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長生きしたい

成虫になる前のさなぎの中ってドロドロなんだよと子供に教えてもらったとき、え〜!すごい!どういうこと!?と大騒ぎしたのだけど、今わたしはそのドロドロをリアルに感じている。混沌としている。ここ数日で静かにぎゅっと詰まっていた自分の中の何かが一気に動き出して混沌としている。

最近はとにかく頭が回らなくて困っていた。先のことが考えられず予定が立てられない。昨日あたりからやっと先の、と言っても来月くらいの予定が少しづつ立てられるようになってきた。と同時に私は蛹のようになっている。変体するわけじゃないし生まれ変わったり覚醒もしない。ただ私の思考がもう役に立たないのだということだけはなんだか分かる。私の場合思考は不安しか生まないと私の中の少年か少女が言った。先のことを考えることはイコール不安を生み出すだけで、不安は無駄を生み出すだけで、お金もそれで失ってるから考えるな感じろ、ということらしい。
「とにかく良くも悪くも君は今にしか生きられないのだから無駄なことはやめろ、人生はしっかりプログラミングされてるのだから。まだそこを楽しみたいのは自由だけどプログラムとしてもう思考して紆余曲折して負を楽しみ尽くすターンは終わったのだから切り替えないと死ぬまでに正のターンが終わらないぞ、巻け巻け、巻いていけ」ということらしい。それは困る。とりあえず長生きしたい。

たとえば凪いだ水面に風が吹いて、波紋がどこまでも広がっていくのをいつまでも見ている。小石を投げ入れるとどこまでもたくさんの波紋を作っていく。書くことはそれに似ている。ずっと見ていたいし、書いていたい。そのために長生きしたい。

書くことは砂場から砂の城を掘り出す作業にも似ている。そんなことは一度もしたことはないが書くことを脳内で視覚化するとその様子がしっくりくる。
私は砂場で砂を掘る。砂の中からなんだか分からないかたまりを探り当てて、壊さないようにそっと掬い上げて、余計な砂を払って、だんだんと城の形を露わにしていく。外からはよく分からないドロドロが形になって殻を破って出てくると美しい蝶になっているように。砂を払い、城を掘り起こす。でも気付けばそれは砂ではなく、城でもない。そしてそこは砂場ではなく、私を覆う殻も無い。バラバラと肉体は解体され、言葉だけが残る。私はそれを読み、また砂場で城を掘る。私にはもっと掘りたい城がある。だからとにかく長生きしたい。使える目と手とはっきりした頭で。

むかし中学校の卒業文集の将来の夢のところに「大往生」と書いて先生に笑われたけど、そうかそうかこういうことだったのかと改めて思う。
しっかりやるのでかみさまご先祖さま、どうかよろしくお願いします。



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