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幸せになるための処世術|59歳 フリーランス

「それは処世術ですね。」

第1回セッションで気づかされた。
そうか!今まで私が考えたり実践したりしてきたことは処世術なのか。

思えばずっと、来た球を打ち返すだけで精いっぱいの人生だった。

* * *

最初に入った旅行会社では、平日朝8時から終電まで手配などの仕事をし、土日祝日は添乗。昭和の時代だったため、お決まりの社長のセクハラ・パワハラ。9ヶ月で体を壊して転職。

次に入った旅行会社では、取引先の人と出会い結婚。第一子妊娠中に相手は海外赴任となり、生まれたばかりの娘とともに後追い渡航。初めての子育ては、知る人もいない慣れない土地での悪戦苦闘。

明治乳業のお客様相談室に国際電話で、
「あの、そろそろ果汁に慣れさせる時期なんですが、粉ミルクと果汁ってお腹の中で固まったりしませんか?」
とお悩み相談したり。

奇妙な質問に、先方も「そういった例はありませんね…」と戸惑い気味。今思えばバカな質問である。もし固まってヨーグルトになったとしても毒じゃないし、腸が詰まるわけでもない。
でも、周りに誰も相談できる人がいない子育て一年生は、必死だった。

今のようにメールもSNSもない時代、友達もなく情報源もなく、頼りの夫は休みなく、子育ては一任。それどころか夫は旅行業現地スタッフ。夜中便もあるので、夜もいない。ワンオペの極みだったが、それでもその後長男と双子の男児を設け、4人を育てた。

2人目が生まれた後、意を決して初めての車の免許を現地で取った。そのころにはママ友もでき、買い物も一緒に行ってもらったりしていたのだが、人を頼る生活には負い目を感じていた。危ないからとずっと反対していた夫も、勝手に免許取得してきた後はすんなりと古い車を買ってくれた(この古い車には笑える話がいくつもある)。

双子が幼稚園に通うのを機に社会復帰をし、夫の会社で現地ツアーデスクスタッフとして働くことになった。これが天職だと思えるほど充実していたのだが、その頃に夫の浮気が発覚。他に子供がいることを知る。

その直後、私の体に病気が見つかり入院生活を1か月余儀なくされた。夫はその間も懲りずに新たな浮気。紆余曲折を経て、結果離婚となる。夫が長男だったのと、男の子が多かったのもあって、泣く泣く子供は残し、私だけが帰国した。日本で就職をし、新たな人生を始め、現在に至る。

なんだか、忙しかったなぁ。

人生は階段をのぼるようなものと言われるけれど、踊り場で一息つけるかと思ったら、思わぬ方向から新たな球が飛んできて、打ち返して、また次の階段という感じ。

しかも、ことごとく変化球。
立ち止まって自分を見つめるとか、自分探しをするとかいう余裕はなかった。

日本で就職した先でもセクハラ・パワハラにあい、つくづく上司運がないと思い(そういえば、夫も上司だった)、派遣に転向。事務のスキルを磨くことに専念した。親も高齢になってきたので、在宅での事務仕事にシフトし始めて1年が過ぎ、在宅業務スキルが身に付いたと思い始めた頃、コロナ禍に。世間でもリモートインフラが進んで、在宅のみで仕事ができるようになった。

コロナも悪いところばかりではない。

ここにきて、ちょっと時間の余裕ができてきたせいか、幸せって何だろうとか、この先どういうふうに生きていこうとか、そういったことを考えるようになった。

「幸せ」っていうのは一瞬であり、最期にその積み重ねを思い出して「ああ、幸せだった」と振り返るものなのかもしれない。
それならば、「幸せの一瞬」を受け取るセンサーを研ぎ澄ませばいいのではないだろうか。

春先に芽吹く沈丁花の匂いや、ふくらみ始める通学路の桜。
朝一番に豆を挽いて淹れたコーヒーの香り。
何気なくつけたラジオから流れる思い出の曲。
思わぬ人からの「元気ですか」のLINEメッセージ。
寄り目になりそうなほど頑張って仕上げたExcel集計表の達成感。
それを「おかげで助かりました」とねぎらってくれるスタッフの言葉。

あぁ、「幸せの一瞬」って予期しない喜びのサプライズなのかもしれない。

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予期しないというのは期待していなかったということでもある。だとすれば、「期待」は「喜びサプライズ」を感じるチャンスを減らすことでもあるのかな。「期待する」から「あたりまえ」に変化してしまったら、もっとチャンスは減る。

春先の沈丁花や桜はあたりまえだ、と思っていたら感動は生まれない。
こんなに頑張ったんだから、ねぎらってもらって当然と思ったらスタッフの言葉も喜べない。
それならば、同じことが起こっても、いちいち感動できるセンサーを持ちたい。

