セルフネグレクト

親は教師です。
子は親の鏡です。

親は、正しく教えることもあるし、間違いを教えることもある。

「親を反面教師として生きて来ました」

その言葉、その視点に潜む危うさについてお伝えしたいと思います。

 ・・・

「親にされて辛かったことを、我が子にはしないようにしています」

これは反面教師の代表的なセリフです。
よく聞くし、わたしも何度も自分の中で繰り返し唱えていました。

「自分がされてイヤなことは、人にしてはいけません。」

これは一見、正しい教えのように思えます。
でも、真ではありません。

「何がイヤで何が嬉しいかは、人によります」

この視点の違いを知っているかどうかで、自分や人との関係性が変わってきます。

「自分がされて嬉しかったことは人にもして、イヤだったことは人にもしない」

これはとても自分勝手な、エゴの視点なんです。

あなたが思ったことは「あなたの主観」であって、他の人もそうだとは限らない。この人はどうかな?どんな感じ方をするのかな?その関心や想像が抜け落ちています。

あなたが嬉しいことでも、誰かにとっては「傷口に塩を塗りたくられる」行為となる可能性もあるということです。

ここに、親が絡むともう1つ複雑になります。

「親にされてイヤだったことを、子どもにはしない。親を反面教師にして、自分は子育てをちゃんとするんだ。」

ここで、大きな「偏り」と「ねじれ」が起きています。

親との関係性で生まれた痛みは、あなただけのもので、あなたにしか癒せません。
子どもが同じことをされて痛みを感じるかどうかは、まったく別のハナシです。
親を反面教師とするなら、正面教師も採用しないとヘンなことになっていきますよね。

「自分はちゃんと育てられなかった」と、自己否定をしながら、
自分勝手な主観の偏った観念を強い信念として子育ての柱に打ち立て、
親の行いを否定し続けながら、我が子を(どこか無理して)肯定し続ける。

3世代に渡って親子関係がこんがらがっていきます。

・・ケース①・・

何不自由ない暮らしだったけれど、親が厳しくて、イヤイヤ勉強させられていた。
だから、子どもには伸び伸びと自由に育ってほしい。

そう願って、子ども”だけ”を尊重し続けて自己中心的な性格へ向かわせ、自分が振り回されて疲れていく。

こんなつもりじゃなかったのに。
やっぱり自分はちゃんと育てられてないから、子育てが上手くできないんだ。
親のせいだ。愛してくれなかった親のせいだ。

・・ケース②・・

自分はほったらかしにされて育って寂しかった。
我が子にはぜったいに寂しい思いはさせない。

その信念を大切に、子どもにぴったりくっついて、あれもこれもしてあげて溺愛をする。
子どもはいつまでたっても「できない」ままで、いつまでたっても親を頼らないと何もできない。
親をアゴで使うことが当たり前のように、ふんぞり返っていることすらある。

トラブルが起きても自分では対処できず、親のせいにして怒ってくる。
自分の機嫌を自分で取ることすらできず、親が自分の機嫌を直すまで不機嫌をまき散らす。

何でこんなことになってしまったんだろう。
親が自分をちゃんと育ててくれなかったから。
自分が子育てをうまくできないのは、教えてくれなかった親のせいだ。

 ・・・

こういったケースでは、自分の感情や自分のしんどさにばかり意識が向いています。
その感情は、認められたい、必要とされたい、愛されたいという欲求や、自己の否定から来ているのではないでしょうか。

自分が昔に感じたネガティブ感情に注目し続け、いつまでもその感情に縛られ、それを親や環境のせいにし続けています。

そして子どもがどう感じているか?この子はどんな特性を持ち、どんな表現で自分を顕しているのか?
そんな、目の前に生きている我が子を見ようとせず、自分の感情ばかり見ています。

親の行いを軸にして自分の軸を持っていないから、いつまでも親という存在に自分を支配させ、いつまでたっても大人にならない。
自分の運転席に座らずに親に運転させておいて、目的地に着かないと文句を言い続けている。


あなたはいつ、あなたを認めるんでしょうか?
いつ、自分の軸で生き始めるんでしょうか?

あなたはいつ、親離れするんでしょうか?
あなたはいつ、自立するんでしょうか?

そしていつになったら、子どもに自分の人生を歩ませるんでしょうか?

「親にされてイヤだったことを我が子にはしない」

自分のことは後回しにし、我が子を優先させているのは、自分より親を優先させているということです。

「あなたの本音に耳を傾け、あなたの気持ちを受け止め、あなたを認め励まし、あなたを抱きしめて大好きと伝えてくれる」

本当にしてほしかったことは、そんなことじゃなかったでしょうか?
本当にしてもらいたかったことを、あなた自身があなたにする。

我が子にし続けていても、あなたがされていることにはなりません。
誰かに求め続けていても、心から満たされることはありません。


セルフネグレクト→自分自身に必要なケアをしないこと。自分を蔑ろにすること。自分をほったらかしにすること。

ここを無視したまま何かのメソッドを取り入れてみても、しんどさは解消されていきません。


自分の生い立ちを綴っている記事では、意図的に、当時自分が感じていたネガティブ感情ばかりを取り上げて綴りました。

  →幼少期① 
  →幼少期② 
  →ネグレクト 

子どもの自分が見ていた視点から出来事を描写し、その時に感じた感情だけを書きました。
母の視点からだとどんなだったでしょうか?
兄の視点から、妹の視点から。

関わった人の数だけ視点があり、思いがあり、無数の感情が起きては消えていきます。

私の視点からでも、ポジティブな感情ばかり抽出して書いたら、また違った印象の文章になります。

大人になった今の私の視点からだとどうでしょうか?
それなら、母への感謝、許し、母の立場や視点を自分なりに慮った書き方をして、今の私が感じている愛や豊かさは、母の愛のお陰でもあることを綴りたいなぁと思います。

きっと読む人は、また違った感情になるでしょう。

外側にあるものに触れて、内側にある感情にリンクします。
感情が記憶を引き出し、今の自分を「今ここ」から消し去ります。

過去は過去であり、幾通りにも書き換えていけるもの。
どうか、あなたの過去の出来事の、あなたが感じた感情に留まり続けないでください。


本当にしてほしかったことは、どんなことですか?

それを、「あなた自身」にしてあげてください。


よろしければサポートをお願いいたします。頂いた愛を、子ども達の笑顔に繋げます!