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C-KDI-2 桑沢デザイン研究所ファッション科デジュメ2008年用テーマ;「ファッションと社会性」その2; 「パリ・ヨオロッパのモードに於ける、新たなる環境と風景。」

 はじめに/ 
 この講義では僕のパリを軸にしたヨオロッパ各地での自らの体験と経験と出会いをもとに若い学生たちへ話しました。

コンテンツ/
1)グローバリゼーションとローカリゼーション/
2)パリモードの方向性/

3)ベルリンのファッション新事情。/
4)ヨーロッパのコンテストいろいろ、/
5)日本デザイナーの海外進出の現実は?/
6)なぜ日本のモードは文化となり得ないか?/
7)「創造のための発想」の新しい変化とは?/ 
8)「21世紀」と言う今の新しさとは?/
9)「パリ・コレクションで見る、21世紀の黎明感」/


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1)グローバリゼーションとローカリゼーション/
 ファッションの見方として、グローバリゼーションとローカリゼーションのバランスというのが、発想面とビジネス面、全てにおいて重要になっています。後述の”ベルリン”が自分達のローカリゼーションを軸としてフェアをやって、結果的にはグローバルな市場に組み込まれていくというこの関係が、経済の発展発達のモデルだと思います。ファッションとは、都市環境に左右されるものです。それからモードとしての様式即ち、ここではストリートカジュアルファッションがこれらの環境から必然的に誕生するという現実が面白い経済関係になっています。ビジネスにおいては具体的には’92年グッチ以降のグローバリゼーション。GAP、ZARA、H&M、ユニクロなど”SPA企業”が巨大なメーカーになっていることを見ても明らかです。
 一方、クリエイティビティの分野では、ローカリゼーションの視点が大事になってきます。自分達のローカリティーをどのような形で作品化、オリジナル化するか。今は「パリから距離」を持った人達がものを作った方が面白いと言えます。例えば、北欧発の H &Mなどですね。ここ10年間でアントワープの人達がパリの仲間入りしたという勘違いをしていることが目につき始めていますが、拡散したところで自分達のアイデンティティを表現することが大切です。日本人も、自分達のローカリゼーションをしっかり持った上でヨーロッパへ進出するのであれば、それは彼らの活路を見出すのに有効な方法かもしれません。それぞれの”ジャポネズム”ですね。
 作る側のグローバリゼーションの好例としては、前回のメンズコレクションは、コム・デギャルソン・オム・プリュスとジュンヤワタナベ、コム・デ・ギャルソンシャツが挙げられます。山岳ウエア、スキーウエア、カーウェイ(雨合羽)など、全天候型のスポーツ、アウトドアものをワールドワイドな専門メーカーとの”コラボレーション”という新たな手法によって、モードに落とし込んでいます。いかに異業種とリンクして彼らたちの培ってきた技術を共有して、自分達の新しさを持ち得ていくかという方法論を体現しました。

2)パリモードの方向性/
 パリのモードの人たちが、その方向性を変えようとしています。
現在、ラグジュアリーブランドでは確実に”服”でイメージを作って、そのイメージの効果で、コスメ、靴、バッグ、貴金属としてのジュエリーと豪華な時計を売っています。彼らのその全ての広告塔の役割が”服”です。どこも広告素材としての”モード”があり、主商材としては前述の雑貨、コスメが中心となっています。ほとんどが服では儲けていないと言い切れるくらいです。
 そこで、パリのプレタポルテをディレクションするサンディカの人達が、クチュールテイストを形に出来る若い人材を前に出していこうとしています。パリが”モードのキャピタル”として存続するには、自分達が歴史をもって作り上げてきた”オートクチュールの世界”を死守していくしかないのです。その為には、新しい感覚を持った、オートクチュール予備軍デザイナーを育てることが必要なのです。パリのファッション業界では、アントワープ的=コンセプチュアルなものよりは、純粋にエレガントなオートクチュールを体現できる人を求めているのが現在です。もっと言えば、ただ昔と同じことをやるのではなく、「クラシックな手法・技術を新しいコンセプトにどう持ち込むか」。新しい手法を新しいコンセプトでやっても、もはや新しくない。例えば、現在の「デジ・カメ」が良い例でしょう。技術の発達によって誰が撮ってもピンボケがしない。これはある意味でクリエーションではなく、新しくはありません。ファッションの世界での創造は、すでに人間の体形が変わらない限り、造形的に新しいものはありません。だから、現在のモードにおける新しさとは、「素材感とバランス感」が大切な発想になっているのです。

