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【フィールドノート】壁画とカレーとインタビュー|2023.11.29|阿部健一

阿部健一です。uniという団体で演劇をつくったり、ドラマトゥルクをしたり、まちづくりを研究したりしています。uniメンバーの齋藤優衣さんといっしょに2023年からクロニクルプロジェクトに参画しているTAPビギナーの阿部が、いろんなことがまだよくわからないまま、取手を訪ねた日のことを書き綴ります。この日は羊屋さんを交えた打ち合わせの後、カレーを食べ、1999年からTAPを支えるスーパーボランティア小林正幸さんのお話を伺いました。
取手アートプロジェクト(TAP)クロニクルについてはこちら↓

12:30 昼食

打ち合わせを「12時過ぎから開始」ということになっていたが、「過ぎ」を拡大解釈したうえに一本乗り逃してしまって、12:35に取手駅に到着する。早く着くかも?と一縷の望みで乗った日暮里発成田行きは、やっぱり取手には行かず、我孫子で20分近く次の電車を待つことになった。我孫子駅のホームには山下清が働いていたという立ち食いそば屋が建っていた。気になるけれど、たぶん到着したらお昼を食べる流れになると思ってスルー。
待合室では一席置きにおじさんが座っていた。向かいに座った50才くらいのおじさんは雇用契約書と書かれた書類を、目を凝らして読んでいた。

取手駅に到着、VIVAにて羊屋さん大内さんえつさんと合流。荷物だけ置いてお昼へ。西口を出たところで羽原さんも合流。羽原さんはお店を探してくれていて、第一候補のお店がいっぱいで入れなかったということでどこにいく?と話しながら地下通路を通って東側へ向かう。いろいろなお店の名前があがるが、自分はよくわからない。前日に2003年のTAPドキュメントブックを読み返していたので「2003でつくった壁画ってどこにあるんでしたっけ?」と尋ねる、と、ここから少し歩いたところらしい。あとで寄ってみましょうか、ということにしていただいた。
お昼は和食のお店で、ちらし寿司がメインのまかないランチをいただいた。みなさんは天ぷらうどんのセットなど。

食べながらいろいろなことを聞く。この日の前週、羽原さんが藝大に辛美沙さんと高橋裕行さんをお招きして実施した、2000年のTAPについてお話を伺う会のことや、2003年頃の市民ボランティアの方々の様子、来年大地の芸術祭も25周年らしいよ、ということなど。半年前と比べると徐々に徐々に登場人物の名前に聞き覚えが出てきている。(でも点と点がつながって線になる喜びにまどわされてはいけない、自分よ)
それとお金、特に税金をめぐる様々な意見や立場について。意見の裏側にはひとりひとりの生活や環境、経緯、価値観がある。パブリックとプライベートを切り分けきれないトピックなんじゃないかということを最近感じる。最終的にはこのことを議論するのは政治家の役割ということになるのかもしれないけれど、そうでなく草の根で、セーフティに話せる・対話ができる場というのはどういうかたちなんだろうということも思ったりする。

13:30 壁画

お店を出て、壁画のある高架下へ向かった。途中、大師通りで初代のTAP事務局跡地も見ていく。いまは全く違う建物になっているが、そもそも当時の建物はプレハブだった。
駅前通りから旧街道に出るところには一種の伝統産業としての円匙(えんび)を扱うお店。小学生がつくった壁新聞が貼られていた。

円匙のお店を曲がると常磐線の高架下で、2003年に描かれた壁画が大きく広がっている。サッパ船や利根川の景色など。高架の工事の関係で上のほうは一部削られてしまったらしい。

