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8bit


昔付き合っていた人に「チャミの頭は8ビット」と言われたことがある。ゲームが好きな人だった。初代ファミコンのドット絵が可愛くて好きだったので嬉しかったし、好きな人に言われたから更に嬉しかった。
長く付き合った末の最後の電話で「俺は我慢しすぎた」と言われたことにものすごくショックを受けて自分に心底絶望したわたしは一番の喜びだった「楽しい」や「表現」や「自由」を封印した。今だったらえ?それなんかずるくない?とか言えるかもしれないけど、当時は若かったし、なによりとにかく好きだったから打ちのめされた。人生で初めて心の底から笑わせてくれた人だったので、彼がいなくなった世界は太陽が消えたみたいに真っ暗だった。その暗闇の中に私は自分を閉じ込めた。そうやって心を殺すことでギリギリで自分をこの世に繋ぎ止めた。

どこに行くあても一緒に行きたい人もいなくて、でも一人で居たくなくて、その頃よく通っていたライブハウスのカウンターでビールを飲んでいた。今となってはどんな流れでそんなことを話したのか全く覚えていないのだけど、時々他愛もない話をする程度の知り合いだったものすごく大きなアメリカ人バンドマンで髭がもじゃもじゃのミックに「わたしはいつか自分は気が狂うんじゃないかと本気で思っていて、それがものすごく怖いんだ」と話した。するとミックはこれまで見たことのないような真顔でハッキリと「チャミは狂わないよ。大丈夫。チャミはきっといつか何かのプロになるよ。」と言った。私はびっくりして泣きそうになったけどそれを気付かれるのが恥ずかしくて「何かのプロってなに〜!」と大きな声で誤魔化し笑いをした。ひどくなっていたパニック障害と発作による死への恐怖や不安、絶望が、そのひとことで確かにふっと軽くなった。すっかり忘れていた未来というものが一瞬、キラッと光ったのを見た気がした。それは本当に一瞬だったけど、その時の私が生き延びるには充分な希望のカケラだった。あの瞬間のカケラのきらめきのことは、今でもはっきりと覚えている。

ささやかな、本人からしたら何気ないたったひとことがその人の一生を救うことがある。ミックが私にしてくれたみたいに。そしてことばには逆の力もある。生きてきたなかで何度もことばに殺されそうになった。でもそれよりももっとたくさんことばに救われてきた。だからわたしはことばに感謝している。

障害物が無い方が音がより遠くに響くように、私の頭の中が空っぽな方がことばが遠くまで響くのならば、8ビット単純な頭でほんとうによかったなと思う。





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