星に願いを
昔からの望みはたったひとつ、高村光太郎と智恵子とか、アラーキーと陽子とか、あんな唯一無二で「愛し愛されて生きる」ということだけだったから、それが叶わないとなったときにじゃあなんのために生まれてきたんだろうと絶望して、もう疲れたしやり直したいなと思って、そのときに最後ってことで勇気とお金を振り絞って沖縄にリトリートに行ったら友だちが出来たり書くことを思い出させてもらい楽しい!となって、もうそれでいいと思ってた。だからたったひとつの望みは無かったことにして沈めて、愛し愛されるって子どもにと、あと自分自身にでいいと思って、だけど本当は人の恋愛やら夫婦の話とか見聞きするのは胸が詰まって苦しいけれどそれごとグッと飲み込んで、そんなこと思ったって仕方ないしな、ノンバイナリーって言われてるしなって、さっさとずっと1人ってことに覚悟を決めてしまおうって決めて閉じて、特にリアルとか対面とかでは見えない触手みたいなもので相手と交流しないようにグッと身を固めて声を殺してやっとここまでその城壁を作り上げてきて、もう大丈夫かなというこの歳で女性性とかパートナーの問題とかに「はいここ改善点ですので取り組みましょう!」ってゴリゴリのアンダーラインされたらそれはもう全部崩れ落ちてとりあえず泣く。とりあえず泣くしかない。積年の悲しみや淋しさが涙になってどんどん出てくる。これは私の誰にも言いたくなかった恥の部分。あと自分の見た目とか年齢、繊細さ、がさつさ、女性らしくないこと、離婚とか、恋愛がひとつもうまくいかなかったこと、愛されなかったこと、大切にできなかったこと、全部みっともないと思ってたこと。これは誰にも言いたくなかった惨めな部分。
でも自分でドアノックしてこうなったのだから、ならばちゃんと泣いて期待と後悔ごと流したらその分スペースを開ける。もしも願いが叶うなら、300回分の孤独を知る人とやぁと出会って、1000年分一緒に遊びたい。そんな話はもちろん覚えてないからしないけど、でもふと通り過ぎた風の匂いや暮れていく夕日や花の何気なく咲く姿を懐かしく「あぁ」ってこころの中でふっと思い出せる人と会えたらいいなと思う。で、もしやっぱり今生地球では会えなかったら「次は301回目かぁ」って笑ってたぶんちょっと泣く。でも投げ出さないでやるべきことを今真剣にやろう。そのほうが面白いから。深刻にならずに清々しく存分に生ききろう。私はもうわざわざ苦しみや孤独ではなくて楽しみと喜びに生きたいのだ。崇高な願いというわけではなく、誤解を恐れずに言ってしまうと、「わたし」は苦しみにも孤独にも、本当はとっくに飽きているのだ。