3)ベルリンのファッション新事情。/
 ドイツのベルリンで、一昨年の秋からファッションフェアがはじまっています。中でも規模が大きいのが「ブレッド&バター(B&B)」。いわゆるファッショントレードショーで、多くの人が注目しています。そしてこれを中心に若い人が参加できる「プルミエール」や従来からの既製服のフェアも含め、10個以上のファッションフェアが3日〜1週間の期間で開催されています。これで、関心したのはやはり、ひとつのファッションイベントをやることによって、都市の経済的効率が伸びるということです。ベルリン市自体がファッションフェアを大々的にバックアップしているので、海外のバイヤーが沢山来ます。またEUでは今、”都市のプライオリティ”を競い合っています。フランスにおけるパリからユーロにおけるパリ、イタリアにおけるミラノからユーロにおけるミラノ、となってくると広い範囲での経済競争が起こります。競い合いながら、産業経済をどう回していくかということが大事で、そこでファッションもいい対象産業になってくる。多分、このベルリンもひとつのアイデアとして、ファッションで都市のプライオリティを上げたいということだと思います。

4)ヨーロッパのコンテストいろいろ、/
 ここで皆さんに興味あることの一つとして、ヨオロッパにおける”ファッションコンテスト”の現場を僕の審査体験からお話ししましょう。
 フランスの南、コートダジュールで行われる「フェスティバル・ド・イエール」は、今年で25年目。10年目から運営委員をやっている連中が、パリのファッション組合のチェアマンやボードメンバーとリンクするようになり以後、ここがパリのデザイナーの登竜門的なコンテストとなっています。日本人も審査に残るようになってきていますし、最近では大手企業が協賛し始め、200万円単位で賞金を出しています。(LVMH,YSL,ロレアルグループ、123、など)面白いのは、審査員がジャーナリスト、デザイナー、アタッシュドプレス、バイヤーたちで、入賞した若手デザイナーたちが”独立”した時に知っていなければならない人たち、職種の連中がイメージングなどを大切にし、プレゼンテーションを中心にしたコミュニケーションをとっての審査がなされています。例えば、昨年の11月にはパリのサンディカの連中は今後進出するべき中国へ向けて、自分達はこれだけの若い優秀なデザイナーを有しているということを北京でプレゼンテーションしていますが、そのほとんどの若手デザイナーは先ほど述べた、”クチュールテイスト”がこなせるこの”イェール・フェステイバル”出身のデザイナーたちでした。
 その他にも、ヨーロッパには、いいコンテストが沢山あります。スイステキスタイルが中心となって主催している「GWAND」。ここも審査員をやっていますが、ロンドンロイヤルアカデミー、パリスタジオ・ベルソー、アントワープなど、世界のファッション・スクールの代表者が競い合う部門と、スイスの若手デザイナーのコンペティション部門で構成されています。昨年は、”ラフシモンズ”、”ソフィア・ココサラキ”、”ハイダー・アッカーマン”、”イーリー・キシモト”も参加しています。それから、イタリアのトリエスタでは、ディーゼル社が主催する「IT'S」があります。このコンテストは世界中のファッション学生を対象としたもので、ここでも毎年、日本人が何人か入選しています。先月、ここのディレクターが東京を訪れ”青田刈り”的に学校を回っています。

5)日本デザイナーの海外進出の現実は?/
 パリ、ミラノその他海外でファッションショーをやってみたいという人は増えていますが、まず日本で儲けて、その使い方としては、海外進出もあるだろうと私は思います。誰にも可能性はありますが、それが世界で通用するかという次の問題になります。
 日本の留学生がよく勘違いしているのは、向こうの学校へ行ったら現地で就職できると思っていることです。教育機関は外国人を歓迎するかもしれませんが、ビジネスではそうはいきません。外国人に対しては厳しいです。極論すると、日本人一人を雇えばフランス人が一人失業することになります。それでも必要とされる高い才能や能力がないと難しい。一方、ビジネスだけを考えた展示会参加はまた別の次元です。ユーロが高く、ヨーロッパ市場が活発でない中で世界のファッション市場はアメリカ、アジア、特に日本となっています。”個人の夢”で海外に行っても、才能があって目立つ存在となれば、ファッションマフィアに食いつぶされる危惧もあります。夢でなく現実の成功のために行く。だけどその世界の現実を知る情報、教育機関もないのが現状の日本です。

