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所詮自分のためじゃないか

「甘いデニッシュにソフトクリームのったやつ」などで有名な珈琲チェーン店が我が地にもとうとうできるぞという噂を聞いてから数週間、とうに忘れていたんだけれどネットでその名前をみかけてああそういえばアレはどこにできるのかな?と調べてみれば見覚えのある駅。もう2度とここで降りることもないしあんまり思いだしたりしないだろうな。って思ってた駅。

毎日毎日お昼時をめがけてむかう目的地は、3歳と少しの幼子の手を引いてえっちらおっちらと地上までの駅の階段を登りきりさらにゆるゆるとした長い長い坂道の途中にあった。

あの夏はこの北の大地にしては近年稀に見る気温の高さで、地上に出たとたんにバァン!と熱気に顔面を殴られたような、そんな衝撃をうけるほどの暑さであった。おしゃべりが上手になってきた幼子は、私の手をぎっちりつかみつつ、『アチーネーどーどーじーじーたべたいねー?』などと言う。「どーどーじーじー」とは彼女の大好物、ヨーグルトのことである。何度教えても「どーどーじーじー」って言う。かわいいやらおかしいやらでキツめの日々にふとおちてくる癒やしでもある。おじいちゃんとこ着いたら買ってあげるよと言い、幼子とつないだ手にぎゅっと力をこめる。

前の晩から仕込んでおいた肉や魚の料理に火を通し、おむすびやいなり寿司やそんな運動会みたいな量も多めのお弁当をもって目的地につく。ひんやりと静かなエントランスをぬけてエレベーターで3階まであがり通い慣れつつある部屋にはいると、毎日ごめんねありがとうと迎えてくれるニコニコ元気そうな人と、もう多分おしゃべりすることができないし意思の疎通ができてるのかどうかわからないし、そしてあまりこの世での時間がのこされていない人が一人づついる。

幼子は5秒ほどの人見知りを経て『おばあーちゃーん!どーどーじーじー買いにいこう!』とじゃれつく。

『きのうより暑いですね』『きょうの様子はどうですか?』『 ごはんはとりの竜田揚げとなすの煮浸しといなり寿司です』『売店いきますか?』『洗濯物とってきましょうか』...........                                                            

もうここに通い始めて2週間にはなるのにいまだにわたしはちょっとした沈黙にも耐え難く不穏なものはみんな言葉でバンバン打ち倒すことができるんだぞみたいにべらべらべらべらしゃべり続けてしまう。あーあー落ち着けよってもうひとりのわたしにたしなめられながら。

完璧な空調と、昼時の病院にしては人の出入りがあまりないように思える静けさでいつもいつもどんなに夜寝ていたってここにくるとふんわりとした眠けにおそわれる。

ホスピスという場所のせいなのかひとたちは頻繁に見舞いにくるでもなく、患者さんたちは瀕死といえは瀕死なのだがそう悲惨なものでもなくなにかを超越しているような.....なんて勝手に思っていた。

まだ少しあたたかいお弁当を、病室に持ちこんだちっちゃなテーブルのうえに並べて冷たいお茶をいれる。ちょうど良い空調と遠くにパタパタ走る働く人の気配と、ブーン....ていう微かな機械音と、幼子のおしゃべり。

ただただすうすうと息をしてそれだけをし、天井をまっすぐにうつろにみつめ横たわる人をみながらわたしたちはこれからも活動してゆくために好みのあじをつけた栄養になる物、の咀嚼をくりかえす。


健康診断の結果、その進行の早い病の疑いがあるとがわかった時にギフはただただ、『腰の調子が悪いだけだから大丈夫』と言いなかなか再検査に行こうとはしなかったのだ。こわかったのかもしれないし大丈夫だと本気で思っていたのかもしれない。 近所の病院では手に負えないと言われて紹介を受けた大きな病院に転院したとたんにみるみる『元気』というものがなくなり表情がなくなりあっというまに意思表示もあいまいになりただ息をするだけみたいになってしまった。

ひとはこんなに簡単にこんな風になってしまうのかなほんとうは芝居なんじゃないのかな...なんて思うほどほんとうに本当にあっという間の出来事であった。

結局もう尽くす手は一本たりともないことが医者にもギボにもわたしにもわかりこのホスピスに移されたのだ。ギフだけはいつもなにも語らず半目ですうすうと息をする。

わたしの夫はこのギフ&ギボの息子である。

わたしたちは現在進行形でうまくいっていなかった。いまとなっては些細な喧嘩がはじまりで、どんどんボタンがずれていきそのうち直しても直してもしつけ糸でくくったようなボタンはどんどん千切れてどこかに転がっていってしまう。新しいボタンもどこに売っているのかも上手くさがせないうちに彼はほとんど家に帰ってこなくなってしまった。

