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探し物をしていた自分へ|47歳 ホームスクールママ

気が付いたらここまできたんだ。
私は、3年前にも作文を書いている。

あの頃の私は、息子がこの先どうなってしまうんだろうと、不安と苛立ちがいっぱいの靄に包まれていて、それに飲み込まれそうになる度に必死にもがいた苦しい時だった。

そんな時に作文を書く機会があった。
あれから3年。ホームスクーリングも3年目になった。

あのころの自分に伝えたい。

息子の心の声をもっと早くきちんと聴いてあげていたら良かったのに、と自分を随分責めていたけど、ちゃんと息子の心の声を聴けたじゃない。今あなたの息子は、ちっちゃかった時と同じようにケタケタと笑っているよ。あの頃の自分の心の声を聴いて、直感に従って良かったね。そして、良かったと思える未来にしたいって強く決めたよね。3年後、息子もあなたも家でよく笑っているよ。

あの時の私、本当にお疲れさん。よくがんばったよ~。
と、自分を一旦労ってあげたい。

息子のペースを見守ってくれる場所ができた。私が傍にいない世界に、彼が笑顔でいられる安全な場所がある。これからもきっと色々あるだろうけれど、あの頃の経験を生かして進んでいける自信が持てた。

今は、息子の将来にわくわくしている。
息子よ、幸あれ!

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息子の進む道に光が見えだしてくるようになると、それに比例するように私自身の長年のモヤモヤが見え隠れしてきた。そして、ここ最近ははっきりと見えている。いや、ほんとはずうっと前から、見えていたこのモヤモヤ。

それは日本にいた時の、あの1から作り上げて形になった経験。自分で決めて、自分の信じる方向へ前へ前へと進むあの感覚。そして、その時のきらきらした時間。わくわくするような人たちとの出会いと時間。そんな人たちに支えられて、私は成長できたと感じる充実感。

結婚を機に引っ越してきたこの新しい土地で心が落ち込んだり、田舎の自然や生活が恋しくなると、あのきらきらした経験と同じくらい、それ以上のきらきらを探した。そして、経済的にも自立していない自分を、どこか引け目に感じている。今の自分は、夫のお給料で暮らしている。夫は

「君も充分働いているよ。僕が働いている時間、君は子供たちを育ててくれてるじゃないか。家事だってしてくれてる。」

と言う。因みに、夫は時間を見つけて家事も子供たちの面倒も見てくれている。私が住む州の法律では、婚姻関係にある者たちの財産は、基本的にはんぶんこ、だそうだ。この家も私と彼のもの。車の名義も私と彼。買い物もしたいときに、自由にさせてもらえる。

でも、やっぱり気が引ける。だっていくら彼が言ってくれても、私はお金になることを何も生み出していない。だから「買わせてもらっている」と感じていた。そしてお会計の時は毎回、ちょっと心が重くなる。

『地元に親がいて、自分が天職だと思った大好きな仕事をしている。その上、結婚して地元を離れたあと、子供もできたのに、好きな仕事を辞めずに順調に暮らしているようだ。更に新しい趣味も始めたらしい。』

そんな様子の友人から近況を聞いた日。焼いてた餃子は焦げるし、お米は炊き忘れてた。あ~ぁ、私、一応、世間から見たら専業主婦なのに、ご飯もろくにちゃんと作れないのか私は?と、更に落ち込んだ。

終いには、好きな仕事でキャリアアップを順調にしている夫に対しても羨ましさといら立ちを覚えた日があって、そんな自分に心底驚いた。

私は、一体何がしたいんだろう。
何がそんなに羨ましんだろう。

経済的なこと?仕事があること?年齢?仕事に行ける時間があること?オンとオフの時間があること?仕事が充実していること?プライベートも充実していること?情熱を持って仕事ができることの幸せを感じられること?

そう、それら全てが羨ましかったんだ。

きらきらしていた過去の自分を、友人や夫に重ねて見ていた。そんなことはもう随分前から気づいていた。そして、自分以外の誰かにそれを重ねても、意味はないことも知っていた。でも、やっぱりきらきらしていた自分が恋しくて、仕方がなかった。だって、正直結婚後の自分は、自分が描いていたきらきらした自分ではなかったようにずっと感じていたから。

