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【フィールドノート】いこいーのからさざえ堂へ|2024.4.18|阿部健一+齋藤優衣

uniという団体で演劇などをつくっている阿部健一と齋藤優衣は、2023年からクロニクルプロジェクトに参画し、フィールドワークやクリエーションで取手に通っています。この日は優衣さんと共に取手を訪れ、取手井野団地内にある「いこいーの+TAPPINO」を訪ねたあと、長禅寺のご開帳を訪問しました。そのフィールドノートです。
取手アートプロジェクト(TAP)クロニクルについてはこちら↓

フィールドノート:齋藤

VIVAでTAPキットに触れる予定だったが、阿部の勘が働いていこいーのへ。
TAPキットは広げられないなと確信しつつも、阿部の勘に乗ってみる。
やはりいこいーのは盛況で、相席するしかないくらい賑やか。

相席させていただいたミッキーさんたちと、サンセルフホテルのアルバムを眺めながら、その方の視点で当時のことをチラチラと教えてもらう。
今日がその時みたいに、エネルギーに満ちた声音で話してくれる。サンセルフホテルのホスピタリティ、ここにあり。この地に住まう人たちがホテルそのものだったのだろう。

お話を聞いた帰り際、打って変わってひとり静かに紅茶をすするミッキーさんの背中が目に焼きついた。

今日の目的は、長善寺で年に一度開かれる三世堂めぐり。100の観音像が各所から寄せられ、おさめられている。一体一体におさめた方の名前が記されていて、その有り様がアートプロジェクトみたいだねと話しながら参拝。
いこーいので出会った方の顔がちらつきながら階段を降りた。

前を歩いていたご高齢のご婦人が、「今年できっとお参りは最後だから頑張らないと」と言いながら急な階段を登っていた。
小休符を自ら打つご婦人に、内心「来年もきっとお参りできますよ!」と野暮なことを考えるのはよそう。
小休符を打つことも大事、と教えていただいた気がした。


フィールドノート:阿部

都内で優衣さんと合流し、常磐線で取手へ。12:00頃にVIVAに到着し羽原さんと合流する。
この日の訪問の目的は年に一回開かれる長禅寺のサザエ堂で、お昼休みが挟まるということだったので14:00くらいに行こう、その前にTAPキットをVIVAで眺めようという計画だった。TAPキットというのはTAPの1999~2002に関わった大石さんという芸大生の方の卒制で、4年間のTAPを題材としたアーカイブ兼追体験キットという四つの箱で、先月の顔合わせで持ってきていただきそのままVIVAに置かれていた。

お昼を食べながら見るのはどうかと思い、ふと羽原さんに「いこいーのって今日開いているんですか?」と尋ねると、開いているとのこと。ご飯の提供はないのでお昼は兼ねられないけど、いこいーのの日常を見たことがこれまでなかったので、無理をいってTAPキットとともに井野団地のいこいーのへ車で送っていただいた。

12:30くらいに到着すると、いこいーのは地域の年配者で大変賑わっていた。羽原さんが「演劇をしているお二人です」とみなさんにご紹介してくださった。相席というかたちで座らせていただき、自然と居合わせたひとたちと話をしていく。普段からここには来ているんですか、など。棚にはTAPの記録集や、ここを拠点に行われた『サンセルフホテル』のアルバムなどが収められていた。

居合わせていたミッキーさんという男性はサンセルフホテルに深く関わったキーマンだった。あとで羽原さんに伺うといこいーのには頻繁に来てらっしゃるという。2011年以降のTAPの活動、特にサンセルフホテルについて知りたい思いがあったためミッキーさんに尋ねると、アルバムを開いて「このときはこうだった」「この写真は何年目で何をしているときで」と丁寧に解説してくださった。アートプロジェクトが終了して何年か経ったあともこうして地域で大事に語り継がれているのは眩しい。

13:30くらい、そろそろサザエ堂に向かわねばということで、結局TAPキットを落ち着いて見る時間がなかったため中身を一通り写真に収めたあといこいーのを後にする。取手駅方面へ歩きながら、私たちが去ったあとに一人お茶を飲むミッキーさんの後ろ姿のことについて話した。なにか胸を打つこの感情はなんなのだろう。
アートプロジェクトでは日常との接続が目指されることが多いと思う。専用施設で専門家だけが取り組むのではなく、社会のなかで、非専門家の参加を伴いながら行われるアート。アートと日常の壁はゆるがされ、越境していくことが目的のひとつとされることがあると思う。ミッキーさんにとってサンセルフホテルは「自分たち」のプロジェクトで、いこいーのも「自分たち」の場所と感じてらっしゃるのではないか。アートと日常の接続や出会いを超えて、アートが生活に深く根を下ろしているように感じられた。それは多くのプロジェクトにとって目指されることのはず、だけど「アートが根を下ろす前にはもう戻れない」という逆向きのことがなぜか気になった。

プロジェクトが事業として終了しても生活は続く。事業終了の受け止め方はきっと人それぞれだ。次の活動に向かう人もいれば、かけがえのない思い出として共に生きていく人もいるだろう。この「アートプロジェクトのその後の人生」という領域はまだまだ未知の世界なのかもしれない。立ち上げることや続けることに比べると、終わり方は話題に登りにくい。でも始まったものは終わるわけで(あるいは決して終わらないように代々受け継ぐか)、終わりをどのように分かち合うか、受け止めるか。終わったあとの時間をどう過ごしていくか。

13:45頃に長禅寺に到着。年配者を中心に多くの人が訪れていた。サザエ堂というのは建築様式で、三階建のお堂のなかを順路に沿って一方通行で回れるようになっている。なかにはたくさんの仏像が鎮座している。四国や秩父のお遍路のことが書かれていたので、全国のお遍路さんを巡ったのと同じご利益があるという発想なんだと思う。仏像ひとつひとつに誰が寄進をしたのか書かれていた。ほとんどが近郷の名士のようだった。
お堂の前では甘茶を配っていて、一杯いただいた。八重桜がまだまだ見頃だった。

14:00過ぎにはお寺を出て、駅前で昼食を食べ優衣さんはひと足先に帰京。
自分は、先月空振りだった取手市図書館へ。その道中、取手の本陣が開室していたので立ち寄る。けっこう大勢が見学していた。

八坂神社の隣にある図書館の2階、郷土資料のコーナーで16:00くらいまで過ごす。自分以外には誰もおらず、普段もそんなに人が出入りする雰囲気でないのか「何かご用ですか?」とやや警戒感の漂う声かけをされつつ入室した。このコーナーは国会図書館と同じように私物の持ち込みができず、コインロッカーに預けなければ入室ができない。
民話や昔話よりも駅前の再開発計画が気になってパラパラ見る。どんな公共施設も公共空間もその基本計画には理想が掲げられている。理想をどういう具体的なプランで実現しようとしているのか、また理想やプランはどういう経緯で作られているのか、言い換えればどのようにパブリックな諒解ができていくかを見ていくのがまちづくりだとしたとき、関西の劇団・維新派を思い出す。維新派の作品は、演劇作品というだけでなく「土地の可能性のひとつ」に感じられた。彼らの描くだれも見たことのないもうひとつの世界を考慮にいれたとき、まちづくりはどこに向かいはじめるのだろう。ステークホルダーとされるひとびとだけでなく、すでに亡くなった人とか地中に埋まっているなにかとか精霊とか、そういうものたちも交えて諒解されるまちというものがあるのかないのか、そういえば数年前にそんなことが気になっていてずっと棚上げにしていた。

16:00過ぎには図書館を離れ、東京に帰宅した。

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