ドロの中から咲くハスの花、白蓮華。

「きれいなバラにはトゲがある」と言います。
最近は、生の花にふれる事はあまりないかもしれません。
せいぜい壮行会とかの花束贈呈、あとは冠婚葬祭の時。
観光地や近所の公園にいってながめるくらいですか。

画像や動画としては、ネット検索すれば膨大な数が出てきますが、
やはり自分の目で直接見て、鼻で香りを感じて頂きたいですね。

御教えにおいては、信仰厚い方のおすがたを、白いハスの花に例えます。
いつも毎朝お勤めしているお正信偈の中にも、

仏言広大勝解者 是人名分陀利華(ぶつごんこうだいしょうげしゃ ぜにんみょうふんだりけ)
とある。分陀利華とは、蓮華の花を指しています。

蓮華の花は、ドロや沼の中から咲くのです。
小学校の頃住んでいた家の近所、通学路に、いつもは何も無い畑?のようなものがあって、なんだこれこわい、と思いながら通っていたのですが、時期になるとその畑いっぱいに大輪のハスの花が咲き乱れる。
子供心に感動したのを覚えています。なつかしいことですが。

ハスの花が枯れると、たくさん種を吐き出します。
グロデスクなので、集合体恐怖症の方やそういう情報に弱い方は検索しないで欲しいのですが、一時期「蓮コラ」なんて変な流行もありましたね、、、
ドロの中に生えているものが、枯れて腐るわけですから、その時期はもうぐちゃぐちゃになる。そこだけみれば、目を背けたくなるくらい、おぞましい。

ただ、ハスに罪があるわけではないのです。
ハスを見ている人間が、ハスのどの時機、どの部分をみているか。単に視点の問題であって、そこで不快感を感じる人間のほうが、よほどおぞましい。
自ら不快を作り出していると言えるでしょう。
同じ生きるならば、快適に生きたいと思うなら、まずは美しい部分に目を向けることです。わざわざ、おぞましい部分を拡大しない。拡大している己自身のみにくさを、よくよく気づかせていただく。人は、煩悩のドロの中で、しがらみのツタに絡まれながら生きてる。それだけのことなのです。

写真の花ならともかく、現実の花は必ず咲いたら枯れます。美しい花をいつまでも見ている訳にはいかない。
生あるものはかならず死す、形あるものは必ず砕ける。花の生き様からも現実の無常を学ばせていただく。そして、そのままを受け入れて、必要以上に大げさにネガティブにとらない事。

そうすることで、己自身の心も、白蓮華にすこしでも近づけたらなあ、と。煩悩のドロの中からもたくましく咲き誇る、白い蓮花になりたいと。
願うて、なまんだぶ、とお称名させて頂きます。

なまんだぶ。



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