こんなはずじゃなかった。どう修正していったらいいのか?
そんなことを考えて、駆け抜けてきていたのかもしれない。

でももういい加減、自分でかけた呪いから私を解放してあげたい。
この場を借りて、私から私への誓いの言葉を書き残したいと思う。

・母親としても、ホームスクールママとしても、子供に費やす日々の時間をお金の価値と同じにしない。これからはそれらの全ての経験が私への対価だ。
・専業主婦はこうするべきかも、なんて古いワードや言葉のイメージに縛られない。これからはお会計で胸を張ってお金を払う。
・充実度をはかるのに、過去の自分を価値基準にするのはもうよそう。そもそも過去の自分と今の自分では、暮らし方や抱えているものが変わっているのだから。
・仕事で子供たちに種を撒いてきた。今は自分の子供に種を撒いているのだ。そんなふうに考えたら、この新しい土地で十数年間紡いできた経験が今、とても愛おしい。だから、これからも今まで通り、日々の生活のなかにある小さな幸せを、家族で紡いでいこう。

いまの私は、日々の生活を紡いでいる私自身の生き方に価値を見出しているんだって気がついたから。

これは、経済的な心配をせずに、私自身の成長に向き合い続けることができた結果でもある。経済的に支えてくれて、愚痴をこぼしたときに辛抱強く黙って耳を傾けてくれた夫には、本当に感謝している。ありがとう。

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さて、誓ったあとの私の5年後はどんな感じかなぁ?
自分や自分の周りについて想像・空想をしてみようと思う。

* * *

私は50代、夫は40代後半、息子はハイスクールをあと1年残すのみ。娘はミドルスクール1年目。

残念ながら大好きな父は、きっともう5年後にはこの世にはいないだろう。でも、父と過ごした思い出は失せない。超高齢の母も、元気でいてくれることを願うばかり。

私は地元の自然と実家を、子どもたちと私の居場所として変わらずにそこに居てもらえるように、仲間と試行錯誤を始めているかも。

シアトルの自宅では離れの小屋でお花いじりをしながら、せっせと味噌を仕込んだりして、保存食づくりを楽しんでいる。それをお友達におすそ分けできたらいいな。

震災チャリティーコンサートに参加して以来、ずっとしたかったことがある。それは、コミュニティのコーラスグループに参加して合唱をすることだ。もしくはチェロの音色が大好きなので、高校時代オーケストラ部でチェリストだった夫に手ほどきをねだっていたりして。

それから息子と同じように、念願の大学選びを始めていたりして。
まどぎわのトットちゃんが過ごしたような温かい場所を、子供たちと親御さんの為に作れるように。

息子とはお互い試験準備に忙しくて、労ったり励ましあったりなんかして。なんなら日本大好きな彼は、日本の大学に行きたいって言い出すかも。それとも動物保護やチャリティに関心のある息子は、何かしらスタートアップを始めているかもしれない。

夫はフルタイムの仕事から早期退職へ向けて準備を始めたり、息子のビジネスパートナーとして、新しいチャレンジを始めているかもしれない。

娘はクラシックバレエ熱が戻り、モダンダンス/ジャズダンスを始めたりして。我が家での公演(今は家族だけに上演している。脚本・振付・作詞作曲・演者全て娘ひとりの独演会)では足りず、演劇を習い始めたりして。私の弾くチェロや歌で彼女が踊ってくれたら最高だな。

3歳の頃、お人形さんのドレスをティッシュで作っていた娘。今じゃメイクを毎回ドレスに合わせて替えられるように、お人形さんの顔にセロテープを貼ってメイクアップしてる彼女だから、自分の髪の毛も自分で染めたりして(ついでに私の白髪染めをしてもらえたら、もの凄く助かる!)

* * *

でも一番大切なのは、みんな健康でいてほしい、ということ。私も体調管理を真剣に始めよう。

長生きしたいはおこがましい気がするけれど、せめて子供たちが自立するまで、なんとか現代医療の力を借りて生かせてもらえたら。。。
と、ここまで書いてみて、私は欲深いんだなぁと改めて思う(苦笑)

最近夫と、自分たちの老後設計や、子供たちと自分たちの親のことをよく話す。何かをするんでも、どこかへ行くんでも、昔みたいによし!やる!って一人で決めてすぐに行動できないことが増えた。

でもそれは、つまりはそれが大人になるってことなんだろうな。そして長い年月をかけて見えてくる大切なものもあるってわかった。

人にはその時々でお役目があるって、誰かが言っていた。
今の私のお役目が母親業だとしたら、そのお役目が終わるまで、子供たちと日々の生活を紡ぎ続けたい。

5年後の私にわくわくしてきた。
自分の未来にわくわくするのってなんだか久しぶり。

5年後のわたし、待っててね!

Season 2 - 作文集credit


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