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20歳の夏休み全部使って日本一周してみた(16:米沢〜伊豆大島)

第16日目

タイトルに書いてあるように、今日は1日で山形県から伊豆大島まで向かいます。利用する切符はいつも通り、青春18きっぷを使います。つまり普通列車のみの利用です。最初、この予定を立てた時、高崎線と東海汽船の接続の良さに感動してしまい、「これはやるしかない」と思った次第です。

元々22時に浜松町に着くように予定を組んだのですが、急遽20時半までにバイト先に向かわなければいけない用事ができて、20時半を目標に東京に帰る必要が出てきました。なので予定していた谷川岳観光を取りやめて、水上に向かうことを第一に考えて行動することになります。途中、上越線の土合駅というところで下車しますが、土合駅というのは、この旅で訪れたい駅ランキングでも上位に入っていますので、土合で下車することは優先的に考慮に入れます。これらを踏まえて出来上がった本日のルートはこちらです。

まず、朝の5時56分に米沢を出る米坂線の1番列車に乗り込み、8時8分に終着駅である坂町に到着します。次に1時間後の9時2分に坂町を出る白新線に乗り、10時過ぎに新潟駅着。その後、12時6分に新潟を出る信越線で長岡、長岡から上越線で土合、土合から関越交通のバスで水上、水上から上越線で高崎、高崎から高崎線で新橋、新橋から浜松町で浜松町から竹芝桟橋まで歩き、さるびあ丸に乗船するといった流れです。

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この行程のミソは、土合で次の下り線を3時間待つのではなく、バスで水上まで行ってしまうことです。このバスがなければ、20時半東京着は実現しなかったでしょう。そもそも土合駅とはどういうところなのかというと、駅の構造上、ホームがとても深いところにあり、ホームから改札まで10分以上も階段を登り続けらなければならないような駅です。土木に興味がある人間として一度は訪れてみたいと思う駅の中の1つではないでしょうか。なので、せっかく通過するくらいなら土合で下車して探索してみようということです。

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魔法のように東京に舞い戻って、魔法のように東京から離れる行程を高崎線と東海汽船の接続の良さが叶えてくれました。ということで今日は移動がメインです。泊まっていた米沢の快活クラブは駅から徒歩40分もかかるところに立地しているため、朝の4時台に目を覚まして活動を開始させました。

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米坂線を全線乗り通していたのは僕含め4人中4人が鉄道オタクの類いだったと思います。まず、朝の6時前に米沢から乗る人が4人もいたことに驚きです。坂町についてからは、散歩がてらセブンイレブンまで歩き、おにぎりを購入して食べました。新潟県産のコシヒカリが使われていたので、ちょっぴり旅行気分です。

今日乗る路線は高崎以北は全て初乗車なので、新鮮な気分でした。特に北東北の路線は初めてが多いので、見慣れない車窓に目が釘付け、と行きたいところですが、相変わらず眠い。白新線の路線図を見直して、「こんな駅名あったんだ」となっているのでおそらく寝ていたんだと思います。しかし新潟駅についてからは、一気に緊張感を持って行動する必要がありました。東京に帰って人と会うので、流石にシャワーを浴びておこうというのです。

泊まっていた米沢の快活クラブにはシャワーがなく、コインランドリーもなかったので、この状態で人と会ってはいけないような気がしました。そのため、新潟駅の乗り換え時間の2時間を利用して、駅から少し離れたところにある快活クラブでことを済ませることにしたのです。バスの待ち合わせ時間もあって本当にカツカツな予定となってしまい、最後はギリギリ12時6分の信越線に乗り込めたと言った感じです。これに乗れなければ、長岡まで行くのに時間がかかり、今日の行程は水の泡と化します。

信越線に乗ってからは、いつもの移動とは違った時間の長さを感じました。いつも路線図でしか見たことのない駅名が連続し、今自分が地図上のどこにいて、大体新潟県のどこら辺にいるのか見当もつかないまま、どんどんと南進していきます。新津、東三条、長岡、小千谷、小出、浦佐、塩沢と聞いたことはあるけど、どういうところかは全く想像がつかない駅名を次々に進みます。冬であればスキーで賑わうであろうこの地域の夏の車窓は、山の一部が局所的に緑色の滑らかな斜面となって見えるのが印象的でした。

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土合駅について下車すると、思っていたのと異なり、まず地上ホームに降ろされました。すぐに察しましたが、上りホームは地上、下りホームが地下にあり、有名な方のホームは下り線の方だったのです。ということで、わざわざ階段を下りて、土合駅の深さを身をもって経験することにしました。

