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E-a/シリーズ-7/”フクシマ”を『風化』させないために。-僕たちの國が穢されました。 『3.11/東日本大震災と東京電力福島原子力発電所における企業事故災』 で学んだ事。

文責/平川武治:
初稿/2011年6月11日:
 
 『結論から言えば、これは我々日本人が選ばれた根幹は、
”神=自然の啓示”であるという未来を思う発想を願って。』

*はじめに/
 事故後3ヶ月が経た今も
「恐怖と不安そして、無念さと悔しさ,悲しみと哀れさ」に
こゝろ同じくする者たちは
今回の”3.11/東日本大震災”という思いもよらない過大な自然災害により
東京電力福島原子力発電所における企業事故が併発し、
この想像を絶する事故の大きさと悲惨さの現実を知れば知る程に
又、この事故が及ぼす今後の僕たちの母国日本に
及ぼされるであろう諸被害と多くの悪影響を考えると
僕たちには何が出来る事なのか? 
 そして、何をしなければならない事なのか?を意志強く自問し続け、
そこから、僕たちに出来る事を見つけ出さねばならない。

 即ち、それぞれの『立ち居場所』を、
ここには決して、見えている表層の哀れみにのみこゝろを囚われる事なく、
冷静に強く謙虚に受け止め、真に学び、
これからの僕たちの國への新たな可能性を
そして,僕たちの國を想うこゝろと共に、
それぞれが新たな日本人としての『こゝろの在り様』を
見つけ出さなければならない。
ゆえに、「がんばろう、日本」レベルだけではダメなのである。

**僕が学んだ事とは。/
1.)『国が、国土が、海が、国民が穢された。』
2.)『天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、自らの”立ち居場所”を見つけられた。』
3.)『「地盤や地殻構造の違い」によって、どの様な物でも、総てが変貌する。』
4.)『知った事に対して、何をしなければならないか?』
5.)『”リスク"の範囲が変革した。』
6.)『「新しさが変わる」”新しさ=モダン⇒近代”が変る。20世紀は終った。』
7.)『"無知"、"無関心"ほど恐ろしいものはない。』
8.)『戦後の日本国は依然、変わらぬ”アメリカのポチ”。』
9.)『「大和こゝろ」を持った国家戦略シナリオが書けるアーキテクチュアーが不在。』
10.)『僕たちは”イエロー”であり”大和こころ”を持っている。』
11.)『「育ち、表層、深層」それぞれのボキャブラリィーが何事にも存在する。』
12.)『”立ち居場所”を捜し始める。そのための”品格”と”決断”が、
自由さと勇気。そして、責任が必要。』
13.)『2025年へ向けた”ビルダーバーグ・グループ”の眼差しは?』
14.)『日本という國には原子力発電所という“商品”は不適格品だからいらない。』
15.) 『原発の怖さ。人間のエゴの怖さ。』

 これらについての想いを数回に分けて書いてみます。
どうか、みなさまの思いと比較、対比されて今後の可能性へのために!!

1.)『国が、国土が、海が、国民が穢された。』
 僕たちの国土が、再び、穢された。
この百年も経たぬうちで3度目の沈痛極まりない出来事である。
 先の2度の”穢れ”は敵国によってであった。
忘れていないであろう『広島』、世界最初の原子爆弾の投下と、
続く『長崎』。
 結果の「大東亜戦争」敗戦と続く、その敗戦処理によって
日本人本来の魂が抜かれてしまうまでの”穢れ”。
 しかし、今回の”穢れ”は同胞たち即ち、僕たちと同じ日本人による
しかも、”教養あり、社会的立場を持った、高収入を得てそれなりの生活
暮らしぶりを”していた人たちによる、
彼らの思惑と自信と傲慢さと驕りによって”穢された”、
とてつもなく悲痛激しい辛い事故である。
 僕たちの國、日本は自然と共に、自然の恩恵を受け自然と共棲し
そして、自然と戦いもし乍ら、2千5百年程を生かされ続けて来た
『日出ずる国』日本であった。
その一部分である東北地方が
今回のような悲惨で罪深きダメージを蒙ってしまった。
 自分の國に想いを寄せるこゝろがあるならば、
今後の國体を念い労るならば、このようにこの”原発企業事故災害”を
悲痛な心境で受け止めてしまって当然であろう。
 事故後、当事者たち、関係者たち、政治家たち、傍観者たちの多くが
メディアへ登場しているが、
その大半の人たちからは、
彼らたちのこゝろの在り様が感じられない、見えない。
 自分たちの國を、母国を”穢した”という
本心と自覚があっての発言では無い。
彼らたちなりの立場と役割上の責任回避的なる
言葉の羅列でしか受け止められないものばかりであった。
 これが結果、「メディアは何も本当のことを伝えない。」と
感じ、読まれてしまった最大の原因であっただろう。
 そして、今後の僕たちの國体と同胞の事、
そこに生活する若き世代と赤児たちの未来の現実が
どのようになってゆくのだろうかと考えると
悲痛なこゝろの想いでこの3ヶ月程を過ごした。
 その裏には「僕たちの世代が、あの時に、もっとどうにかしていれば」という自責の念が消える事なく大きくなり乍ら。

2.)『天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、自らの”立ち居場所”を見つけられた。』
 今回、被災地を幾度か訪れになられた
天皇、皇后両陛下を初めとした皇室ご一家の報道を観ていると案外素直に
このような事を感じた。
 天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、今回のご行為を通じて
戦後、初めて自らの”立ち居場所”を実感として
見つけられたのではないだろうか。
 戦後、敗戦国の戦争責任者としての天皇、皇后と皇室ご一家は
『国民の象徴』という包装紙としての”立ち居場所”を
GHQによって与えられた。
寧ろ、命じられてこの与えられた役割に穏便に徹して来られた
65年間でいらっしゃったであろう。
 しかし、今回のこの『3.11/東日本大震災』の被災者たちを
見舞われた報道を観て、
あのように被災者の人たちと同じレベルの床に膝まつかれて
差し伸べられる手と励まし交わされる言葉は
『人間天皇』以外の何ものでもなかった。
 このような考えは生意気で失礼であるかも知れないが、
今回の一連の天皇、皇后両陛下を初めとした皇室ご一家の
被災者たちを見舞われた行為によって
見舞われた被災者たちもそうであっただろうが、
何よりもその行為によって
当事者となられた天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が
戦後66年目にして初めてご自分たちの 
”立ち居場所”をご確認為されたのではないだろうか?
 これは今後の日本国のために或る意味ではもの凄い事であり、
大いなる新たな可能性を産み出す根源にもなるはずであろう。
 しかし、当然であろうが、メディアはその光景のみを報道して、
その本意は決して報道しなかった。

文責/平川武治。
初稿/2011年6月11日。

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