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平川武治のノオトブログ”The Lepli”   アーカイヴー12;           初稿/2005-03-03日記。

今回は、初稿が2005年3月に書かれたものです。
「”2005年の1、2月の行動記”ベルリン、パリ、イェール、ルセーン、東京など等の体験と考えたこと。」
文責/平川武治:

 今日のインデックス;
◯はじめに;
1)ベルリンの新たなファッションの動き。;
2)モードにおけるグローバリゼーションとローカリゼーション;

3)巴里モードの今後への方向性;
4)ヨーロッパで行われている幾つかのファッション•コンテストについ      て、;
5)”夢”のため or”ビジネス”のため?日本人デザイナーの海外進出と       は;
6)なぜ日本のモードは文化となり得ないのでしょうか?;


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 ◯はじめに;

 僕は戦後の「大衆消費社会」が、「監視資本主義」の元で「監視消費社会化」へ向かい始める大いなる”不安元年”の始まりだと今年の冒頭に覚悟し始めました。例えば、昨年、5月27日に決議された「スマートシティ構想」や12月16日の「GIGAスクール構想」の今年は始動元年でもあります。
これらのために、今回の組閣で新たに登場したのが、「5G」利権の表官庁としての「デジタル庁」の登場ですね。
 今後の日本国の状況は、何ら「NEW NORMAL/新しい普通」とは無関係に、依然変わらぬ”合衆国版シナリオ”による「格差社会」と「拝金資本主義」の拡大化が進行しているだけでしょう。そして、これからの子供たちが、「監視資本主義」という新たな息苦しい、閉塞社会の中で「安心、安全で自由に(?)」生きてゆかなければならなくなるでしょう。これらに対しての国民のリアルな肉声も未だ、日本メディアは取り上げていません。
 皆さん、来年はもう少し、”自國の政治”の動き方に敏感にセンスよく関わっていきませんか?
 今回の”ブログLe Pli/アーカイブ"はちょうど、15年前のものです。
グローバリズムがスタートして5年も経ち始めると、このモードの世界にも色々な変化が見え始めたことを感じてくださればと。
文責/平川武治:令和2年12月28日記:

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1)ベルリンの新たなファッションの動き。;
 ドイツのベルリンで、一昨年の秋からファッションフェアがはじまっています。中でも規模が大きいのが「ブレッド&バター(B&B)」所謂、ファッショントレードショーで、多くの人が注目しています。そしてこれを中心に、若い人が参加できる「プルミエール」や既製服のフェアも含め、5つくらいのファッションフェアが3日~1週間の期間で行われています。
 '92年に壁がなくなって、二つの構造を持った都市が一つになり、世界では最も大きい都市であるメトロポリスの割には土地単価が安く、まだ空き地があります。さらに、ドイツはもともと既製服に強く、工場が沢山ありました。工場があれば、素材屋も多く、フランクフルトでは今も素材の見本市が行われています。また、ファッション科を有する国立の工科大学が街の両端に2つ、他にも私立の学校など、ファッション教育の環境もあります。戦後のベルリンは、歴史的観点から言えば、ナチスの関係で一番ユダヤ人のいない街でしたが、60年経って、現在は戦前以上のユダヤ人たちの大都市になっています。そのような環境で、従来からあったユダヤ人産業の一つとしてのファッション産業に、彼らたちのジュニア世代が当然のように音楽を中心にしたストリートカルチャーの一つとしてファッションに興味を持ち、返り咲いて来たわけです。”B&B”のテイストは、ストリートカジュアル。来客は、イタリア、東欧、北欧人が中心。日本のバイヤーもそれなりのお店は、熱心にここまでバイニング・ウオッチングに来ています。今年はユナイテッドアローズやミッドウエスト、巴里・三菱なども来ていました。日本のジャーナリストはほとんどが未だ行っていないのではないでしょうか。この”B&B”では、イタリーからのデザイナーやブランドが多く出店していることも、ここの特徴でしょう。なぜイタリア人出店者が多いのかというと、今イタリアでもシューズとストリートカジュアルが前面に出てきていて、かつての”イタ•カジ”ブームを再度起こそうとしているファッションピープルが興味とジェラシーをもって訪れて、サンプル買いしているのではないかと思います。もしかすると、あの70年代後半のイタリアンカジュアルのように”ベルリン・カジュアルムーブメント”が起こる可能性がありそうです。この背景には「アジダス」や「Y-3」それに従来からの「古着」マーケットと共に、巴里で活躍し始めたドイツ系デザイナーたち、”B.ベルンハート”や”ブレス”、”ルーツ”たちが大きな存在になっていることも確かです。関心したのはやはり、このような規模のファッションイベントをやることによって当然ですが都市の経済効率が伸びるということです。ベルリン市自体がファッションフェアを大々的にバックアップしているため、海外のバイヤーが沢山、来ています。(ただこの状態がいつまで続くか?という不安は払拭できませんが)またEUでは今、”都市のプライオリティ”を競い合っています。”フランスにおけるパリからユーロにおけるパリ”、”イタリアにおけるミラノからユーロにおけるミラノ”となってくると広い範囲での経済競争が起こります。競い合いながら、産業経済をどう回していくかということが大事で、そこでファッションもいい対象素材になってくる。多分、このベルリンも一つのアイデアとして、ファッションで”都市のプライオリティ”を持ちたいのだと思います。
 ベルリンの街は成長段階にあって、沢山の可能性を持っています。この4~5年、近代建築がどんどん建っています。また、”現代アートやグラフィティ、音楽&クラブシーンなど”、この街ならではのユースカルチャーも盛んで、”ストリートカジュアル・ファッション”を形成する要素が整っているのでしょう。これらのユースカルチャーの面白さの所以は、「自由な発想で、自由な情報で、作りたいものを作る」精神と環境がこの街を豊穣にしているのでしょう。例えば、セントマーチンで勉強した日本人の青年は、卒業後イタリアで2年間で細々と自分のものづくりをしていましたが、ベルリンの方が自分の発想を具現化できるという現実的な条件で去年の暮れからベルリンに移り住んで可能性をいっぱいに、活躍し始めています。
 そして、CdGの”ゲリラショップ”の1号店出店もこの街からだったはずです。

