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遠い記憶①

長く、治癒しない傷がある。
我慢のできない痒みを伴った、触れると痛覚を刺激する傷だ。
患部は熟れた林檎のように赤黒く腫れ、その内側には膿が溜まった。
そのおかげで歩行は困難になり、足を引きずるようにしか歩けなくなった。
患部周辺の皮膚を揉むと、どろどろとした膿が濃い血液とともに溢れ出る。
そのうち、いつの間にか傷口はまるで阿蘇のカルデラのように、広く、深く陥没してしまっていた。

子どもの頃、昆虫採集に熱中した。
ちょうど、世界に分布しているカブトムシやクワガタが格好良くデザインされたカードを用いジャンケンで戦わせる1回100円のアーケードゲームが全盛期を迎えていた頃で、隣町のショッピングセンターのゲームコーナーに足繁く通い、カード集めをしていた。
野生の昆虫にも興味の矛先は向いていた。
当時住んでいた家のすぐ横が神社だったので、学校から帰ったら宿題には一切手をつけず虫取り網片手に駆け回った。こぢんまりとした神社ではあったが、実にいろいろな虫がいた。クワガタムシ、コガネムシ、チョウ、タマムシ、カミキリムシなど、目につく虫を捕まえて帰っては図鑑でその名前を調べていた。
中でもとりわけクワガタムシに心惹かれ、世界のクワガタムシが載っているページをしょっちゅう眺めていた(おかげで今でもある程度のカブトムシ、クワガタムシは名前が分かる)。

当時、地元の少年野球チームに入っていたが、正直なところ、当時、野球というスポーツにはそれほど熱心に打ち込んだわけではなかった。子どもながらにみんなと一緒に野球をやることには楽しさを感じていたのだが、1日中練習をして泥だらけになるより、昆虫採集をしていたいといつも思っていた。
僕の所属していたチームでは、気候が温暖な春から秋にかけての毎週水曜日に「ナイター」といって夜間にグラウンドのナイター(照明)を灯して練習していた。右翼手であった僕は、右中間への深い打球を取りに行くのを楽しみにしていた。
とはいえ、そのプレーに関しては、てんてんと転がるボールに追いつくために必死に走らねばならずしんどいし、なにせ外野の後ろには誰も守っていないので後逸すると長打になってしまう。そのため、普通の野球少年であればできるだけ避けたいプレーのはずだ。
でも、その右中間にはライトのポジションから1番近い照明があった。手早くボールを拾いカットマンに投げ返して自分のプレーを終わらせ、定位置に戻るまでの間の僅かな時間。その時間が当時の僕にとって一番集中する一瞬であった。コーチたちにバレないように、あくまで小走りで戻っているように見せつつ目線と注意は足元に注ぎ、落ちている昆虫を探すのだ。
よく整備されたダイヤモンドに比べ、外野の定位置から外れたグラウンドの奥には雑草がまだらに生えている。そのため、黒色であることが多い甲虫を見つけるためにはよくよく目を凝らさねばならないのだ。しかしながら、目当ての虫たちがそう都合よく落ちているわけはなく、見つかる虫のそのほとんどがよく名前の知らない小さい羽虫や蛾、コガネムシといった類で、クワガタムシなどが飛来するのは稀であった。
逆に言えば、そのなかなかお目にかかれないという希少性が僕を一層駆り立てていたのかもしれない。
僕は白球というより虫を追っていた。

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通っていた小学校にAくんという友達がいた。さらりとした薄茶色の髪の毛が特徴の、小柄ですばしっこい少年だった。全部で20人ほどしかいなかった僕の学年において、同じように昆虫採集に熱中していた稀有な一人である。少年野球こそやっていなかったが、彼も同じく前述のアーケードゲームに夢中になっていた。
そんな彼とはどういう経緯でよく話すようになったのか記憶は朧げではあるが、放課後によく遊んだ。彼の住む集落は広く、昆虫がよく集まるスポットがいくつかあった。その一つが、自動販売機が5台ほど並ぶ小さな休憩所のゴミ箱の底だった。網状になったステンレスで作られたゴミ箱の底から、捨てられた空き缶に残ったジュースや加糖コーヒーなどの様々な甘い液体が垂れて混ざり合い、夏の日本海から吹き付ける湿った潮風に蒸され、甘臭い複雑な香りを醸すのだ。そして、夜半煌々と光る自販機の明かりに誘われた虫たちが地面に落ちたあと、それを舐めに来るのである。
「あそこでな、ヒラタクワガタ捕まえたんやで」
と、Aくんは自慢げだった。
ヒラタクワガタとは文字通り扁平な見た目が特徴のクワガタムシで、マニアも多いオオクワガタや本州で一般的に見られるコクワガタと同じドルクス属の中に分類される甲虫である。Aくんがオオクワガタに次いで好むクワガタの一つであった。僕にとってもヒラタクワガタは図鑑でこそ見たことがあるものの、一度も捕まえたことのない虫だった。父親に聞いても、彼が子供の時分から自宅横の神社ではまず見かけたことがないとのことだった。

