見出し画像

関ジャニ∞がなくなることは心の拠り所がなくなることなのか


毎回「せき」「じゃに」「むげんだい」と分けて入力するのがストレスだった7年前の私は、大学入学を機に手に入れた個人PCに「関ジャニ∞」の読みは「かんじゃにえいと」だと登録した。

もうこの変換も邪魔なだけなのかな。


関ジャニ∞がグループ名を変えると言ったとき、「やっぱりな」と思った。
どんな名前になるんだろうと予想するのも楽しかった。

でも2月4日が近くなるほど、皆が関ジャニ∞を惜しみ始め、私も例外ではなく今惜しんでいる。

関ジャニ∞は心の拠り所だった。

私が関ジャニ∞を応援し始めたのは中学2年生のときで、当時の私は不登校だった。
「不登校には必要ない」と我が家は地デジ移行せず、砂嵐しか映らないブラウン管テレビがリビングに置かれているだけだった。当然スマホなんて持っておらず、ネットに繋げられるのは親のスマホか3DSのみ。
(3DSも親がWi-Fiのパスワードを忘れたため自宅でのネット使用は不可能だった)
きっと親は学校以外の情報入手手段を断つことで、反発した私が学校に行くことを望んでいたのだろう。でもそれって無謀すぎる。思春期の少女たちの世界は1日明けたら一変する。浦島太郎の私が学校で同じように中学生をやれるわけないのに。

そうしてますます家に篭っていたのだが、自宅にはあまりにも娯楽がない。エンタメを求めた私は市立図書館に通い詰めた。
そこはAV資料が豊富で、CDを貸出上限一杯まで借りては一日中リビングのミニコンポで流し続けた。耐えかねた母が、私の誕生日にCDラジオを買い与えた。
それまでラジオといえばSCHOOL OF LOCKくらしか知らなかった私が、レコメンに出会うまでは長くかからなかった。
我が家からは文化放送の電波が入りにくく(だからFM局しか聞いたことなかった)、時折朝鮮語の放送に邪魔されながらも番組を楽しんでいた。
そんな環境で聞いたクルトンのリバースと無音に恐怖し、「こんな明るい人たちがこんな怖い曲歌うなんて!」と勝手にムッとしたのが関ジャニ∞に関心を持つきっかけだった。

実際クルトンは怖い曲ではなく、私の視聴環境と曲調が悪く相互作用しただけだったのだけれど。

そこからは、他のオタクたちと同じようにハマって行った。
まずはWikipediaの該当ページを一日中読み込んで、それからどうにかしてテレビを買ってもらった。
その年のクリスマスプレゼントは8ESTで、大晦日に家族で行ったスキーでは紅白に間に合うよう帰宅を急かした。

8UPPERSをかけて適応指導教室に通った。
高校受験の日はココロ空モヨウを聞いた。
部活の配車はFIGHTが多かった。
大学受験の日はへそ曲がりを延々とループ再生していた。
コロナ禍で面接が全てオンラインになったときは、ここにしかない景色を聴いて面接に臨み、泣かないで 僕のミュージックを聴きながら泣いた。
関ジャニ∞の楽曲は、私の人生のBGMになった。


正直言うと、今の熱量は当時より落ち着いている。
熱量の大きさで言うのなら、他のアイドルの方が高い。
でも、他のアイドルのコンテンツは日常を彩るスパイスとして消費できている。
拠り所にはしていない。
これがアイドルのファンとして「正しい」応援なのだと思う。

今日で関ジャニ∞は終わり、新しい名前になる。
新しい名前の彼らは関ジャニ∞の続きではなく、リニューアルした何かなのではないかと感じてしまう。
じゃあ新しい名前を別物として正しく応援しようか。

私は頼りすぎた。

もう待ってくれることも、迎えに行くこともないなんて嫌だ。
私が戻るだけなんて嫌だ。
心の拠り所にした関ジャニ∞を過去にしたくない。

サブスク解禁で久しぶりに聴いた曲もあったのに、当時聴いていたときの匂いも、景色も、気持ちだってそのまま残っている。
どうして今解禁しちゃうかな。

たかが名前が変わるだけでこんなに気持ちが揺れるなんて思わなかった。
そうだ。たかが名前だ。メンバーだって代わらないし、同じ曲だって歌う。
ずっと好きでいたいな!
なんてったてめちゃ・良・パフォーマンスするグループだから!

22時に書き始めたのに3時になっちゃった。
7年目を迎えるパソコンが悲鳴を上げている。
そろそろ買い換えなきゃいけない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?