誠実も生きるためのひとつのポーズ――小川さやか著『都市を生きぬくための狡知』

「やってみればわかる」と古着を手渡されたところから始まる。その後、何百もの取引先を抱え、自分の店を持つまでになったというから驚きだ。

アフリカの路上商人についてのフィールドワークをまとめた『都市を生きぬくための狡知』を読んだ。著者の文化人類学者の小川さやかさんは、タンザニアの都市ムワンザで自ら商人となった。

商いは古着の販売だ。古着をまとめて仕入れる卸売商と、それを一般の客に販売する小売商によるマリ・カウリという取引が行われている。小売商は卸売商から古着を掛売りで提供してもらい、売れるごとに代金の一部を卸売商に返す。卸売商にとって、何の担保もなく小売商に古着を渡すのは、持ち逃げされてしまうリスクがある(身元もよくわからない人が多い)が、大部分の小売商は持ち逃げすることなく、継続的に販売を繰り返す。

そこには絶妙な駆け引きがある。ドライなビジネス関係でもなく、親族同士のような密着した関係でもなく、それぞれが自立した仲間としてバランスを保つ。その秘訣は、互いの期待に応えながら、その期待を裏切り続けることだ。小売商は卸を助けるような行動をするかと思えば、自分の利益のために嘘をついたり、援助や割引を要求したりもする。

簡単に割り切れない。真の持続可能な関係とはこういうものかもしれない。

商人の間で使われるウジャンジャという考え方もおもしろい。ずる賢い、みたいなニュアンスで、タイトルの「狡知」もここから来ている。商売をうまくやるための機転のようなもので、このウジャウジャを持つことが行商人たちの誇りになっている。

例えば、ある者は、大柄な人にはまずスタイリッシュな普通サイズの服を試着させ、だめだとわかったところで、大きめの古着を提案する。大型サイズの古着は一般的に安値で売られているが、いったん流行の服の試着することで、次に選ぶ大きな古着は高くても売れるのだ。

先の小売と卸との駆け引きもウジャウジャの一種だ。ウジャウジャを使って一杯食わされることは仲間内では悪く思われず、むしろ尊敬の対象になる。

キャラ作りにも近いものがある。ある人が大柄な服を専門的に集めることによって商売に活路を見出すと、それはその人の「ポーズ」とみなされ、周りのライバル商人もそれを尊重して協力する。

商売だけに限らない。例えば、著者は調査の一環として商人に聞き取りを行うが、そのとき相手の発言に対して、大げさに驚いてみせたりすることがある。気持ちよく話してもらうことで、さらに話を引き出そうとする、半ば無意識のリアクションだ。それを見ていた仲間の商人は指摘する。「それが君のウジャウジャだ」。

つまり、生き残るためにうまくやる知恵がウジャウジャなのだ。規範やモラルが先にあるわけでもなく、最小の労力で売上を最大化しようというビジネスに振り切れることもなく、社会で生き残るために(生き続けるために)生み出される知恵。それをリスペクトするのがこの古着商の世界であり、おそらく他の世界にも共通していることなのだろう。

少し気持ちが軽くなった気がする。人間社会の中ではちょっとずる賢く立ち回ってもいいし、誠実に振る舞ってもいい。誠実も生きるためのひとつのポーズに過ぎない。自分なりのウジャウジャなのである。自分のウジャンジャで世の中を渡っていけばいい。渡っていくしかない。何が生き残るかは誰にもわからない。

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