僕は、ヒラタクワガタを見たいと思った。

小学校低学年だったある日、父親の部屋の本棚で、分厚い写真集を見つけた。それは、昆虫写真家の栗林慧氏が、昆虫の目線をイメージし野山の虫たちを超至近距離で撮影したものをまとめた本だった。まだ幼かった自分がその本を開いて受けた衝撃を、今でもはっきりと覚えている。まるでページをめくる我々が蟻にでもなったかのようなアングル。普段は目につかない昆虫の細部の模様や構造。ぎょろりと剥き出しになった目。自分が強大な捕食者を目の前に為す術のない、食物連鎖の下層になってしまったかように錯覚する。昆虫という小さな存在に、命ある一つの生き物としての力強さをありありと感じた。
その日以降、自分自身が蟻サイズの小人になった気分で、遊ぶようになった。その時の僕にとっては、雑草の生えたなんでもない空き地や生垣、コンクリートの粗い凹凸など、全てが遊び場だった。僕にとって小さい草花は木で、色とりどりの石ころは岩。水溜りは湖だった。
特に何をするわけでもない。気がつくと僕の聴覚はあらゆる音をシャットアウトし、視覚は高さ3cmにズームしている。ただじっと、地面に腹這いになり、その小世界を旅するのだ。

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一時期、奇妙な夢を見ていた。

僕の家は日本海を臨む湾内の、小さな半島の山の裾野にへばりついた発色の悪い苔のような漁村の中にあった。東向きの窓からは日本海の青と、朝鮮半島近海からの夥しい漂着物で埋め尽くされた浜、そして海岸線に沿うように隣町へと伸びる国道が見える。
寝室にはベランダがあり、すぐ横の神社に茂る木々の枝葉を抜けたクリーム色の木漏れ陽が差し込む。5人暮らしの僕たち一家は4畳ほどの部屋に布団を敷き、川の字で雑魚寝をしていた。真ん中に寝る僕の正面には、針と数字がイエローの蛍光塗料で塗られた掛け時計がかかり、その右下には大人の腰ほどの高さの箪笥に置かれたブラウン管テレビと、キャラクター型の目覚まし時計があった。
日曜日の明け方(7時ぐらいだったと思う)に僕だけ目が覚める。横からは弟の寝息が聞こえ、部屋の中は薄い黄色と灰色が混ざったような明るさに包まれている。
仰向けに寝ていたので天井の木目が見えている、、はずなのだが、その状態になった時はきまって、まるで近くで覗き込んでいるようにテレビ横の目覚まし時計の秒針にくっきりと焦点が合っているのだ(立ち上がったり顔を動かしたりはしていない)。
秒針のコチ…コチ…という音がいやに大きく威圧的に聞こえ、頭の中にぐわんぐわんと響く。
でも僕はその秒針から目を離すことができない。それどころか、どんどん文字盤の中へと視点が寄っていくのだ(この時、眼球だけが浮遊しているような感覚になっている)。
いくらかの時間をかけて文字盤を見つめた後、最終的に、右下の「5」に焦点が合ったところでズームは止まることが多かった。明け方の淡い光の中で、ぼんやりとズームされた「5」。
そして、僕の記憶は途切れる。

さきに、「夢」と書いたが、実のところ夢ではなかったような気もする、というところが本音である。どうだったか必死に思い出そうとしても、それはかなわない。あまりに遠い記憶なのだ。

結局のところ、少年時代を通してヒラタクワガタは見つからなかった。

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