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ことばの記憶


小学校の、誰もいない放課後の図書室には西日がさしていて、教室がオレンジ色に染まっていた。
校庭から楽しそうに遊ぶ声が聞こえる中で、私はいつも一人で本を読んでいた。
本を読んでいるときだけが、言いようのない、生きていることの寂しさから逃れることができた。
本の中に、その世界に、そこに綴られた言葉の中に、私の居場所があった。
たとえ恐ろしい広島の戦争の絵本であっても、江戸川乱歩の猟奇的な事件であっても、本の中の出来事や人々の言葉に動かされる私の感情は何にも誰にも制限されなかった。
図書室には一年生から六年生が読むためのあらゆる種類のあらゆる本があって、その中でも私が一番好きだったのは、詩だった。
短くて少ないことばの行間、空間、隙間、音色にくつろいで、その空気を吸い、色を見て漂っていた。
一枚の紙の上、ことばの間に、果てしない自由があった。
広々として、風が吹いていた。


中学校に入るとさらに色々なことがあり、私は傷付き、諦め、空気になりたいと思っていた。
他の命を食べて生きるような資格は私なんかに無いと思い、食べることをやめた私の体はどんどん軽くなっていったが、空気にはなれなかった。
体は軽くなっていくのに動くことはどんどん出来なくなり、布団の中で1日を過ごすことが多かった。
学校にも時々は行っていたと思う。
あまり確かには覚えていない。
中学は私立のエスカレーター校で高校受験が無かったからか、学校側から干渉はされなかった。
制服を着て家を出て、市の小さな図書館に行って、幼児コーナーの小さな椅子に座ってよく絵本を読んでいた。
とりわけ長新太さんの絵本が大好きだった。
あと灰谷健次郎さんの童話や、子供の詩。
その時に読んだ、小学生の子が書いた詩のことは今でも忘れられない。
たった一行だけの詩。
『ぼく 死ぬまで生きるで』
ああ、本当だ。
私もきっとそうしよう。
名も知らない子の書いた一文に励まされて泣きながら、その一行の詩をノートに書き写した。
あれから何十年も経って今、何回検索して探しても、あの詩が載っていた本を見つけることができない。


中学三年生になっても変わらず亡霊のように生きていた私は、この体とこの世界から本気で出たいと思っていた。
そんな、地面にめり込みそうな精神状態でフラフラと道を歩いていたある日、突然脳天に電気が走ったような感じがして、頭から足先まで何かが通り抜けた。
その瞬間、私の心身を浸していた泥のような重たさが消えた。
その代わりに突然わけのわからない幸福で全身が満たされ、溢れるような多幸感に泣きながらオロオロと歩いた。
今思うと、断食とか人が死の危険を察知すると脳から自然と麻薬的な何かの物質を分泌したりするという、何かそういうことなのかもしれないけれど、いずれにしても私に宇宙が吹き抜けたその日から宇宙と私は別物ではなくなり、境界が無くなった。
(その後中学の弁論大会みたいなのがあり、その時の体感からの気づきを書いた『螺旋』という作文を学年全員の前で発表したが、誰にも理解されないどころか先生に「何か宗教をやっているのか」と聞かれた。)


同じ頃、家にあった本をなんとなく手に取ってページを開いたら、一行目から最後の一行目まで手が止まらず、これまでの読書体験とは全く違う救われるような気持ちとともに、初めて友達ができたような気持ちになった。
きれいな花の絵の表紙、吉本ばななさんの小説『つぐみ』だった。
当時大流行していた『キッチン』から入るのが妥当だと思うけど、なぜかうちには『つぐみ』があり、キッチンはそのあと読んだ。
おそらく吉本ばななさんの本を読んで大好きになった人みんなが思うことだけど、もれなく私も、私は一人でないのだ、と思い、それからどんどん本を読んだ。
とくに日本の昔の純文学が好きだった。
本の中にはまだ会ったことのない、会うことはない、けれどももし会ったらきっと仲良くなれるであろう人たちがたくさんいた。
人間世界に生きるのは相変わらず馴染めずひとりぼっちで毎秒毎瞬寂しかったが、そのうち本の世界だけでなく、芝居やライブや絵など、あらゆる表現を見に夜な夜な出かけるようになった。
表現の世界にはいつでも私にとっての本当のことがあり、そこでだけ心は解放された。
体感したこと、感じたこと、話したいこと、伝えたいことが心から溢れそうだった。
でもそれを分かち合える人、話せる人は一人もいない。
芝居やライブや絵を見て一人で帰る道すがら、あまり見えない東京の星の光をそれでも夜空に探して歩いた。
月が涙で何度も何度も滲んだ。


高校生になっても相変わらず本だけが友達だった。
わいわい楽しそうな休み時間の教室にいたたまれず、一人廊下でぼんやりと外を眺めていた時、突然「チャミさん、霊感があるって本当?」と知らない女の子にニコニコしながら話しかけられた。
人から話しかけられたことと、その内容と、その女の子がものすごく美人だったことに驚いていると始業のチャイムが鳴り、彼女は「またね!」と言って廊下を走り去っていった。
何がなんだか全く分からなかった。
私はドキドキしていた。
次の日から彼女は休み時間ごとに別のクラスから会いに来て、私に手紙を渡してくれるようになった。
学校を休むと机の中にレポート用紙に書き殴ったような、なんていうか、圧倒的な手紙が入っていた。
その内容の精神性の高さ、知識の深さ、洗練された文学性、内容と裏腹にあまり綺麗とは言い難い文字の全てにものすごくショックを受け、私は頬を引っ叩かれたような、目が覚めたような気がした。
こんなに面白い人がこの世界にはいるんだという事実と、その人が私に話しかけてくれたという事実に、震えるほど感動していた。
こんなことがあるのなら、やっぱり私も死ぬまで生きようと再び思った。
『ぼく 死ぬまで生きるで』
泣きながら書き写したノートも彼女も、今はもう遠く見えなくなってしまったけれど、でも変わらずにここにある。
私が生きているから。


また彼女の話を書いてみたいと思う。



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