ただそのことはギフにもギボにも告げることはできなかった。できないままギフの病が発覚し益々、現状を告げることもましてや相談することもできずに毎日毎日なにかをこしらえては坂道を登った。

『じゃあシャワー浴びてこようかなぁ』ギボは膝にのった幼子の口をおしぼりでごしごしふきながら言う。

ここには付き添いの家族用にちいさなシャワールームがあるのだ。ギボは24時間というかここ家?みたいに付き添っているため今のところ自宅に戻ることはないしゆっくりおふろにつかるなんてできなかった。ギフがときおりうなるような音を発して少し手をうごかすとそれはちょっとした吸引の合図で、それはギボが行う。そんな任務もあるためほんとうにつきっきりであった。わたしがきて、食事をして、10分もかからないでシャワーをすませて、幼子と売店で買ったおもちゃで遊んだりして、夕方わたしたちがかえると静かな長い長い夜をやり過ごしまた目覚める。そしてわたしが来る。繰り返す。繰り返していた。

『きょうは銭湯に行ってきたらどうでしょう。とても暑かったし。わたし見てますから。』ギボに提案してみる。病院の真向かいには古いながらも地元で長年愛されておりますので、といった風情の銭湯があるのだ。

『いいのよいいのよなにかあったら大変だし.....いやでも吸引もさっきすんだしやっぱり行こうかしら。おーちゃんも連れてね?』

ギボはちょっと明るい表情になってさくさくと準備をはじめる。看護師さんにちょっとそこまで出てきます。付き添いはいますからと告げる。すぐにもどってくるからね、とよこたわるギフの胸元をポンポンと軽く叩いて幼子の手をひき病室を出て行く。

どーどーじーじー!!とギボにせがむ甲高い声を遠くに聞きつつ、ベッドの横にのパイプ椅子を壁際までゴゴゴとよせ座る。

持ってきた文庫本をひらいてみたものの、はじめての大仕事!みたいな気持ちが胸を圧迫して文章は全然頭に入ってこなかった。ギフはうつろに目を半分ほど開け、眠っているのか起きているのかいまわたしがたったひとりで横にいることに気がついているのかいないのかただただすうすうと呼吸をしていた。

少し暑いな..とぼんやり感じながらウトウトしていたわたしの意識を覚醒させたのはう”う”う”......という妙な音。その音はギフの口元から発生している。『わぁ!どうしよう!』とっさに思ったのはそれだった。ギフは右手を少しだけ上げて目は閉じたまま『う”う”』と濁点でなにかを言っていた。わぁ!どうしよう!の次に思ったのは『こわいにげたいかえりたい』だっだ。

これは吸引してくれの合図なのか。

しかしわたしはなんにもできないやらない知らない泣きたい帰りたいめんどうを押し付けないでぜんぶいやだ!突然日々鬱屈と思い悩んでいた暗い感情が一気に噴き出してきて、すこし自分にびっくりして固まってしまった。

かろうじて、大丈夫ですか?お母さんもうすぐもどりますよ。などととんちんかなことを口走る。

するとギフの手がゆっくり元の位置にもどり呼吸もすうすうといつもの音に戻った。聞こえていたのかなにもかもが偶然だったのか。わたしの悪い感情を全て見透かしてしかたがないなと黙ったのか。

そんなことはあり得ないよ。

悪化した二人の関係を、いまのこの日々でなにか帳消しにできるような気持ちがあったのかもしれないわたしには。誰も見ていない道端のゴミを拾い続けて神様はきっと見ておられるんだから。と。そんな欺瞞に満ちた日々。

何も知らないギボは毎日わたしにとても感謝する。感謝されればされるほどそんな崇高なものではないんです。と叫びたくなった。

暑さももう頭打ちじゃないかねえなんて挨拶にも飽きた頃にギフは別の国に行ってしまった。

あの日以降、ますますギフの容態は不安定になり詳しい状況をきいても今ひとつすとんと理解できないまま。もうここまでだから!ってパタンと扉をしめるみたいに。

ずっとあの日のことを謝りたかった。ギフはぜんぶ知っていたのだろうか。わたしの狡猾や臆病を。

そんなことはあり得ないよ。

でもはっきり目をみて謝りたかった。

謝りたかった。


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