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合計で462+24の486段ある階段が永遠と続く様は、見応えしかありません。どこまでも続いてそうなこの階段を永遠に降りていきます。1番下にたどり着いた時には、ひんやりどころかもはや肌寒いような感覚で、トンネルの中に靄がかかって、これまた幻想的な雰囲気になっていました。登るときは、無心で登り続けましたが、5段ずつに踊り場が設けられており、2段飛ばしで登るとリズムが崩され大変でした。ちなみに終盤に差し掛かると、嫌がらせのような看板が喧嘩を売ってきます。

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駅に戻ってからは、谷川岳の麓で谷川連峰の麓で取れた水を飲み、バスを待って水上へ向かいます。ここらへんの湯檜曽や水上は温泉で有名です。各地に温泉を案内する旅館や看板が目に入ります。水上から南下し、遂に高崎駅につきました。

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高崎についてしまえば、もうこっちのもんです。大回り乗車とかいう究極の時間の無駄使いで行き慣れすぎて、もはや家にいるような感覚です。家の間取り図を頭の中で思い描くのと同じレベルで駅の構内図を想像できます(流石に盛りました)。車内に貼ってある路線図も死ぬほど見慣れた首都圏近郊のものになっており、東京が近づいてきたんだなと感じます。

上野東京ラインに乗り換え、本当に見慣れた駅名をどんどん進んでいきます。倉賀野、神保原、本庄、深谷、籠原、熊谷、行田、駅名を聞くだけで安心します。17時59分に高崎を出て、東京駅に20時ちょうどに着きます。「埼玉県はどうすんだ」と野次が飛んできそうですが、首都圏近郊の交通ネットワークによる軽やかな移動を堪能すべく、あえて埼玉を飛ばして高崎線の魅力を最大限に引き出そうと思います。埼玉という無視できない存在を一瞬で通り過ぎてしまうほどに、高崎線はすごいんだぞと実感させてくれる埼玉という存在は、僕は偉大だと思います。

「翔んで埼玉」というか「翔ばして埼玉」というかなんというか、とにかくこの旅においては、埼玉を飛ばすことで埼玉の存在感を感じようと思います。もちろん長瀞の渓谷も秩父の芝桜も川越の小江戸感も、どこもいいところだと思いますし、決して「埼玉には魅力がない!」などと言いたいわけではございません。(これくらい弁明しておけば許してもらえるかな?)

ということで、東京での用事も済ませて、22時ごろに竹芝桟橋に到着しました。八戸でも函館でも船旅は経験してきましたが、今回の東海汽船はなんだか緊張します。今まで一度だけ極寒の東京湾夜景クルーズという(とち狂った)企画で東海汽船を利用したことがありますが、そのときは横浜東京間の短時間の利用のみだったし、そもそも宿泊が考慮されてない便だったので、明日の朝5時に大島に到着する今回の船旅はいつもに増してワクワクしました。まず、乗船するその日の朝に山形県にいる時点で、ワクワクを通り越して、何かとんでもないことをやり遂げてる感の方が大きかったです。久しぶりに東京の夜景を見ましたが、東北では、高層の建物が1つでもあれば目立ったのに、それが数え切れないほど林立している東京の景色は、やはりいい意味で異常だなと思いました。

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23時出航ですから22時40分から乗船案内が始まります。いつも見慣れた竹芝桟橋の建物の裏側に入り込み、ボーディングブリッジ的な通路を通って乗船しました。乗船して2等和室の自分が寝るところに荷物を置いて、貴重品だけ持ってすぐデッキに出ました。デッキから竹芝桟橋まで見送りに来てくれた高校の友達と両手を振って交信し、東京を発ちました。離岸してすぐに東京湾から眺める東京の夜景は最高です。レインボーブリッジを潜ったのを確認したら、部屋に戻って、シャワーを浴びて、眠りにつきます。

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この文章は船に乗ってゆっくりしてから執筆しようと考えていたのですが、長時間の乗車のせいか、疲労が溜まり、今大島の御神火温泉という温泉施設のお座敷でゴロゴロしながら書いています。昨日の朝、山形の米沢にいたとは自分でも信じられませんが、首都圏の交通網はこのような移動をも可能にしてくれる素晴らしい機能を備えています。計画を立てた当初は、現実味のない夢のような旅程でしたが、ちゃんと乗るべき時間に乗るべき乗り物に乗り、降りるべき駅で降りるという基本動作をしたまでです。

始発の米坂線も、新潟市街地を走るバスも、新潟からの信越線も、土合水上間のバスも、高崎線も京浜東北線も、全て時間通りに走ってくれて、この国の交通機関の正確さに感服です。これで東日本1周を果たしたようなものなので、明日は大島観光、明後日からは東京より西に進んでいきます。

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