それには、まず「気づく」ことが必要になる。
でも、いろいろなものを見聞きして経験値を上げないと「気づく」ことさえできない。

経験を重ねてくると「気づく」ことが増える。
でもあまり気づきすぎるのもよくないのかもしれない。

例えば仕事にしてもいろいろ経験してきているので細かいことが気になる。
指示の出し方が中途半端だと、結果も中途半端になる。例えば
「この商品の紹介文を書いてください。若い女性がターゲットです。“わあ、これ私欲しい”と思えるような内容で。」
その商品を調べて性能や効果、画像や写真も織り交ぜて作成するが、これがウェブサイトで使われるのか、フライヤーで使われるのかで書き方も変わってくる。サイトならば「スポット」か「他の商品一覧と一緒」なのかで文章のトーンや形式が変わる。場合によってはキャッチコピーも考えなければならない。

結局、何度もやり取りが必要になる。

事務仕事は中継地であることが多いが、最終目的を知っているかどうかでバトンの渡し方が違ってくると思っている。次の走者が目的地に向かって走りやすいように、渡してあげる必要がある。それが事務仕事を「作業」ではなく、「仕事」と言えるようにする方法だと思っている。

Excelの集計表についても、それを配付して会議に使うのであれば、印刷まで考えて作成する。A4枠内に収めて大切な部分は上にもっていくなど、見方も考えて作成する。また、マクロなどはなるべく使わず、項目の変更などがあった場合に誰でも修正できるように、プルダウンを活用したり、入力部分を極力減らしたりといった工夫をする。

以前、尊敬している社長職の人から

「仕事ができるっていうのは事務能力や営業力が優れている人ではない。本当に仕事ができる人っていうのは明日自分が突然死んでも、業務が停滞なくまわっていくように配慮できる人の事だ」

という話を聞いた。

組織にとって重要なのは「私」ではなく「業務」なのだ。それは社長であっても同じだというのだ。

それからは、次の人がスムーズに業務ができ、どんな小さなタスクでも途中で私がいなくなっても、その業務に支障がないよう経緯を共有しておくよう心がけている。

そういったことを日々考えながら仕事をしていると気づいてしまう事も増える。同じ気づきを相手に期待してしまうと、もやもや気分が発生してくる。もやもやの種が増えると精神衛生上よくない。だから相手に期待しないで必要なことだけ要望する。

要求ではなくあくまでも要望である。
求めるのと望むのとでは期待度が違う。
それは処世術。

そうだ、私がやってきたことは、自分を楽にする処世術ばかりだ。

例えば、部活中に盛り上がった「誰がエレベーターボタンを押す」議論。日本にいると女性であるというだけで「エレベーターボタンはあなたが押してね」という無言の圧力を感じるという。

私はどちらかというと、率先してエレベーターボタンの前に立ちボタンを押すタイプだ。それは女だからというよりは自分で押して、ついでに人の分も押す方が気が楽だからだ。「お前が押せよ」という無言の圧力でもやもやするくらいなら自分で押した方がさっぱりする。ついでに押してあげるとたまに感謝されたりもするし、それは喜びのサプライズの一つだ。

「ついでに」やったことで感謝されるなんて、コスパがいいじゃないか。

以前、乗り合わせた紳士にエレベーターで「何階ですか」と聞かれたことがある。気軽に返事をし、ボタンを押してもらったが、あとでその人はその会社のトップだと知った。カッコイイ!なんの衒いもなくそういうことができる人。そういう人が上に行くのか。所詮威張っている人はそこまでの人なんじゃないかと思う出来事だった。

同じようにお茶を淹れるとか、コピーをとって配付するとか、入室は女が後とか。そういう決めつけをする男はそこまでの人なんだ、と思えば腹も立たないし、もやもやの種も生まれない。

その男のリタイヤ後はきっと、町内会の会長とかやっても、コンビニでコピーさえうまく取れず「威張っているだけの人」になったり、家庭でも「もう、お父さんたら指示ばかりで洗濯ものを干すこともできなくて、ホント粗大ごみ」と言われたりするんだろうななんて、意地悪い想像でもすればいいのだ。
だれにでも続きの人生がある。

* * *

さて、私の続きの人生はどんなふうになっていくのだろう。

今はちょっと人生の踊り場状態かもしれない。
でもまたどこからか予期せぬ変化球が飛んでくるかもしれない。
そして打ち返すために、また一生懸命バタバタするのかな。

そうなったら、最期にそれさえも「あぁ、幸せだった」と思えるように、精いっぱいバタバタしよう。

Season 2 - 作文集credit


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