2)モードにおけるグローバリゼーションとローカリゼーション;
 ファッションの世界の現在は、”グローバリゼーションとローカリゼーションのバランス化”がデザイン面とビジネス面、全てにおいて重要になっています。ベルリンが自分達のローカリゼーションを軸としてフェアをやって、結果的にはグローバルな市場に組み込まれていくというこの関係が経済の発展発達のモデルだと思います。ファッションとは、都市環境に左右されるものです。それからモードとしての様式、即ちここでは”ストリートカジュアルファッション”がこれらの環境から必然的に誕生するという現実が面白い経済関係を生み出すのです。
 このファッションのビジネスにおいて、具体的には’92年グッチ以降のグローバリゼーション。ーGAP、ZARA、H&MなどSPA企業が巨大なメーカーになっていることを見ても明らかです。一方、クリエイティビティの分野ではローカリゼーションの視点が大事になってきます。自分達のローカリティーをどのような形で作品化、オリジナル化するか。ここでは、今は「パリから距離」を持った人達がモノを作った方が面白いと言えます。例えば、ここ10年間でアントワープの人達が巴里の仲間入りしたという勘違いをしている事が目につき始めていますが、実際には「巴里からの距離感」の差異と拡散が、自分達のアイデンティティの確立を表現することが大切な創造になってきています。日本人も自分達のローカリゼーションを確りと認識した上でヨーロッパへ進出するのであれば、それは彼らが活路を見出すのに有効な方法かもしれません。所謂、自分たちの”風土と時代”によって育まれた”ジャポニズム”が白人社会が持つ”異国趣味/エキゾティズム”という美意識の一つに引っかかるからでしょう。最近では、”ストリート•ジャポニズム”を引っ提げてきた、"UNDER COVER”が好例でしょう。
 前回のメンズコレクションを例にしてみると、”作る側のグローバリゼーション”の好例としては、CdG H.P. とJUNYA Man でしょうか?ハードな山岳ウエア、スキーウエア,ポンチョなど、全天候型の”アウトドア スポーツ”アイテム群をモードに上手く、落とし込んでいます。いかに異業種とリンクし、結果、”コラボレーション”として彼らたちが培ってきたプロの技術を共有して、自分達の新しさを”モードの世界”でビジネスして行くか、という方法論を具現しました。この新たな”モードのコラボ”という流れは今後より進化して行くでしょう。

