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【フィールドノート】お二人の話|2024.2.9|阿部健一

阿部健一です。uniという団体で演劇をつくったり、ドラマトゥルクをしたり、まちづくりを研究したりしています。uniメンバーの齋藤優衣さんといっしょに2023年からクロニクルプロジェクトに参画しているTAPビギナーの阿部が、いろんなことがまだよくわからないまま、取手を訪ねた日のことを書き綴ります。この日はuniの齋藤とともに、2003からTAPに深く関わり今もVIVAの運営でTAPと協働する伊藤達矢さんと、1999からTAPに関わる取手在住のアーティスト・平田五郎さん、それぞれにお話を伺いました。
取手アートプロジェクト(TAP)クロニクルについてはこちら↓

10:00 VIVAで打ち合わせ

常磐線の、○時発の○号車で落ち合いましょう、というようなかたちで優衣さんと合流。10時に取手に着き、改札前でコーディネーターの大内さんとも合流。
12時から伊藤達矢さん、16時30分から平田五郎さんのお話を伺うとなっていて、その開始前の午前中に少しフィールドを歩いておこうかという想定だったけど、その時間をつかってTAPの羽原さんも交えて来年の上演についての打ち合わせ。おなじみVIVAで、日程やメンバーについて話をした。

何時にどうしたとか、元々こうだったけどこの日はこうなった、などということは何も特別でも大事でもなくて、日々じたいがほとんどそういうことでできているなかであえて書き残すことに意味があるのか、ということをもちろん思うのだけど、水が流れ出て空になった器がはじめから空であったかのように間違わないために、たしかにあったものごとが透明になっていくことに抗うために、ほどほどの執拗さで書き残しているのかなと思ったりもする、こうした記録を。無駄や疲れをよいものと言いたいのではなくて、あったものがなかったことにならないといいな、ということを最近は考えていたりする。

などといいながら、この日からしばらく経ったいま現在、打ち合わせ内容を詳細に覚えてるかというと怪しい。その日のうちにすぐ書けることと書けないことがあるし、時間が経ってから書けることと書けないこともある。こうした記録は、いつ手を動かすのがいいか少し悩む。

12:00 伊藤達矢さんへのインタビュー

12時に伊藤さんが到着されて、羽原さんが手配してくれたおいしいタコスをお昼に食べながら、伊藤さんとTAPの出会いをお伺いしていった。

伊藤さん、お話の仕方がうまい。思っていたのと違ったときの困惑、振り回されたときの情景、TAPに傾けていった情熱などがふくよかに、かつシャープに語られて何度もお腹を抱えて笑った。
実際は緊張感にあふれていたかもしれないエピソードがこんなに笑えるってどういうことなんだろう。当時の伊藤さんの立ち位置だろうか、それともお人柄だろうか。一方で笑えない話、語ることばに結びついていない話はいまどうなっているんだろう、ということも気になる。TAPクロニクルは笑える演劇になるとよいのだろうか。
スタンダップコメディが「コメディ」であることともつながるのかな、とも思ったりした。

14:00 取手駅周辺をめぐる

インタビューを終えた羽原さんは伊藤さんと芸大の授業関係の作業に入られたので、大内さん優衣さん阿部で、取手駅周辺のTAPゆかりスポットをめぐる。2023年は優衣さんが取手に来ることがかなわなかったため、ハイライトの時間でもあった。
西口に出てまずはTAPハウスを見にいく。

いまはTAPと全く関係のない方が住まわれている。そういえばこの物件はどうやって探し当てたと話していたっけ。一度聞いたと思うのだけど。
壁画を見ながら利根川のほうへ。住宅のすきまを抜けて土手の上へ。

土手を降りて長禅寺にも立ち寄る。TAPゆかりというか取手駅周辺のお手軽散歩コースという感じもある。でもご開帳のときに大内さんが毎年参拝しているという話を伺って、何度も足を運ぶうちなんとなく長禅寺もTAP関係の場所ということでからだに刻まれてきている。

TAPの原点、ストリートアートステージ。なぜか作品のキャプションが緑色の養生テープで覆われていた。何台もそのようにされていた。一体なにがあったんだろう。緑の養生の上から作品名と作者名は透けて読めた。

駅まで戻り、お馴染みリボンビルのポニーでお茶。テクニカルスタッフや、過去のインタビューの文字起こしなどについて話しているうちに16時過ぎになっていた。

16:30 平田五郎さんへのインタビュー

VIVAに戻って、平田五郎さんとお会いする。同じタイミングでえつさんも合流された。平田さんは取手在住の美術作家で、TAPには1999のオープンスタジオのときから参加されている。2004には指名公募アーティストのひとりとして、自宅を会場に巨大や蝋の家を製作された。年代的にも経緯的にも「郷土作家」とは異なるレイヤーにいらっしゃる方なのだと思う。昨年6月の総会でお名前を伺ってから、出会うひと出会うひとがなんとなく平田さんを気にされていることが多く、一度お会いしたいと言っていたのが実現した。
芸大の学生時代、創作で穴を掘っていたこと、取手に越してくるまでの経緯などをお聞きする。とつとつとした話しぶりと、内容のはちゃめちゃ具合のコントラストが面白い。
先ほどの伊藤さんのお話でも故・渡辺好明先生が大きな存在だったが、平田さんにとっても渡辺先生はキーパーソンだったようだ。

お話のなかで平田さんは「アートは作家と作品がないと始まらない。いまのTAPは作家が見えない」と問いかけ、大内さんは「モノとしての作品ではない作品に、考え方が変わってきているというのはありますね」と答えた。それは演劇「作品」をつくっていたはずが、作品の周辺を考えることの多くなってきた自分にも向けられたことばのように感じた。
2010年頃、TAPが展覧会型から日常型に方針を変えたとき、変わったのは時間の流れだけではなかった。プロジェクトのどこにアートが宿るのか、なにをもってアートプロジェクトなのか、その思想も変わっていったのだろう。その模索の延長線上に、おそらく当初クロニクル活動の推進にも大きく関わった「アートセンター」というキーワードも関係している。

アートプロジェクトは、作品とアウトリーチという枠組みを解体し、美的体験、創作、参加、生活といった諸要素の再構築自体を作品として扱う営みだと思う。では2010年以降のTAPでは何がどのように解体され、何が再構築されたのか。自分は2010年以降の14年間にわたる行程をまだ、ほんの断片でしか知らない。

インタビューは18:30頃に終了。平田さんにお礼をお伝えして解散した。
優衣さんは所用で17:30頃に先に出ていたので、ひとり東京に向けて帰宅した。

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