マガジンのカバー画像

日本を創った偉人

9
日本を創った偉人達のあまり知られてない偉業をまとめたマガジン
運営しているクリエイター

#日本

俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた(最終回)

前回の続きです。 持統天皇が「内憂外患」で窮地にあった日本を救うために行った政策は次の2つのキーワードに集約されます。 前回の記事は「1.創業垂統」を紹介しました。最終回は「2.継体守文」を紹介します。 「継体守文」は、リーダーとして自分がいなくなった後でも組織が末永く存続していくためのヒントが詰まった考え方です。ここでいう組織とは「国家」とか「会社」とかスケールが大きなものだけではありません。「コミュニティ」や「サークル」など、どんな組織にも当てはまる話です。 組織

俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた③

前回の続きです。 前回は持統天皇が「内憂外患」で窮地の日本を救うために行った政策は突き詰めれば以下の2つのキーワードに集約されるっていう話でした。 今回は「創業垂統」の内容を明らかにし、持統天皇の超したたかな戦略を紹介します。 戦略その1:日本の「伝統」を明らかにする唐帝国の脅威から日本を守るために持統天皇がやったことは「軍事力の強化」でもなく「経済の強化」でもありません。 それはなんと「我が国の伝統を明らかにすること」でした。 普通に考えたら って気がしませんか

俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた②

暑い日が続きますね🥵 我が家は購入10年目にしてリビングのエアコンが壊れました。かれこれ3週間ほどエアコンなしで過ごしております…。幸い、寝室やこの記事を書いている部屋のエアコンは問題ないので何とかなっていますが😅早く工事に来てほしい・・・。 さて、こちらは本名『うののさらら』こと第41代天皇・持統天皇の偉業を紹介する記事です。 持統天皇は日本人なら誰でも知っている聖徳太子や徳川家康などの偉人に負けないくらい大きな功績を残したのですが、あまり知名度がなく「百人一首に歌を

俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた①

女帝【じょてい】 と聞いて、どんな人物が思い浮かびますか? クレオパトラ(古代エジプト) 則天武后(唐代の中国) エリザベス1世(16世紀イギリス) エカチェリーナ2世(18世紀ロシア) マーガレット・サッチャー(20世紀イギリス) メルケル(21世紀ドイツ) etc… 歴史上、強大な国家権力を掌握し、それを行使して歴史的な実績を残した女性はのちに女帝と呼ばれたりします。 ところで、私達が女帝と聞いてイメージする女性って、多くは西洋人ではないでしょうか?

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた①

白状します。 ワタクシ、まったく見誤っておりました。あの偉大なパイセンのことを。 誰のことかって?🤔 厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと聖徳太子パイセンのことです。 何を見誤っていたのか学生時代、日本史を全力でスルーしていた私にとって、正直「聖徳太子」と言われましても ぐらいの認識でした。 「冠位十二階」とか「十七条の憲法」を作ったことぐらいはさすがに覚えてますけどね。第一条の「和を以て貴しと為す」は色んな場面で言及されますし。そんな感じで、旧一万円札の顔になる程度

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた④

前回の続きです。 これまでの内容を簡単におさらいしますと、聖徳太子が推古天皇の摂政に就いた時代(7世紀)の日本はこんな内憂外患を抱えていました👇 この難局を太子パイセンがどのような施策で乗り切ったのか、そしてそこから現代に活かせる教訓はなにか。個人的には政治家だけでなく、全ての日本人が知っておくべき大偉業だと私は思っています。 今日は「外患」に対して太子パイセンがとったオペレーションを紹介します。 聖徳太子パイセンの国家構想日本の外患を取り除くために太子パイセンは数々

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた⑤(最終回)

「問題だらけの日本を立て直した聖徳太子(太子パイセン)の偉業を紹介する」シリーズもいよいよ最終回です。 おさらいすると、太子パイセンが推古天皇の摂政に就いた当時、日本はこんな難局に直面していました👇 前回は2)について紹介しました。今回は1) つまり「内憂」をどのように立て直したかを紹介します。 聖徳太子パイセンの内政立て直し構想日本の内憂を取り除くため太子パイセンは数々の施策をやりましたが、各施策の背後に一つの通底した構想がありました。その構想を一言で表すとしたら、こ