード』というステージの上で自分たちの好きな又は、興味ある女性たちへ『服』という消費財に表現しているのでしょう。
 これが僕が30年以上の経験で得た、理解出来た案外、間違って知ってしまっている「ファッションデザイナーとは?」の教科書的な答えです。

4)着る女性たちはなぜ、ファッションに興味を持つのでしょうか?/
 では、着る女性たちはなぜ、ファッションに興味を持ってこれらのデザイナーと称する人たちが造った『服』を着るのでしょうか?
 結局は、自分自身の為です。自分自身の『存在』の在り方や有り様の”プレゼンテーション”のためと、その見られ方の為でしょう。
 少し前までは、’90年台へ入ってからの10年間ほどでしたが、自分自身の生き方を表現出来るという迄の”価値観の世界”も存在し必要でしたが、今ではもっと端的に総て自分の為です。それを身じかには、家族や友人たち、仕事や学校でそして男友達たちと恋人たちへ。それに自分自身の為に”ときめきたい”という感情と”繋がりたい”という願望が、より強いよりどころになりました。

5)彼女たちの美の根拠は、女性の美しさは、感情は?/
 しかし、それらの美の根拠は、女性の美しさは、感情は?本来、着る女性その人自身が作り出すものです。従って、着る女性は自らの『美意識』を持っている必要性が大切でしょう。優しい心の在り方も必要でしょう。それをよりどころに、自分の『在り方や有り様』を身近に、自分流に日替わりメニューよろしく、プレゼンテーションが出来得る日常的な消費財が今のファッションのレベルなのです。もう少し、レベルを高くして言えば、いわゆる、西洋社会ではキリスト教をベースにしたキリスト教世界の価値観とモラルと、そして美意識を哲学化した「西洋美学」による”美と文化”があります。日本では本来、仏教を基盤とした世界での”仏教美学”があり、それをよりどころとした美意識と美があり、当然ですが文化もあります。きっと、アラブの世界でもそうでしょう。アフリカのマサイ族の世界もピグミー族の世界も、アンデスのインディアンたちの世界にも、異民族が持つ異文化を根幹に、各地域の言語がある限り、文化もその数だけあり、美意識や美も違ってあるでしょう。(雑誌、”ナショナルジオグラフィック”の世界です。”ヴォーグ”だけの世界ではありません。)従って、”美人観”もその数だけあるのが当たり前です。少数民族の女性たちの美しさを想い起こしてください。

6)ファッションデザイナーたちはペテン師か道化師か手品師たちです。/
ファッションデザイナーたちは、自分たちの形態言語を駆使して上手な嘘を誰もが判るようにまた、判らぬように上手にカッコ良く『虚/イメージ』を造ります。それが結果、幸せや喜びを呼ぶ事に通じれば、楽しさやときめきを与えられることが役割であると自負する、技を持った職業人たちです。
 これを自らが判ってやっている人たちが世界のメディアを騒がせられる「有名ファッションデザイナー」たちです。彼らたちは自分の役割を熟知し、楽しんでやっています。

7)「水は高きから低きへ流れる。」/
 それらに拍手を送る人たちとは有識階級(クラース)の人たちから、今では世代に関係なく、大衆と、アイデンティティの薄い人たちやコンプレックスの多い人たちが”変身/メタモルフォーゼ”を求めてお手軽に彼らたちのペテンや道化に乗かって、メディアを通じて拍手喝采する。
 自らが内蔵してしまった『張りボテ人形』をどうやって、カッコ付けてイキがって自分の『在り方や有り様』を身近に、と気にしている人たちが大半になって来たようです。結果、「ブランド」(銘柄)志向化が始まり”モノの世界”へ走ってしまっているだけの大衆消費者たちが誕生したのです。
 これが現実の”モードの保守化”のレベルであり、社会そのものでしょう。
どうか、皆さん本人が輝いて下さい。その輝きがより、他人を輝かせます。
その結果が笑顔になります。それが自信ある”美しさ”です。

8)ここで、『自灯明塔/じとうみょうとう』という言葉を。/
 日本人が神社仏閣へ参拝した折に必ず、目にするものの一つに、「石とうろう」がありますね。石とうろうに刻まれている文字はこの「自灯明塔/じとうみょうとうが多いです。この意味は、「自ら、あかりを灯す塔」
仏教的解釈をすれば、「自らがあかりを灯していれば、闇はない。闇があるから禍や災難が起こるのだ。」というものです。
 自然には未だ、変らぬ美しさがあります。自然を観てください。自然を大切にしてください。そして、自然と親しんでください。
 ここに日本人の”こゝろのともり”があります。自分が輝いて下さい。その為には何が大切か?まさに、「自灯明塔/じとうみょうとうです。

読んでくださって、ありがとう。
華かすむ鎌倉で。

文責/平川武治:
初稿/2008-04-08;
再稿/2022-03-03;

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