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続・縁というもの



上のnoteを書きながら、みんな地球人なんだな、大差ないのだなと思っていたときに頭の中を流れていたのは、動物の名前を羅列して"愛をください"とサビで歌う歌だった。ちゃんと聴いたことはないけれど当時流行っていたのでよく耳にしていた。この曲が好きな人には申し訳ないのだけれど、すごく恥ずかしくていたたまれなくなるので聴くのを避けていた。
でも、みんな同じなんだなと思っているときに浮かんだのだから、結局誰であれなんであれ、老若男女老いも若きも自称宇宙人も、人間はみんな愛されたいんだなとわたしは思ったのだろう。
当時の私が恥ずかしくてこの歌を避けたのも、どこの誰よりも本当は「愛をくださーい!」と心底望んでいたからだったのだと思う。その時はそれを認めることすらできなかった。だから歌をダサくてかっこ悪いことにした。そうすることで自分の本心を見なくてすむから。
そのほうがよほどダサくてかっこ悪いと今なら思うけれど、それほどまでに当時の私の愛されたさや寂しさは切実だったのだし、強がることでしか自分を保てなかったのだから、過去に戻れるなら今すぐ行って幼い自分を抱きしめて、よく頑張ったねと褒め称えてあげたい。
今でも愛されたさや寂しさは基本昔と変わらないけど、それを認められるようになったので、歌に対しても「あーそうだよね、愛をくださいだよね」と普通に思えるようになった。


色々あるけど、人類皆愛されたい、一人残らず、イコール、人類皆愛したい、のだと思う。
この世界に起きる人間の問題はどんなに関係ないように見えても全てが愛の課題に行き着くのだと思う。それはすべての人がお母さんから生まれてきたことと大きく関係があったり、肉体を持つ前の感覚を無意識で覚えているからだったりと色々あるのだろうけど、人間になって地球にやってくるというのは全員ここで愛の体験をしにきているからなのだろう。良いとされることでも、酷いとされることでも。

あんまり愛とかばかり書いているのもあれなので恋について少しだけ書くと、恋というのもやっぱりすごく不思議というか、何がどうなって好きになるのかとか、不思議だなと思う。でも長年付き合った人にふられて地の底まだ落ちている時に一番すっと納得できた慰めのことばは「その人とは縁が無かったんだね」、だった。
縁。
そう言われたとき、ああ、そうか、なんだかよく分からないけど縁が無かったんじゃ仕方ないか、と思った。悲しみの余り相手を責めたり自分を責めたり、大荒れに荒れてすさんだ心がとてもフラットに凪いだ感覚を今でも覚えている。
だからと言ってそれで全てが納得できるわけでは当然ないのだけど、それでも受け入れるしかない大きな力が縁となって巡っている。わたしたちはその中を魚みたいにゆったりと海遊しながら、人生をすすむ。愛も恋もこころが震えて揺れるから素晴らしい。水の波紋のように。生きてるっていうのはとにかく揺らぎ続ける、振動し続けるってことなんだと思う。だから出来るだけ、こころも体も柔らかくして、いつでも波に乗れるようにしていたい。一人であっても、二人でも。








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