【フィールドノート】顔合わせの2日間|2024.3.20-21|阿部健一

阿部健一です。uniという団体で演劇をつくったり、ドラマトゥルクをしたり、まちづくりを研究したりしています。uniメンバーの齋藤優衣さんといっしょに2023年からクロニクルプロジェクトに参画しているTAPビギナーの阿部が、いろんなことがまだよくわからないまま、取手を訪ねた日のことを書き綴ります。この二日間は約1年後に予定している公演の出演者や関係者が顔を合わせ、その後はこれまで訪ねていなかった取手のあちこちを大内さんといっしょに巡りました。
取手アートプロジェクト(TAP)クロニクルについてはこちら↓

3月20日(水祝)

10:30 取手に向かう

自宅から取手までは1時間15分くらいかかる。乗り換えがうまくいかないと日暮里駅でやたら待つので、余裕をもって1時間半前くらいに家を出ることになる。1時間半はすごく微妙な時間で、小旅行にしては近いし、日常通いにしてはけっこう遠い。松戸に何年も通っていたから常磐線というやたら長い電車が見知らぬ遠くに連れ去る電車ではないという印象もあるんだと思う。松戸を超えて少しするともう取手についている。出張と呼ぶ距離なのかどうなのか。と、東京中心の座標軸が標準時のようになっているあたりに、都内生まれの自分の地理感覚が顔を出してくるような気もする。

今回の2日間に向けて過去のインタビューや記録文章を総ざらいする作業を進めていた。しかしまあ見切れていないものもあって、車内では1999年のシンポジウムの記録を読みながら向かった。祝日11時代の常磐線は柏まで座ることができなかった。松戸に通っていたときも思ったけどいわゆる「下り」方面へ、お昼前から向かう大勢はどこに、何をしに向かっているのだろう。
キャリーケースを携えていたので、それを通路でおさえるためボックスシートの手前の席に座ったら空いてる奥の空席に入りにくい雰囲気になってしまった。でも奥までキャリーを持っていくことはできない。ボックスシートと満員電車は相性が悪い。

12:00 タイ料理

12時少し前に取手に到着。たいけん美じゅつ場VIVAでコーディネーターの大内さんと合流し、なぜか我孫子で降りてしまった羊屋さんを待つ。VIVAでは中に入って遊べる大きな生き物の作品?遊具?が置いてあって、こどもたちが走り回っていた。TAPゆかりの「あーと屋図工室」が手がけるイベントらしい。横ではプログラミング教室も開催されていた。これまで平日に来ることが多かったので、イベント会場として人が殺到しているVIVAを見たのは初めてだったかもしれない。
「いまちょうど時計を設置してる」と五十殿さんから伺う。取手のいろいろなアイコンを集めた彫金の時計が新たに西口駅前に設置されることになったらしい。

羊屋さんと合流して、西口からふれあい通りをまっすぐ進んで大内さん紹介のタイ料理屋さんに向かう。徒歩10分くらいだっただろうか。羊屋さんは横浜トリエンナーレの話をしていた。
ふれあい通りは、駅前からそのまままっすぐ伸びている目抜き通りで、以前愛宕神社にいく時にも通った。だけど6号線より先へ徒歩で行ったことはない。ポツポツとチェーンの飲食店や古いスナックなどが立っていた。波板の上をいくようなゆるやかなアップダウンが続く道だった。

途中、右手に「取手競輪場」の入り口が現れる。ターポリン張りの屋根が坂の上へと続いていく。地方にある遊園地みたいだなと思った。「TAPのひとたちで競輪に行ってる人っているんですか?」と大内さんに尋ねると、いないんじゃないかな、とのこと。
タイ料理「マナ」に到着して、グリーンカレーやガパオライスなどを食べる。テレビではYoutubeか何かで、演説のようなものが流れていた。

13:00 競輪場に立ち寄る

タイ料理から駅への帰り道、先ほど見えた坂を登って競輪場に寄ってみることに。住宅地の間の坂をせっせと登ると開けた場所に出た。巨大な競輪場と巨大な駐車場。この日は何も開催されておらず閑散としていたけど、それでも警備の人たちが立っていた。
取手競輪のキャラクター、うさぎの「バンク」とその仲間たち(ライバル?同僚?)の紹介が、塀に沿ってずらっとされている。何が得意だとか。名前も、名前というより異名のようで面白かった。