6)なぜ日本のモードは文化となり得ないか?/
 そもそも「今の日本の文化とは何か?」と問われても不明です。消費することが文化だと言われていますが、そうではない。可能性があるとすれば、日本のオリジナリティーが感じられるアニメ・ゲーム産業の分野くらいです。今、新しい豊かさのスタンダードを作らないと、日本的な強さは生み出せないでしょう。物質的豊かさを享受した今の若者は「何でもあり」「何でも出来る」である為に、やりたいことにフォーカスが絞りきれず、逆に「何にも出来ない」状態、自由さを放棄した状態が多いと想います。”ファッションデザイナー”であっても、まずは、インテレクチュアルな発想があってデザイナーであるべきです。今の日本のように、情報と流行、サンプルさえあれば、素材・生産背景がある為に作ることはできます。例えばジャン・コクトーを読んでいなくても、ボードレールを知らなくても、日本ではデザイナーになれる。そして、それなりのモノが作れれば、ある程度儲かる。ある程度儲かればメディアを抱きこめてしまうのです。それから、センターポールとなるいい人が出ても、ジャーナリズムによって食いつぶされてしまうケースがあります。それらをしつこくガードしてきたから”コムデギャルソン”は生き残っているのです。日本においては、世界に通用するデザイナーとしては「御三家デザイナー」と称されている彼らたち特に、川久保玲の一人勝ちです。”好きなファッションの世界”で、売れる仕掛けを作るのがデザイナーです。そのツールとしてデザインがあるだけ。嘗ての「コムデ、ヨウジ」が売りまくったように今、日本市場を制覇しない限り、”資金”は稼げません。日本人は国内で売れる仕組みこそ作るべきなのです。その上で、世界に通用するファッションビジネスマンを育てる必要があります。パタンナーは優秀な人が多く、実際世界で通用しています。まずビジネスを強化すべきです。ビジネスが分かれば、文化が必要だということが分かるはずです。

7)「創造のための発想」の新しい変化とは?/ 
 他人が作った「イメージ」を元に、そのイメージに自分の思いや世界観や時代観を美意識や問題意識、気分などをイメージングして作られた作品群。これは総て、20世紀のアイコンが誕生したときの「創造のための発想」であった。「イメージ」が「リアリティ」を生み得た時代性がそこには存在したからだ。未だ、未来が信じられ、その未知なる、未来をイメージングすることから「リアリティ」が誕生し、人々の生活に希望と輝きと夢とそして現実が誕生した時代であったから、そして、未だ「イメージ」に差異が存在した時代でも在った20世紀だったのでしょう。そして、結局、20世紀とは「時間をコントロールする」ことで「差異」という”価値”が生まれその「差異」から”儲けられる構造”を作った時代。だから、”トレンド”が価値を持った時代でしたね。

8)「21世紀」と言う今の新しさとは?/
 多くの人々は、持ち得たそれぞれの「豊かさ」によって既に、それなりの「リアリティ」を持ち得てしまった時代が始まりました。そこでは個が”アーカイヴ”を持ちえてしまっている21世紀です。誰でもが「イメージ」をケイタイで、デジカメで、簡単に創ることが出来るようになった”自由で豊かな時代”。「イメージ」がメディアによって垂れ流され、氾濫してしまっている時代でもあります。メディアがイメージを発信すればすぐさま、それらのイメージは消費されてしまう時代性。ここでは「イメージ」に”差異”が無くなり始めてしまった時代でしょう。「グローバリズム、グローバリゼーション」「情報、メディアそしてエンタテーメント」総てがこのフレームの中へ収められる、収められようとしている”新たなるコロニアルリズム/新・植民地主義”がこのグローバリズムの正体ですね。これらを「イメージ」でバーチャル化する事がグローバリズムの手法。そして、未来が然程、信じられなくなった現実を知ってしまった時代。未来は持ち得た「リアリティ」と「ノスタルジア」から探さなければ見つからなくなったことを解ってしまった世代ですね。ここではもう、「イメージ」が「リアリティ」を生まなくなった時代性であり、「リアリティ」が新たな「イメージ」を生むまでの時代がこの”21世紀の正体”でしょう。だから、若い世代は「イメージ」を「バーチュアルにコントロールする」ことをしたがる。ここでは「イメージ」を管理することが価値を生む、金が儲かる新たな時代。従って、「イメージの上塗り」で作られたものはもう、既に終わってしまっている「20世紀末期のアイコン」は 悪趣味で虚飾で、非現実でしかなく、一過性そして、”足し算のデザイン”でしたね。したがって、「21世紀のアイコン」とは、自ら持ち得た「リアリティ」をベースに、”美意識、世界観、時代観、問題意識や時代の気分”を”妄想”して築き上げる世界。これで生まれたものが「21世紀のアイコン」。
ーーーMTV,「NANA」、ケイタイ、i-POT, ホリエモン、三木谷、akiba,
そして、 LVMH、K.ラガーフェルド、総ては、"ディズニーランド"が始まり。

