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ネタバレあり『希望と絶望』ライブ後のフィードバックに関する所感

※作中にあったライブ後のメンバーへのフィードバックに対するネガな内容です。不快な方はブラウザバック推奨です。
※劇中のセリフを引用している箇所がありますが記憶頼りなため正確ではありません。大きな意味は間違ってないと思いますが勘違いをしていたらご指摘ください。

『希望と絶望』観てきました。

前提、全体としておもしろい作品だったと思っています。また、たぶん私は大人の事情を勝手に想像して、大概のことは咀嚼してしまうタイプです。タイトルとか煽りVTRが大袈裟だとか、事前特番のメンツ合ってる?とか、映画である意味に乏しいとか、その辺りは「数字に繋げるため」ということで自分の中では説明がつきます。数字ってすごく大事だし。

そんな私でも本作を見て強烈に違和感が残ってしまった部分。それは作中に数回訪れた、ライブ後の何の具体性もないフィードバック。いやいや「もっと歌って!もっと踊って!」じゃあないんですよ。いつの誰のどこをどうしろと言ってんだよ。全体に言う以上そうなるのであればそもそもあの場のあの形でフィードバックすべきじゃないし。「伸び代に期待してるからこその厳しさ」とかそんなの通用しないですよ。人口ボーナス期に支えられたモノを作れば売れた時代の戦略「気合い」の営業会議じゃん。

メンバーの活動が増えて、グループの状態が複雑化している以上、ライブの構成にも「選択と集中」という高度さが求められてしかるべきやと思います。なのに映像を見る限りではキャプテンいうところの「ライブはライブで集中できてた時期」のまんまセットリストの発想は変わらず、これまでの成功体験に固執して進化を放棄している様に見える。

総じて言いたいことして、メンバーの体力とか集中力を「貴重な資源」と今いちど捉え直してみてはいかがですかね?メンバー酷使しすぎ問題と根本が同じに見えてしまいます。セットリストの「選択と集中」や気候判断の読みの稚拙さを全部メンバーのパフォーマンス出力におしつけて、一番しんどい時に、印象論のお気持ちフィードバックをかます。これ健全ですかね?この構造だと仮に誉められたとて素直に受け取りづらいと思うんですが。終わった直後とはまた別に、時間をおいて映像と共に振り返る時間を作るとか、いくらでも方法あるはず(既にやってるんだったらごめん)

W-KEYAKIFESのタイミングなんて、きっとメンバーは(いや、まずお前ら全員2時間炎天下で踊ってみてから言えよ)と思ったことでしょう。いやすいませんそれは流石に妄想が過ぎました。もちろん演出する側が炎天下で2時間踊る必要なんてありません。危ないですからね。ただ、演出と演者、それぞれが役割を果たす、背中を預け合うという意味では、演出スタッフは「貴重な資源の選択と集中の精度」というポイントにガムシャラになるべきです。

「全力すぎてどこまで行ってしまうかわからないのが日向坂の魅力」と今野さんが言ってましたが、全力を出す環境を整える術がただひたすら120分、メンバーを酷使し続けることの一点なのだとしたらあまりに手札が少なすぎる。「もっと歌ってもっと踊って」っていうなら、「いやお前らこそもっと考えて。学んで。アプデして。」でしょ。精度が悪かったことじゃなくて、それを無自覚にメンバーに押し付けてることがおかしいんですよ。

「(違和感のある構成が)決まった状態で降りてくる。なぜ私たちに聞いてくれないんだろう?」とぼやいたおたけちゃん。あなたが正しい。「ストーリーに仕立ててハッピーエンドにしてしまうことを嫌うメンバーもいる」と、目の前の人の立場を慮りながらもしっかりと言葉にしたキャプテン。あなたは偉い。そしてこの両シーンを使った監督も偉い。フェス終わりに叫んでるシーンも最高だった。よく使ったなここ。

総じて、セットリストを組むときに一切の意見を聞かないアマチュア扱いと、どんな環境でも最大出力を求める過大なプロ意識要求とのダブルスタンダードがある気がしますね。このあたりの矛盾を東京ドームのおひさまが作った強力すぎる風景でハッピーエンドでしたってそうはならん。ならんぞ。


と言ったところでnoteは終わりなんですが、余談として。
実は最近思うところがありまして。

この動画を見て思うんですけど「運営(側にあたる人)がまともなこと言っちゃってたらメンバーが悪く見える瞬間」が出てきちゃうんですよね。だからアイドルビジネスって運営が悪く見える方が正解なのかもしれない。私は今それにまんまとハマったnoteを書いちゃってるのかもしれない。そんな気もしてます。

勢いでしかないnoteになってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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