3)巴里モードの今後への方向性;
 パリのモードの人たちが、その方向性を変えようとしています。
現在、ラグジュアリーブランドでは、確実に”服のランウエー”でイメージを作り、そのイメージの効果で、コスメ、靴、バッグ、貴金属としてのジュエリーと豪華な時計を売っています。彼らのメゾン全ての”広告塔の役割と包装紙”が彼らの”服”の役割になりました。現在では、どこのラグジュアリィーメゾンも広告素材としてモードがあり、商材としては前述の雑貨、コスメが中心となっています。ほとんどのメゾンが服では儲けていないと言い切れるくらいの世界が今新しいのでしょう。
 そこで、巴里の”クチュール•プレタポルテ”をディレクションする”サンディカ/組合”の人達が、クチュールテイストを形に出来る若い人材を前に出していこうとしています。巴里がモードのキャピタルとして存続するには、自分達が歴史をもって作り上げてきたオート•クチュールの世界を死守していくしかないのです。その為には、新しい感覚を持ったクチュール予備軍デザイナーを育てることが必要なのです。巴里のファッションの世界では、”アントワープ=コンセプチュアル”なものよりは、純粋に”エレガントなオートクチュール”を創造できる人を求めているのが現在です。もっと言えば、ただ昔と同じことをやるのではなく、「クラシックな手法・技術を新しいコンセプトによって、どう持ち込むか?」の時代性であり、「新しい手法を新しいコンセプト」で創作しても、もはや新しくない。例えば、現在の「デジ・カメ」が良い例でしょう。技術の発達によって誰が撮ってもピンボケがしない。これはある意味でクリエーションではなく、新しくはありません。
 現在の「ファッションの世界」での”創造”は、すでに人間の身体の形状が変わらない限り、造形的に新しいもの造形はかなり、”至難の技”になりつつあります。だから、現在のモードにおける新しさとは、「素材感とバランス感」が大切な発想になっているのです。これは、「モードの世界」の創造性は「オート•クチュールの世界」における”創作の根幹”へ戻り始めたと読めるでしょう。そして、「モードの世界」は”オート•リバース”という時代性なのでしょう。