TAPの始まりの話のなかでたびたび「取手には競輪と利根川しかない、だからどうにかしたい」と感じていた市民たちのエネルギーがTAPを動かし始めたというストーリーを聞いた。往時の西口周辺には競輪に向かう男性たちが大勢いたといい、中には素行の悪い人もいて、そういう経験や風景が地元住民の競輪に対する視線を形成してきたのだと思う。取手市民というよりも他所のまちから競輪目的の人たちが押し寄せていたようだ。だけど、競輪そのものがあまり経験されていないのだとしたら灯台下暗しだ。
ポスターが貼ってあり、明日から4日間ここで茨城県のウィナーズカップが開催されるとのこと。明日の午後なら行けそうだ。競輪、体験しておこう。人生初の公営ギャンブルだ。

競輪場を回り込んで正面入り口のほうまで出ると草むらに馬頭観音の碑が立っていた。昭和11年に茨城県の畜産組合が立てたと書いてあった。この日の夜、競輪場になる前ここは競馬場だったと聞いた。競馬場のときの名残の石碑なのだろうか。
石碑のそばに一軒もつ煮屋さんがあって、お店のひとが表で掃除をしていた。羊屋さんが声をかけると「競輪のときだけやってるのよ(今日は休み)」ということだった。ここも明日なら入れるのかもしれない。誰かの話で競輪場から白山商店街のほうまで昔は競輪客向けの飲み屋さんがずらっと並んでいたと聞いた気がする。ここはその生き残りだろうか。

白山商店街のほうに抜け、駅まで戻る。競輪場を出てからは3人ともなんとなく静かに歩いていた。まちも静かだった。

6号線を歩道橋を渡りながら、大内さんから「そこにも事務所があった時代がある」と教えてもらう。いまガストが建っているあたり。事務所移転の歴史を地図と年表で正しく整理することはできるし、やったほうがいいだろう、でもこうやって歩いているなかでいつのことだかわからないまま「昔、あった」と過去の出来事が唐突に顔を出してくるかんじも味がある。これが昔語りのようだと違ってくるけど、ことばにならない100とか1000の出来事を土壌にひとつぽろっと出てくるときは、過去との結びつきを感じたりする。大内さんの話し方は、何かを伝えようとしつつ、伝わらないことも知っていて、でもそのあいだで言葉にしてみている、という感じもする。過去の経験をひとに伝えることができるのか/実際の出来事と個人個人の経験のあいだの質のちがい/共感可能な場面とむしろ不可能性が際立つ場面など・・・最近そのあたりの解像度を上げていくことへ興味が高まっている。原体験には5年前に亡くなった祖父の話がある。「東京スープとブランケット紀行」のイベントに呼び、そこで東京・江古田の戦前のまちなみの話をしてもらったときに彼の目には野っ原だった頃の江古田駅前が見えていた。だけど聞き手には見えないので想像するほかない。想像する景色と彼のなかの景色は決して一致しない。彼の死によって、風景は永遠に失われた。

年配者に戦前・戦後の暮らしのヒアリングをしている都内の別現場でも、最近こういう話をしている。同じ場所の話をしていても、それぞれの記憶の仕方が違うから、何人かの話を重ね合わせることでより正確な像が浮かんでくるかといったらそうとも限らない。当たり前だけどまちという大きな物語の一部として生きているわけではなくて、あくまでひとりひとりの異なる世界がそこにある。両論併記の周辺にもたぶん、いろんな罠がある。
またそれらの話を世代の異なる聞き手が受け止められているかといったらそれも怪しい。あるものを説明するときに選ぶことばが違うし、互いのボキャブラリーにも左右される。時間をかけてヒアリングしたけれど結局半分くらい何の話だったのかわからないで終わるということもある。経験をひとに伝えるというのは本来それだけ困難な作業で、だからかつて(今も?)自在に文字を扱えるひとは特別な存在だったのだろうなとも思う。(言葉をもつ者ともたない者の力の不均衡にも関係してきそうな気がする)
拾い上げきれないこと、理解しきれないこと、聞き手にも偏りと目的意識があること、言葉にならない言葉があること、その上で伝える/伝え合うことを検討するというところから「話を聞く→かたちにする」を捉え直すみたいなことを、個人的に今年〜来年あたりは前に動かしていってみたい。