9)「パリ・コレクションで見る、21世紀の黎明感」/
 今年の”パリコレのオムコレクション”も、ファムコレクションもやっと、新たな世紀の始まりを感じさすまでの息吹と鼓動が感じられるそれであった。オムは2極化した進路をそのマーケットがそうであるように、”ゲイマーケット”がここ2年来冷めてしまったこと。彼らゲイたちは健康管理と共に直截な身体改造により興味を覚え始め多くの彼らたちはジム通いによって、自らの身体そのものを均整美の取れたまるでギリシャ彫刻のごとくに鍛え上げる。そのためにもう鍛え上げられた身体をどれだけシンプルに、ノーマルにより、ダイレクトに見せ見せ合うかへの流れ。”タトゥー”のこれほどまでの流行がその現実の一部ですね。もう一つはそのターゲットの多くは若者たちであるが、当然のごとく音楽が時代の表層をファッションよりも直接的にエモーショナルに表層化することを耳と身体で楽しみ始める。そこでは、ファッションは完全に「MTV」をヴィジュアル化しただけのものとなった。即ち、「マスキュリン・ダンディズムの世界」と、「MTVのモード化」へと特化し始めた「ファッションD.J.」が活躍のシーズン。そして、現代における若者の「男の役割」が完全にか弱く、優しく、従順なただの”ヤンキー”の不良ぽっさと、そして、ヴィジュアリティに富む男へ変化したこと。もう一方はどれだけ経済力あってマッチョでセックスが強く紳士的であるかの役割に特化し始めた時代性は、若者の「時代の身体つき」は”DIOR HOMME”に代表される、より細く、虚ろでイメージに生きているだけのようなまるで、A.ジャコメッティの彫刻のように細長いシルエットと化し音楽を身体化し始める。マッチョな男の「時代の身体つきは」クラッシックなマスキュリン・シルエットをより、ラグジュアリーにジェントルな粋さを身体化するかへと、”G.ロジェェ”や”HERMES・HOMME”で代表された。
 他方、ファムの場合は、彼女たちの「時代の身体つき」が崩れ始めた。30も半ばになり始めた彼女たちは生活の「豊かさ」から美食美酒に走り、だぶつき始めた身体をエステやジムに通って、ここでも彼女たちは生の身体を先ず、苦労しながら改造し始めると共に強整補整という手段までもがアウター化し始め、そこへモードは新しさを見出し、ゆだね始めた。最近の彼女たちの履いているジーンズはハイテク化による素材とパターンメイキングによって、まるでデニムで作られたコルセットの機能を持ってしまった。ここまでのパンツの進化はこれも21世紀のアイコンの一つ。しかし、不思議と、デザイナーたちが出すパンツは未だこのパターンが遅れている。今シーズンの早いデザイナーたちはこの「崩れ始めた身体」を「RE-ボディコンシャス」化してゆくかのプロローグに経ち始めた。崩れ始めた「時代の身体つき」をファッションで一生懸命にもとのバランスへ矯正補整しようと彼女たちは自らの身体を風呂敷のごとき布で縛り始める。(無論、そのお手本に‘84,5年のA・アライアが存在している。ファッションをより、3Dで捉えられるかのマジックが。)ここまで来ると”スポーツ着や下着”からの同じコンセプトである「PROTECTS、PROTECTIONS」で更にもう一段階へと、”SEX・SHOP”で売られているような”フェティシュ”なもののアウター化へとその新しい兆しと冒険を楽しみ始めた。もう一度、自らの「リアリティ」としての「ボディ」を考え始め、身体を遊んだパリコレのデザイナーたち。”R.オーエン”、”UNDERCOVER”、”CdG”、”BLESS”、”B.ウイルヘルム”、”バレンシャガ”、”J.渡辺”、”H.チャラヤン”、”A.マックイーンと”M .M.M.”など、。

文責/平川武治:
初稿/2007〜2009年:

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