4)ヨーロッパで行われている幾つかのファッション•コンテストについて、;
 南仏、コートダジュールのイェール市で毎年、4月末から5月初めの4日間に行われる「フェスティバル・ド・イエール」は、今年で20年目を迎え盛大にその内容も進化させている。先の10年目から運営実行委員をやっているこの街の青年たちが、パリ•サンディカのチェアマンやボードメンバーとリンクするようになり、以後この「フェスティバル・ド・イエール」がパリの新人デザイナーの登竜門的なコンテストとなっています。
 疎らですが、日本人も審査に残るようになってきていますし、最近では大手企業が協賛し始め200万円単位で賞金を出しています。(LVMH,YSL,ロレアルグループや、”123”、など等。)僕が審査員で呼ばれた’98年頃はまだ、”賞金”はなく、”ブリキでできた盾”と”ブーケ”だけでした。
 この「フェスティバル・ド・イエール」の素晴らしさの一つは、招かれる審査員がジャーナリスト、デザイナー、アタッシュドプレス、バイヤーたちで、彼らたちとこのイェールの街で4日間、みんなが一緒に昼夜行われる”コンテスト•イベント”や”ディナーパーティ”に参加出来る事でしょう。そしてそこで、若いデザイナーたちが独立しパリでコレクションを行なってゆくために、”出会わなければならない人たち”と出会えるチャンスがある事も、もう一つの他のコンテストにない素晴らしさでしょう。”出会うべき人たちと出会える”と言うご褒美は若いデザイナーたちにとっては、とても自信と可能性を与えてくれる素晴らしいアイディアのファッション コンテストです。
 審査内容は、「コンセプト+イメージング+プレゼンテーション」を中心に、どれほどのオリジナリティある”自分世界”の具現化が問われ、各自が与えられたブースにおいてのプレゼンテーションを中心に、コミュニケーションをとって審査がなされる。あと、この「フェスティバル・ド・イエール」の特異性として、”イェールとパリ モード”が繋がった事であろう。この「フェスティバル・ド・イエール」のトップ•チェアーマンがパリ•サンディカのM.ディディエ グランバッグという構造が出来上がっているのです。したがって彼、ディディエがサンディカのチェアーマンに収まった折に、彼が成した事の一つが、「自分のオフィスの窓を開けて、”イエール”からの”新しい風”を入れ始めた」事なのでした。それによって、この「フェスティバル・ド・イエール」で何かの賞を貰えば、ジャーナリストは自分のメディアで彼らたちのことを書いてあげ、バイヤーは自分の店のウインドウで作品をディスプレーしてあげる。もし、受賞デザイナーがショーをやる気であれば、”プレスエージェント”は彼らたちのプレス業務を見てあげる等のオプションが準備され、優遇されて憧れ「パリ•コレ」へ実際ウエルカムが可能な素晴らしい仕組みと構造になっているのです。例えば昨年の11月、パリのサンディカの連中は今後進出するべき中国へ向けて、自分達はこれだけの若い優秀なデザイナーを有しているということを北京でプレゼンテーションしていて、そのほとんどの若手デザイナーは先ほど述べた、”クチュールテイスト”がこなせるこの「フェスティバル・ド・イエール」出身のデザイナーたちでした。この若手の”パリ•コレ”デザイナーたちの”北京プレゼンテーション”には二つの目的がありました。表の目的は、「今、”パリ•コレ”の若手デザイナーたちの世界観をモード後進国であった中国へショーイングを行うこと。」そして、裏では、「中国の安価な素材と豊かな生産構造の取り込みとそれによって可能な”セカンドライン ビジネスの確立構想”があったのです。
 その他にも、ヨーロッパにはいいコンテストが沢山あります。”スイステキスタイル組合”が中心となって主催している「GWAND」。僕はここでも審査員をやっていますが、ロンドンのロイヤルアカデミー、パリのスタジオ・ベルソーそれに、アントワープやブリュッセルのラ カンブルなど、世界のファッション・スクールの代表校が競い合う部門と、スイスの若手デザイナーのコンペティション部門で構成されています。ここでは、昨年の招待デザイナー、ラフ・ シモンズ、ソフィア・ココサラキ、ハイダー・アッカーマン、イーリー・キシモトも参加しています。この「GWAND」では、”スイステキスタイル組合”の素材を使ってもらうことがこのコンぺティションのミッションですから、スイス製の高級シルクや麻、コットンがメインのご褒美になります。確か、ハイダーくんはここでご褒美にもらった”素材と賞金”で自分のブランドをスタートさせましたね。それから、イタリアのトリエスタでは、最近始まったもので、”DIESEL社が主催する「IT'S」があります。このコンペティションのミッションは、世界のファッション学生たちの中から才能豊かな学生を探し、彼らたちにその”夢”ある可能性を与えることであり、もう一つは”DIESEL社”のためのデザイナー探しと”青田刈り”でもあります。元ミッテルモーダで行われていた素材中心のコンペティションをオーガナイズしていた女性が広告代理店と組んで誕生した、なかなかビジネス臭さがプンプンする”企画コンペティション”ではあるのですが、”DIESEL社”がこれに乗って行なったこと自体がある意味で、懐の深い企業だと感じましたし、対象がヨオロッパだけではなく、世界中のファッション学生を対象としたグローバルな発想は新しいですね。ここでも毎年日本人が何人か入選しています。先月ここのディレクターが東京を訪れ、幾つかの学校を回っています。いろいろなファッション学生のコンペティションに呼ばれている僕も、ファッション企業が直接このようなコンペティションを主催して行う時代になったと言う意外性を楽しみました。