壁画は、高架下を抜けて駅の西口を目指す道のりにもずっと描かれている。切れ目なくつながっているので同じ作者かと思ったらそうではないらしい。2003年以後に取手市が壁画のプロジェクトを立ち上げ、駅までの空いている壁面に壁画をほどこしていったという。どこまでが誰の作品か判然としないかんじはアートリングも連想する。チョコスプレーのようにまちにアートがまぶされているようなかんじもする。じゃあコンクリートの壁のほうがいいんですかと言われるとそう単純な話に落とし込むのではなくて、やっぱりプロセスなのかなあと思ったりする。

14:00 打ち合わせ

VIVAに戻ったら最近のTAPやクロニクル運動の進捗共有など。いわゆる報告・連絡事項と、話題から引き出される所感や語りを往復するような時間。そこに蓄積しているものが多くて、多すぎて、掘り返し始めると途方に暮れるけれど、出てくる玉も石もそこに埋まっていたというだけで味わい深く感じる。でも目的は玉や石のコレクションをつくることなのか?と常に問い直していくことは大事だ。

西口を出たところにあるリボンビルの喫茶店ポニーでコーヒーブレーク。ポニーでのブレイクにも慣れてきたというか、味を占めてきた。羽原さんに「どうぶつ」と書かれたキリンやゾウのクッキーをおすそ分けいただく。目の細かい小麦粉の味がした。羽原さんの娘氏おすすめの一品らしい。
リボンビルのフリーペーパーを手に取ると「鮭地蔵」が特集されていた。取手でも昔鮭が取れたということは小文間の資料で目にした。いまでも稚魚の放流をしているらしい。鮭は、取手で放てば取手に帰ってくるのだろうか?それとももっと上流まで行って出産するのだろうか?
コーヒー片手に打ち合わせを再開。

18:00 夕食のカレー

打ち合わせ終了後、えつさんの伴侶・正幸さんにヒアリングすることになっていたが、何時からと決まっていなかったのでとりあえず晩御飯を食べに行くことになった。羊屋さんは「カレーが食べたい」といい、えつさんの家の近くのカレー屋さんを目指す。途中で、羽原さんの娘氏も合流する。
残念ながらお目当てのカレー屋さんはやっていなかったので、もう一軒別のカレー屋へと向かう。車内ではピタゴラスイッチと忍たま乱太郎が流れていて、後部座席ではクロニクルのnoteを立ち上げましょうという話をしていた。

19時くらいに2軒目のカレー屋さんに到着。元々なかった5人用の席をつくってもらった。大体みんなカレーが2種類とタンドール料理のついてくるセットを注文。お店にはけっこう充実した物販コーナーがあって、インドやネパール、スリランカの服や雑貨、かばんがひしめいていた。全員、しばらく物色。大内さんは食後カバンとサンダルを購入していた。娘氏はラクダが似合いそうな帽子を買ってもらっていた。どの商品も思い浮かべる0.6倍の値段だった。すごい。
「そういえば、ここTAP塾の頃からあるね。取手のカレー屋さんのなかだと老舗だ」と羽原さん。自分が取手訪問をするなかでよくこういう場面に出くわしている気がする。一回行ったことあるお店が取手中に広がっているから、どこにいっても「久しぶりだ」の状況が生まれやすいのかもしれない。そんなことを一つとっても取手で生活し、アートマネジメントを仕事にしていることのリアリティがにじんでいるような気がする。

20:00 えつ邸

食事を終えたら車でえつさんのお家へ。10月にえつさんからお話を伺ったのと同じ部屋で正幸さんからお話を伺っていった。この部屋こそが「TAP宿」とも呼ばれる、TAP初期からアーティストやインターンの若者たちの取手生活を支えた部屋だ。2005年に指輪ホテルが公演をしたときもここでお世話になったという。
自分は1週間前に引いた風邪の名残があったのと、翌日が早かったため途中で失礼したが、正幸さんはTAP立ち上げの1999年からの関わりということで、TAPと同じように2024年で25年になる。長い時間そばで見てきた胸中を伺いたかったが、羊屋さんと大内さんにお任せして駅へ。この日のことは大内さんがショートレポートをあげてくださっている。

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