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4歳の時に見た花火大会を18年経ってカメラに収める。

幼稚園の頃、夏休みにおばあちゃん家から見た花火大会を今でも覚えている。

アパートの3階のバルコニーから身を乗り出して見た花火は、当時の僕にとって、雷のような音と共に夜空に咲く光の華として、頭の片隅にしまわれた。

もしかしたら、覚えている限りで一番古い記憶かもしれない。さすがにそんなことはないかな。

何はともあれ、18年経った今、22歳の大学生になり、再びその花火大会を見ることができた。いつも通り、カメラを持って走り回って、休む間もなくシャッターを切り続けた。やっぱり、日本の夏は花火を見ないと終われない。




そろそろ19時、河川敷では多くの人がレジャーシートで陣取り合戦を繰り広げている。普段は何もない土手の上に、無数のお茶の間が広がり、今宵の特別感を演出してくれる。



僕はこの、花火大会が始まる前の時間が結構好きだ。

そこにいるみんなが同じものを待ち望んでいるトワイライト。

より打ち上げ場所に近いところへと歩きながら、特別な何かが始まる前のそわそわとした時間を楽しむ。



19時10分。最初の花火が打ちあがった。深く魂の奥に突き刺さる轟音が、体を内側から震わせる。


歓声とともに。
近づくと、頭上に打ち上がるように。
たまや~。
柳の木の下で。
橋の下から。
地面を轟かすほどの音が響く。
「もうこれ以上上がったら、昼になっちゃうよ」ってくらい明るくなる瞬間が好き。
警備さんも見惚れちゃってるよ。
花火師の自己表現をとくと浴びせられる。
火事があったらしいせいか、いったん落ち着いたが、まだまだ花火は上がる。
「まだあるのかよ~」と帰ろうとする客の声。


20時半。最後のフィナーレを迎える。


最後


最後の花火が終わると、みんなが一斉にぞろぞろと帰る準備を始めるのもなんだか良い。

「また来年も見ようね」
「鍵どっかに落しちゃった」
「なんでもう自転車乗ってるのよ」
「これ全部飲んじゃって」

いろんな声が聞こえてくる。

こうやって、ひと夏の記憶が作られる。

4歳の自分がそうだったように、子どもたちの脳裏にも色濃く刻み込まれただろう。

日本の夏に花火があってよかった。












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