まだまだかな… #204
祈りもするけど、声もかけたくなる。
遠巻きに見て、想い、祈る、、、だけの境地にはいられない私がいる。
電光石火での反応はしなくなったけど、様子を見る私がいる。
そして、お節介とわかっちゃ~いるが、考えに考えて、声や手
出してしまう…
それはまだ相手を信じていないから?
その人自身に力があることを信じていないから?
私自身、そうやって放っておかれた気がするから。
だから、嫌なんだ!という気持ちがどこかにある。
遠巻きに見て、想ってくれている人がいる…
だから自分の問題自分で解決する、解決できる…それも大切なことだけど
私はそっと差し伸べられる手を持っていたいんだ、と思っている。
新聞記事に、
生活保護を受給する母子家庭で育った20歳の女性の話が出ていた。
これは、政治はこの声に応えられるか、と問いかける記事の中の話だけど、
実際、私も同じような体験をしてきた。
私が生きてきた時代といまは違う。
だから、一概には言えない…
遠い昔、伴侶を亡くし母子3人で暮らしていた私たち家族を、父は心配していただろう。毎朝、神棚に向かい手を合わせていたことは知っているから、たぶん祈ってくれていたと思っている。
だから、心配をかけまいと頑張った私。
30年近くをかけて、すべてがすれ違っていたと気づいた。
ここで、祈りが違っていた、とも言えると思う。
心配ではなくて、しあわせを祈ることが大切なんだよね…
まだまだごちゃまぜ。
本当に相手のしあわせを祈ることができれば、
声や手、本当に出す必要はないのだろうか?
まだまだトラウマが解消されていないが故のものなのか?
私が出してしまう声や手は、本当に必要ないものなのだろうか?
祈りながら、答えを探す日々を過ごしている…
最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。
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