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わたしがきらいなもの、こと。

私は割と好き嫌いのはっきりしている人間だと思う。
とはいえほとんどのことは基本的に「どうでもいい」か「割とどうでもいい」のどちらかに分類される。
そうして残りの1〜2割の明確な「好き」と「嫌い」が存在する。
人も、物も。

だから、数少ない「好き」はとてもとても大切にする。
そして、「嫌い」に対してはありとあらゆる手段で、直接的に、間接的に「嫌い」を伝えていくことにしている。

主語が大きい

いちばん嫌い。
この手のタイプの人は主語を大きくして話をすることで悦に入っていることも多いと思っている。
「あなたが」どう思うか聞いているのに、でっけー主語で主張・反論してきて自分を大きく見せようとしてくる。

きらい。

『普通』を押し付けてくる

これも嫌い。
クソデカ主語マンと甲乙つけがたい。

『常識は18歳までに培った偏見のコレクション』って言葉知ってるか?

あなたの普通、あるいは私の常識が、他の誰かにとっては異常で非常識なことなんてよくあること。
それを知らず普通を押し付けてくるこの手のタイプが嫌い。
ついでにこのタイプの人は、多くの場合「腹を割って話せば理解し合える、仲良くなれる」という根拠のない「普通」をこれまた押し付けてくる。
倍プッシュでうんざりだ。

人は物質的な意味では孤独な生命体で、個体として他の誰かと混じって溶け合うことなんてできない。
自分の中に取り込んだものすら、免疫機構によって弾かれて、敵認定されることがあるのに、腹割って話しただけで分かり合えるはずもない。
そんなに腹を割りたいのなら本当の意味で割腹してみたらいいのだ。無理だろ。

話の論点をすり替えてくる

これは嫌いというよりどちらかといえばめんどくさい。
なので極力関わり合いになりたくない。
そんな話してないよね?
…というのも3回も言えばもうお腹いっぱい。
それ以上はおくちが疲れてしまうので、言っても繰り返してくる相手には、相槌も打たず真顔で無言を貫くことにしている。

という具合に私の中には明確な「嫌い」の基準がある。
ここに触れてこない限りは「どうでもいい」か「割とどうでもいい」に分類されたまま。

先日この3つを全部ぶち抜いた上で、私の「好き」を傷つけられる事案が発生したので、ここ数日色々と考えながら過ごしている。

だいたいそんな感じ。

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