14:00 ポニーでお茶して運営ミーティング

駅前に戻ってリボンビルのポニーで抹茶ラテ。愛しのポニー。羊屋さんから北海道のHAUSのお話を聞くなどした。奥のほうに広い座席があって、勉強をしたり新聞を読んだりする人がたくさんいた。
ポニーを出たところで例の彫金の時計をチェック。いろんな動物に混ざってヤギもいた。まちなかに設置されているあれこれの由来が、取手ではわかる。自分の住んでるまちや、近くのターミナル駅に置かれている屋外彫刻で由来のわかるものはほとんどないなあと思う。そういえば大学院のときインドネシアから来ていた同級生は景観や住民参加の視点でパブリックアートを研究していた。パブリックアートへの参加は割とそのまランドマーク、愛着、まシビックプライドみたいな話につながっていく(専門家がつなげたがっている?)印象があるが、実際には単語で言い表せるようなことではない、複雑なことが起きているだろうとも思う。立場とか、誰から声をかけられるとか、その人とのそれまでの関わりとか。といいつつ、色やかたちがそういうゴチャゴチャを乗り越えていくときもある、よね。

15時前にVIVAに戻るとチョリ(富塚絵美)さんと合流。一方的な面識はあったけどご一緒するのは初めて。17時の顔合わせに先立って15時からVIVAのラーニングルームでミーティングのはずが、前の利用者がなかなか終わらなかったり、入ってもセッティングにも時間がかかったり、結局15時40分くらいからミーティングを始めた。
17時からの時間の使い方や、いまピックアップしている出来事の話、年間スケジュールや創作の進め方などなど。

17:00 関係者顔合わせ

ミーティングの体制そのまま、今回いっしょに演劇をつくっていきたいとお声がけした人々も集まって顔合わせにスライドする。それぞれがTAPとどう関わってきたのかお聞きしていくだけでも1時間くらいあっという間に経つ。2004、2010、2018といくつか注目している時期をポンと真ん中に置くだけで話が広がっていく。人それぞれの異なる情景を広げて拾っていくような時間だった。こういう時間を繰り返し繰り返し重ねていくんだろうな。

2008年に行われたTAP10周年の記録映像もみんなで見た。記念すべきアニバーサリーのはずなのにこの日の面々にとってはあまり記憶がないという話が面白かった。10周年から25周年のあいだに担い手も関わり方も変化してきたということか、カメラが切り抜いた風景がごく一面ということか。
1999から2002まで関わっていた芸大先端の方が卒制として残した「TAPキット」の実物も初めて見た。4年間のTAPを追体験する装置であると同時にプロジェクトのアーカイブになっていて、この日はさらっと見るだけだったけど次はもう少しじっくり見たい。いつかのための記録を残すのはアートプロジェクトの常だけど、実際に月日が流れこうしてアーカイブとして本領発揮し始めるというのは、長年の継続がなければ起きえない。タイムカプセルを開ける場面に立ち会ったような気もした。

あっという間に20時になってあわててVIVAを出る。

20:30 しちりん

一緒に再開発が進む西口駅前に佇むホルモン焼きのお店「しちりん」で夕食。目立つ存在だけれど実は一度も行っていないということで。大内家のこどもたちも合流。なんやかんや話したり聞いたり、もちろんしたけれど、「こういう人たちで一緒にやっていくのね」ということを体に浸透させる時間だったかんじもする。店員さんがみんなとても若いように見えた。
22時前くらいに解散。駅前のホテルにチェックインする。就寝。

3月21日(木)

7:00 朝食と散歩

2日目は9:30に大内さん羽原さんと合流する予定で、朝食を食べた後、少し近所を歩いてみた。ホテルの前の道は「芸大通り」とあるものの本当にここをまっすぐ行けば芸大に着くのか怪しさがある。平日8時は駅に向かうひとと、駅から学校に向かう高校生とが行き交っていた。この先に高校があるんだろうか。
坂を登ると交差点のそばに香取神社という名の神社があった。土手ができる前はこの高台から利根川が見えたのかもしれない。江戸時代の初期に建立と書かれていたから利根川東遷よりも前か。川に対する信仰や意味付けは、流れ込む先が東京湾から千葉に変更されたことで何か変わったのだろうか。

