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「自分の幸せの形」を見つけることの大切さ ~ Define your happiness ~|40代 自営業

幼い頃から、祖父母や両親の幼い頃や若い頃の話を聴くのが好きだった。

母方の祖母は当時60代で、父方の祖母は当時50代。どちらも自分から話すわけではなく、「そんな話、聞いてもおもしろうないやろうに」などと言いながら、記憶を手繰り寄せて話してくれた。

と言っても、語り継がれるような話ではない。夏は家のそばにあったきれいな川で泳いでいたとか、砂糖が貴重だった時代に母親が鍋一杯に作った餡子を全部食べてしまって怒られたとか、山歩きが好きでアケビやタケノコや山菜を取って食べたといった、日常的なことである。

結婚の話も聞いた。「おじいちゃんが好きだったから結婚したの?」と聞くと、「親が決めたから結婚しただけ。お父ちゃんが、行けと言うから、はい、と言うた」と、真顔で即答した父方の祖母。小学生の私にはわりと衝撃が大きくて、両親に話してしまった覚えがある。

「辛すぎて話したくないかもしれない」と思いやれるほど成熟した子どもではなかったので、戦時中の話もストレートに聞いた。父方の祖父は将校の運転手として従軍したとしか話してくれなかったが、自宅にいた祖母たちは時には涙を流しながら、いろいろと話してくれた。

話せないこともたくさんあっただろうが、適当にあしらったりしない人たちだったのだと、今になって思う。

それは戦後生まれの両親にも共通している。生まれ育った時代も環境も違うとはいえ、やってみて失敗したことや、やりたくてもできなかったことを話してくれたおかげで、なぜいつも「おまえはどうしたいのか」「それは本当にやりたいことなのか」と聞いてきたのかがよくわかる。なぜ留学させてくれたのかも、なぜその後の仕事や結婚、妊娠・出産に対して質問はしても口を出さず、当事者の私が納得できるタイミングと方法でやるのが当たり前だという態度だったのかも。

そんな応援団の両親には申し訳ないが、若い頃の私は「自分はどうしたいのか」「それは本当にやりたいことなのか」を丁寧に考えるより、「自分はこうしたいから、とりあえずやってみる!」と、明確な根拠のない直感で動いてしまうことの方が多かった。留学した目的を忘れてバカなことに時間と労力を費やしたり、人間関係で自分を見失ったりしたことがたくさんあって、今でもシャワーを浴びている時に思い出して「あ~!」と叫んでしまうことがあるほどだ。

でも、大切なのは、留学も、仕事も、結婚も、妊娠・出産も、誰に言われたわけでもなく、自分がやりたいからやったということだと、今になって思う。それも、他人が良しとするタイミングや方法ではなく、自分の納得できるタイミングと方法でやることができたのは、本当に大切なことなのだ。約10年前、同じように考えていると思っていた身近な人が40歳前に急死し、それを痛感することになった。

「私は何を見ていたのだろうか。その人の話を、ちゃんと聴いたことがあっただろうか。聴いていれば、気づけたのではないか、防げたのではないか。本当に悪いのは、幼い頃から人の話を聴いていたつもりが、ただ興味本位で質問していただけで、実のところは自分がどうしたいかばかり考えて、その人が助けを求められる人間になっていなかった私だ。自分はこのまま生きていていいんだろうか。残りの人生を楽しんでいいんだろうか」

残された人がそんなふうに自分を責めることはよくあるといろいろな本で読んだが、自分を責めないではいられない。だって、その人は、明るくて、多趣味で話題が豊富だったのに、実は他者の求める何者かになるのが幸せの形だと思ってしまい、苦しいと誰にも言えず、がんばりすぎた ― そんなふうに思えてならないからだ。でも、それだって私が自分が納得できる話を作っているだけかもしれない。「考えても死んだ人は帰ってこない」「悲しんでいては死んだ人が浮かばれない」と言うが、私に必要なのはその人のことを考え続けていくことだと思っている。

それからである。子どもには、自分を大切にしてほしい、自分の幸せの形を見つけてほしいと、以前よりも強く考えるようになったのは。

自分を大切にするとは、親も含め他者の求める何者かではなく、自分が自分であること。そして、自分が感じる感情を否定せず、正直に受け止め、考える力をお互いにつけていくということだ。そして、それを丁寧に伝え合える親子関係を幼い頃から少しずつ育んでおきたい。お互いが大切な存在であることも、一人じゃないことも、いつだって助けを求めていいことも、日々、何らかの形で伝え続けたい。

そのためには、どうしたらいいのだろう。手始めに、当時まだ3歳だった子どもと、感情について話し合うようになった。今、自分はどう感じているんだろう。この感情はどこから来るんだろう。どうしてその感情のためにこんなふうに考えたり、行動したりするんだろう。そして、自分はどうしたいんだろう。私も自分の感情を話し、子どもも自分の感情を話すのは、もちろん、最初からうまくいくわけではなく、また、いつもうまくいくとは限らない。でも、それから8年ほど意識して続けてきて、いいなと思うことが増えてきた。

先日、スキー場のチェアリフトで山の上に向かっていた時のこと。赤い十字のロゴがついたジャケットを着たスキーパトロールの人が上手に滑っていくのが見えたので、「スキーがもっと上手になったら、スキーパトロールにもなれるね」と言うと、「そうかー!もっと上手になったらスキーパトロールになれるのか!じゃあ、水泳ももっと上手になったら、ライフガードにもなれる?」と聞いてきた。「なれるよ!」と言うと、「わ~、やる気がもっと出てきたよ!あのね、上手にはなりたいけど、誰よりも速く滑れるようになりたいとか、一番になりたいとか、そういう気持ちはないみたいに思うんだよね。だけどね、上手になって、スキーパトロールとか、ライフガードとか、そういうことしたいんだと思う」。

将来はどうなるかわからない。でも、この子の幸せの形はそれかもなと感じさせられる出来事だった。

Season 2 - 作文集credit


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