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今年度、

なんとなく、毎年の始め、あるいは年度の始めにすごく胸に引っかかる言葉に出会うことがここ数年続いている。

性癖に刺さる、とかそういうのとはまた違っていて、ささくれのようになんとなく引っかかってくる言葉なので、『これはきっと今年の私に必要な言葉』なんだと思うようになった。

去年、あるいは去年度は、
『言葉の力を信じすぎない、過信しない』
ということをすごく意識していた1年だった。

オンラインでのやりとりが増えるほどに、画面越しの相手の言葉が本当は何を伝えようとしているものなのか、を腐心することに始まって、最終的には、『今、目の前にいるこの相手は何を考えてこの言葉を発したのか』を前後の文脈と身体表現をもとに推測するひとりあそびをずっとやっていた。

その前も、さらにその前の年も、何かそういう類の言葉が自分の中にあって、それを念頭に動いていたはずなんだけどもう思い出せない。
しょうがない。
人は忘れる生き物。
忘れたのは、不要になったか、血肉になったかのどちらかだからだと思う。

今年は、頭の片隅にとどめている言葉がひとつ、それから行動を起こす時に意識している言葉がもうひとつ。

ひとつは、5月に本を読んだときに出会った言葉。

将来の問題のほとんどは、今日私たちが作っている解決策から生まれることになる。だから、今手にしている解決策に対して謙虚でなければならない。

面白いな、とおもった。
たしかに、石油もプラスチックも、生み出された時は、当時の課題を解決するための画期的なエネルギーであり、物質だったはずなんだよね。
それがやがて環境問題に変わる日が来るなんて思いもしなかったと思う。
ダイナマイトを発明したノーベルみたいに。

「こうだったらいいかも」をあれこれ試している数年なので、程度の差こそあれ、その時思いついた最適解がやがていつかの課題に変わる日がくる、ということはちゃんと覚えておきたいな、と思った。
日々老いて、日々変わって、時々成長したりする。
成果がいつか別の課題に変貌することは、珍しいことではない。


もうひとつは、『何をやらないかを決める』こと。
やりたいこと、やらなければならないこと、は書き出しても書き出しても終わらなくて、実は何をやらないか、を考える方がよっぽど時間を有効活用できる。
少なくともわたしにとっては、何を選ぶか、よりも、何を切り捨てるか、を考える事の方が性に合っていて、そうしたほうが趣味沼の時間もたくさん作れるとわかった。

これも5月に読んだ本に似たようなことが書いてあって(確か『数値化の鬼』とかいう本)、それで試しに実践してみたら意外とハマったので、今は自分なりにアレンジしたやり方で『やらないことを決めて日々を生きる』ということをやっていたりする。

やることがたくさんあるの、めんどうじゃない?笑


というわけであっという間に9月。
今年度も折り返し。

だいたいそんなかんじ。

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