他人に助けを求められた時は、まず冷静に。急ぐことでないなら、少しづつ、少しづつ。

今回はなしたいのは、余り仏教とは関係ない話。
一応「応病与薬」なんて言葉はあるんだけど、それは各位で興味があれば調べて頂くくらいでいいと思う。

自分の喋り方、コミュニケーションのこと。
それは、何かを他者にほどこすとき どうすればいいかと考えること。
例えば、他人に助けを求められた時は、最初に相手の状態をよく観察し、どう相手を助ければ最適であるか、を 1分でもいいから考えてから、少しづつ 相手がどうしたいかを聞きながら行う。
そうしないと、中途半端な優しさになる。相手の状態を見ないそれは、具体的な形として伝わらなければ、意味をなさない所か、相手を萎縮させ、かえって傷つけてしまう事がある。

自戒も込めるが、自分のようなコミュニケーションに不器用な人(いわゆる「コミュ障」)は、他人に助けを求められるとうれしくなって、その人に向かって 自分の持っているあらゆる物を、相手の状態を考えずに、一気にドカンと与えてしまう傾向がある。

具体的には、相手が聞いている聞いてないを見ず(相手の理解度を確かめず)、自分の思いの丈を相手にだらだらーーーーっと喋ってしまう。

その結果はどうなるかというと、大抵の場合は相手が萎縮して、それ以上なにも言わなくなってしまう もしくは、相手が己で考えるのをやめてしまって、こちらの言うことに一方的に従うようになってしまう。
これは、「身が入らないのにとりあえずやっているだけ」の状態であり、真に相手がこちらの意図を理解したとも言えず、一過性のものとして忘れられる可能性が高い。

大事なのは、相手と「ともに考えること」。
その時間を共感、共有すること。それこそが正しいコミュニケーションの姿ではないかなと、私は思ってる。

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