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こんにちはバーチャル40人


突然無性に、ほとんど人様の目に触れることのないnoteを書いている自分を虚しく感じた。
あれこれ表現活動をしていた20代の頃は常にこんな気持ちだった。
忘れていたわけじゃなかったのにその虚しさをこれ以上感じたくなくて、自分から線を引いて長年引きこもってきた。
別に誰に見て欲しいわけじゃないからと嘯(うそぶ)きながらも完全に誰も見ない場所ではなくnoteに書いて公開してきたのだから、本当は誰かに見て欲しかったのだし、と同時に誰にも見て欲しくないというのも本音ではあったと思う。
簡単にいうと、反応があるのも無いのも、どちらも怖かった。

沖縄リトリートyujiさんに伝導の神性をいただいたのに、伝導全然出来てないな、と何回も思ったことをまた思う。
その時「チャミさんの発信が伝わるのに一番適した人数は40人くらい」とかなり具体的に伝えていただいた。
40人。一クラス。
その時は伝導も人数もやる事も何もかもがピンと来なかったけど、今になってあの時のyujiさんの言葉が実態を持ってリアルに思い出される。
こんな時間差ってあるのだなと不思議な気持ちになる。

先日、東京でMOTOKOさんのシータヒーリングを受けた。
録音可ということだったので、携帯で録音させていただいた。
今朝、ふと、そういえばあの録音聴こうかなと思い立ち、初めて聞き直した。
自分の声、喋り方、口癖、思い癖、人とリアルにやり取りしてこなかったこれまでの時間の全てがあからさまに表れていて聞くのが辛かったけれど、とにかく頑張って最後まで聞いた。
自分の話し方や声をこんなにしっかり聞いたのは初めてだった。
セッション中、MOTOKOさんに私の持つ性質を三点伝えて頂いたのだけど(そのどれもに自覚がある)、その性質により会話でのコミュニケーションが不得意だからこそ、発する言葉にもっと意識的になって気をつけなければいけないなと思った。そして、どんなに気を付けても残念ながら気を付けきれないのだから、私は音声配信は決してしないし、こうして文章を書いているのだなと思った。
振り返ると、幼い頃から溢れる気持ちを、物語を、手紙を、言葉を、文章に書いて表すことが好きだった。好きというか、書かずにはいられなかった。自分の頭から声が抜けて楽になるから。それを昔も今もただ続けている。誰に頼まれるでもなく仕事でもないことを、人生のどの場面でも黙々と続けてきた。何一つ続かない私が唯一続けてきたことが書くことだった。
録音の最後の方でMOTOKOさんに言っていただいた一部を端的に意訳すると「私が私であろうとすると現代人の99.9%には理解されないから説明とか分かって欲しいとか諦めるしかないっしょ( ◠‿◠ )」ということだったので、昨日からモヤモヤとしていた悩みが無くなった。
全人類の0.01%、40人に向けて心を開いて書いてみたら、今じゃなくてもいつか何かが届くかもしれない。タイムカプセルか、瓶の中の手紙か、そんな感じで。
ここまで書いてこの間子供が読んでいた漂流教室のラストを思い出した。
私が24歳で初めてパニック発作を起こしたのは井の頭線内で梅図かずおの「漂流教室」を読んでいたときだったのでトラウマすぎて再読できないが、読み終えた子供も相当怖かったらしい。
話が飛んだけど、漂流教室、思いは時空も超えるということで、愛は光より速いってことで、とにかくこれからはまだ見ぬバーチャル40人に向けて心を開いて書いてみる。
この「心を開いて」というのが今の私のとても大きな引っ掛かりであり、灯台のあかりのように遠くではっきりと光っている。でも心を開くってなに?

(つづく)











より良い表現ができるように励みます。ありがとうございます🌷