5)「夢」のため?or「ビジネス」のため?日本人デザイナーの海外進出とは;
 最初から結論を言いますが、パリ、ミラノその他、海外でファッションショーをやってみたいという人は増えていますが、まず日本で儲けて、その使い方としては海外進出もあるだろうと私は思います。誰にも可能性はありますが、それが世界で通用するかという次の問題になります。日本の留学生がよく勘違いしているのは、海外の学校へ行ったら現地で就職できると思っていることです。”教育機関”は外国人を歓迎するかもしれませんが、ビジネスの世界ではそうはいきません。外国人に対しては厳しいです。極論すると、日本人一人を雇えばフランス人が一人失業することになります。それでも必要とされる高い能力とタレント性がないと難しいと言うことが事実です。
  一方、ビジネスだけを考えた展示会参加は、また別の次元です。パリは”世界のモードのショーケース”です。なので、この世界は変わらず、賑わっています。ユーロが高く、ヨーロッパ市場が活発でない中で、世界のファッション市場はアメリカ、アジア、特に日本中心ですが、今後は中国もインドもそして、中東もその大きな可能性となっています。
 「時代が進化」することとは、生活者たちの”豊かさ”に現れることです。だから諸国によって、この「豊かさの差異」がありますから、ファッションビジネスはそのカテゴリィーの違いがあってもまだまだ、”発展途上産業”でしょう。個人の夢で海外に行っても、才能があって目立つ存在となれば、ファッションマフィアに喰い潰される怖さもあります。それぞれ個人が持ちえた”夢”でなく、現実の成功のために行く。だけど、現実を知る情報や教育
機関もないのが現状の日本ですね、これは行政の怠慢の一つでしょう。

6)なぜ日本のモードは文化となり得ないのでしょうか?;
 結論は「”消費文化”にまみれ込まれてしまった世界を選択してしまったためです。」あるいは「”有名になって儲けたい”または、”儲けて有名になりたい”輩たちの世界を見つけてしまった」ためでしょう。
 そもそも「今の日本の文化とは何か?」と問われても不明です。
「消費文化」と言う言葉があります。消費することが文化だと言われていますが、そうではない。これはわかりやすい金儲けのための”文化論”でしょう。強いてあげれば、可能性があるとすれば、日本のオリジナリティーが感じられる”アニメ・ゲーム産業”のコンテンツ分野が現代の日本文化の新しさでしょう。敢えて、提言すれば、「今、新しい”豊かさのスタンダード”を作らないと、日本の真の文化の強さは生み出せないでしょう。」
 物質的豊かさを享受した今の若者は「何でもあり」「何でも出来る」状態である為に、やりたいことにフォーカスが絞りきれず、逆に「何にも出来ない」状態。折角の”自由”を使い切れず、持て余したり、放棄したりの状態が多いのも現在の日本人像でしょう。例えば、ファッションデザイナーに限って言っても、まずはインテレクチュアルな発想や知識があってデザイナーであるべきですね。”情報とトレンド、サンプル”さえあれば、日本にはまだ生産背景がある為に”作る”ことはできます。例えば、ジャン・コクトーを読んでいなくても、ボードレールを知らなくても日本ではデザイナーになれる。そして、それなりのモノが作れればある程度は儲かる。ある程度儲かれば、メディアはお金で動くところです。
 冒頭の「消費文化」とは、このような”お金で抱き込まれた世界”の一つでしょう。それから、センターポールとなる秀でた人が出ても、ジャーナリズムによって食いつぶされてしまうケースがあります。例えば、彼らを強かにガードしてきたから”川久保玲”は生き残っているのです。日本においては今後、世界に通用するデザイナーの一人である”川久保玲”の一人勝ちでしょう。デザインは”アートの世界”ではありませんなので、”売れる仕掛け”を作るのが”デザイナー”です。そのツールとしてデザインがあるだけでしょう。”川久保玲の仕事”とを熟視しているとこの根幹が理解でき、彼女がなぜ”一人勝ち”しているのかが理解できます。
 今、日本人デザイナーたちは、日本市場を制覇しない限り、”資本”は稼げません。日本人は国内で売れる仕組みこそ作るべきなのです。その上で、世界に通用するファッションビジネスシステムと人材を育てる必要があります。パタンナーは優秀な人が多く、実際世界で通用しています。従って、今大事な視点は、まずビジネスを強化すべきです。ビジネスに通じれば、”文化”がどのように必要だということが十分に理解ができるはずです。 
「持ち得た”夢”にもコストが掛かる時代です。」
合掌。
文責/平川武治:
初稿/2005-03-03 :


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