神社を左手に折れた先はがくんと下り坂で、果てしなく平たく窪んでいることが見て取れるだけでなく、遠くのガスタンクまでギリギリ見通すことができた。2000年代のどこかのTAPでガスタンクのデザインコンペをしていたのを読んだ記憶がある。あれだろうか。ガスタンクをキャンバスにしようなど、このまちのどこで何をするか企画するとき、まちなかで見える毎日の風景も手がかりになっていたんだろうか。
降って、住宅地に入っていく。「台宿」というのが地名だろうか。昔からの住宅が多く、お屋敷と呼んでも差し支えなさそうな大きな家もポツポツある。竹林のそばをトイプードルが飼い主といっしょに散歩していた。坂道の道標も立っていた。

もっと進むと樹木のたくさん植った丘。井野天満神社と書かれていた。参道に花の開いた桜がかかるだけでなく、ちょっとした梅林があったりとやたら気持ちのいい場所だった。境内に彫刻作品が点在していたけれどTAPで名前を見た人の名前は見当たらなかった。

帰りは地図を見ながら、最短ルートでホテルに戻る。地図を見ないで歩く時間でしか得られない栄養素がある。

荷物をまとめていたら地響きのような地震。緊急地震速報。びっくりした体のまま羽原さん大内さん羊屋さんと合流。芸大へ向かう。

10:00 芸大の見学

いずれ使わせてもらう可能性があるよねということで芸大の敷地内にある宿泊施設を見学させてもらった。ひんやりとした床。高校のときに行った合宿施設を思い出す。芸大の学生さんが「なぜ芸大は取手に校地を構えたのか」という問いで論文を書かれたと聞いたが、その問いに少し肉がついていくような気がした。
さくっと済ませたらVIVAへ。

10:30 顔合わせDay2

昨日は都合が合わなかった方々をオンラインで交えて、2日目の顔合わせ。えつさん「知恵者がこんなにたくさん」。糠床を底のほうからぐいっとかきまぜるような時間。すべてこれからだけど、この二日間でクロニクル上演プロジェクトの仲間が増えた感じはうれしい。
スケジュールの兼ね合いで12時頃にミーティング終了。羊屋さんは取手を後にした。

「とりあえずお昼を食べましょうか」ということで、羽原さん大内さんえつさんとアトレの珈琲館へ。先ほどの顔合わせで羽原さんに尋ねた「8年にわたるクロニクル活動から見えたもの」の話をしたり、インタビューの聞き返しをするなかで感じたことを話したり。
平日お昼の珈琲館は満席。ナポリタンセットを食べた。昨日から、苦手なトマトを食べていただく場面が多い。

14:00 取手競輪場へ

所用のため羽原さんと別れ、大内さんえつさんと一緒に西口からバスに乗り込む。大内さんと阿部はバスを途中下車し、競輪場へ。周辺道路のあちこちに昨日はいなかった警備員?駐車誘導員?のおじさんが立っていた。仕事終わりなのか仕事中なのかあいまいな佇まいをしていた。
券の買い方も、何時から何時に行われているものなのかも何一つわからないまま、とりあえず昨日登った屋根付きの坂道を登っていく。上がると警備のおじさんから「関係者の方ですか?」と聞かれる。「いえ、まだやってますか?客です」と伝えると「こっちは裏口で、正面入り口はぐるっと向こうに回ったところにあるんです、すみません」とのこと。そうだったのか。そうなるとキャラクターたちの説明書きは、ほとんど一般の人の目に触れていないのかしら。バンクも、ジャンも、やまおろしも。
言われた通り回り込むと、昨日は気が付かなかったけれど広大な駐車場の一角に畑があって菜の花がわさわさ咲いていた。どういうことなんだろう。競輪場の一部として畑があるんだろうか。

なにひとつ勝手がわからないまま券を売っているらしき建物へ。とりあえずまだ開催しているみたいで、モニターに「第9レース締切まであと6分」と書かれていた。よくわからないけど急いで買えば第9レースには参加できるっぽい。年季の入った記帳台があり、そこに用紙がたくさん置かれていて、これを券売機?に入れると賭けられるっぽい、と状況から推測。わかったような顔をして、大内さんと自分、それぞれ購入する。マークシートが求めてくる情報を読み取り、埋めて、機械に入れたらすんなり買えた。大内さんはマークの仕方に何か間違いがあったみたいで、何度かエラーが出ていたけど何とか購入に成功していた。

