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s.u.n.d.a.y.s. #6


トン、トン、トン。
小さな木造の家の白い扉をそっと叩く。
表札には「片岡せつ子」と書いてある。
せつ子さん。

こういうことは本当はすごく苦手だ。
知らない人も、未知の場所も、予定や約束も。
やりたかったことが、やらなければならないことに変わってしまったとたんに感じる重み。昨日まで楽しかったことが今日は面倒になってしまう虚しさ。
子どもたちのことが好きなのは、いっしょにいると、自由に息が出来るから。
子どもには今の瞬間しかない。ごまかしが全く効かない。
常に真剣勝負なやりとりが大変なときもあるけれど、シンプルで居心地が良い。
子どもの頃、熱で寝込みながら、このずっとずっと先に「死ぬ」というものがあるのだと感じていたみどりちゃんは、いつもリアルな「その先の死」と繋がっていた。
大人は人は死をないことにして、つかのま世界をぼんやりとさせる。
でも子どもたちはちがう。みどりちゃんを今、見る。手を繋ぐ。笑ったり泣いたりを先送りにしない。何ひとつ無かったことにしない。
子どもたちとみどりちゃんのくるくる変化する動きや感情は、自由な水のようだった。
それは満ち引きを繰り返す海のようでもあったし、広がりながら流れるメロディのようでもあった。
頭の中がしーんと静かになったときにだけ聞こえてくる内側の静かな響き、それが外側の響きと共鳴し合う時、世界そのものがひとつの音楽のようになる。
自分が消えると同時にすべてが自分になるその瞬間が、みどりちゃんは好きだった。
雨の中、川を見ながら、傘をさして一人ポツンと立っていたせつ子さんの後ろ姿を見たときも、みどりちゃんには音楽が聴こえた気がした。
そのとき川と雨とせつ子さんとみどりちゃんは全部ばらばらのつぶつぶになって、細かく細かく振動しながら、ぼんやりと光って存在していた。
せつ子さんに突然お茶に誘われたときはびっくりしたし、知らない人だし、断ろうとしたのだけれど、みどりちゃんはもう一度、あの音楽が聴きたかった。なんだか、どうしても、聴きたかった。

トン、トン、トン。
叩いた扉の向こうからせつ子さんの落ち着いた声が聞こえる。
「いらっしゃい。」
カチリと音がして、ゆっくりと扉が開かれる。
みどりちゃんは、小さく頷く。





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