中に入る。音のない遊園地というかんじ。昔行ったリニューアル前の西武園ゆうえんちにムードだけ似ている。大きな売店があって立ち食いそばや甘酒、焼きそばなどを売っていた。あとでわかったことだけど、賭けなくても中には自由に入れるようだ。また、中にも券売機?が多数設置されていた。自分たちが買った外の券売所は前売発売所だったらしい。
壁面には無料の給茶マシーンが埋め込まれていて、お茶や水は無料で飲むことができた。ボタンを押すと小さな小さな紙コップが出てきた。

階段をのぼって場内へ。スタジアムのような構造で、風雨にさらされてきたであろうプラスチックの椅子がたくさん並んでいた。おじさんが多かったけど若いひとたちもちらほらいた。しかし全体的にはほとんど空席だった。
追加料金を払うとガラス張りの屋内から見ることもできるようだった。

すぐに第9レースが始まる。静かに佇んでいたおじさんも若いひとたちも立ち上がり、「⚪️⚪️がんばれ!」「△△ー!」などと声をあげる。特に選手が前を通るとき。人が勝負をしている場面は見応えがある。
レースはあっという間に終了。テレビ中継と違って会場では実況も音楽もないので、聞こえてくるのは風の音と掛け声とシャーっという自転車の音。レースが終わると風の音だけ。静かな場所だと思った。賭けは、二人とも外した。
やっと勝手がわかってきたのでもう1レースやってみることに。今度はモニターでオッズを確認のうえ、手堅いと思われる組み合わせで買った。とはいえ何がなんだかわからないので、三単複は選んだ3人が1〜3位だったらいいんですよね、などと大内さんと確認をしながら。風が冷たいので甘酒を買いにいったら完売していた。スタジアムは寒いし、見やすいわけでもないし、室内で見るひとのほうが多いのは納得だった。賭けをするだけなら現地に足を運ばなくてもいい。直接選手に声をかけたいか、公園のように過ごしたいかという人が来ているのかなあと思うなどした。

30分くらいしたら第10レースが始まる。今回も二人とも外す。大穴の選手が1着だったようで、三単連で当てた場合は100倍近くになっていたようだ。これがギャンブル。

競輪場の外に出て、昨日おやすみだったモツ煮屋さんに立ち寄る。モツ煮500円をふたりでひとつずついただいた。素朴でおいしい。とても元気のいいおかみさんが切り盛りしていた。人のピークは午前で、15時くらいになると閑散としてくるという話を別のお客さんとしていた。

駅行きの無料直行バスが正面入り口から出ており、ちょうど出発するところだったので飛び乗って駅前へ。みんな高齢の男性だったように思う。
バスは側道を走る競輪選手?のグループとすれ違う。本番前のトレーニングだろうか。

16:00 図書館、藤代

残り時間をつかって取手の文献に当たりたいと思い、利根川近くにある図書館を目指して大内さんと歩く。ぽてぽてと15分くらい歩くがしかし、あいにく休館日。残念。大きいけれど偉そうなかんじのしない図書館だった。これが駅前の再開発でマンションの中に再編されるのか。
仕方がないので再び駅を目指す。途中、島田忠幸さんのアトリエの前を通ったり、シンロクさんで刻み奈良漬を買うなど。

さてどうしよう。まだ余裕があったので「藤代に行きたい」と提案。取手市の北半分を占めるけれど、VIVAや芸大で過ごす時間が多いため一度も訪ねたことがなかった。常磐線に乗り込み隣駅を目指す。電車から井野団地やガスタンクを見ることもできた。

藤代駅前にはお店とか喫茶とか、そういうものはほとんどない。TAPに関わる人がかつてシャッター画を書かれたという酒屋さんは2月末で閉店していて、高須でイベントをやるときにお世話になっているというおにぎり屋さんはお休みだった。行く先行く先やってない、ここまで続くと清々しい。
行く当てなく大内さんとうろうろ歩く。駅の反対側にも出て、昔ながらのパン屋さんで菓子パンを買って少し歩くが、なんとなくここまでかな、というT字路に出たので駅に引き返す。
普段取手駅の周辺ばかり見ていたけれど、それとは違う取手市を見ておけてよかった。

改札前で少し話をしたあと、常磐線で帰宅する。

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