聖峰!!吹奏楽!!

「お前も女の子と仲良くしたいんだろ?知ってんだよ。入るべ。」

まだ雪解けの進まない極北の大地の春。試される大地と言われた島のほぼ中心で生まれ育った僕は、生まれた場所にちなんでまだ内向的なひよこちゃんであった。

その日僕の肩にのる掌から生えた指は、ドイツ産の豚の腸詰を思わせた。極太である。背丈は大きく、さらに威圧感から3メートル、バンド名で言うと10feetくらいに感じられた。彼は僕の内向的な性格を見抜き、最も的確な謳い文句で私を勧誘する。

「女ばっかりだぞ?9割女だ。」

圧倒的な言葉には最早付け入る隙もなく、

「お前なら彼女もすぐできるぞ」

根拠の無い言葉は、肩を掴む力の強さで補い、

「入るでし「はい!!」ょ?」

私はその場で吹奏楽の門を嬉々として180コンボすることを決めたのである。

僕の吹奏楽人生はその後7年で息を引き取るのだが、スタートは奇しくも人間の誕生と同じ理由「性」によるものであった。

「性」とは偉大である。主に男にとって。大きな一歩は常に「性」に後押しされてきたと常々思う。パソコンに詳しいのも、歌が上手くなったのも女性と話せるようになったのも常に「性」が後押しをするからであった。

この部活で一生の友達、親友、ずっとも、マイメン、ブラザーとも言えるが、そんな彼と仲良くなったのも「性」が理由である。

彼との会話はほとんどが「性」であり、今なお遠く離れた地に住む彼と話す内容は「性」である。

部内で特に学生らしからぬ行動(「性」)はなかったが、濃密な蜂蜜の如く拭いきれない思い出に溢れており、H2Oも真っ青であった。ふるいアルバムも最早毎日見てるので新しいアルバムよりも記憶は新しいものになっている。最早アルバムというより過去にしがみつく為の取手くらいの存在感である。取手を取ってと言われたらノータイムでスルーパスできるほどのロナウジーニョなのである。

そんな性豪ロナウジーニョの話は置いておくが、思い出として一つ書くのであれば、マウンテンに関するものであろう。

マイメンのがんじ君(仮名)と僕は1人の部員をマウンテンデューと呼んでいたわけで、それはもう最低な人間であることをここに懺悔したい。がんじ君は僕にいつも「クルーニー(仮名)今日もマウンテンデューだわ。」「マウンテンデューだ。いいねぇ。」と言っていた。

彼の目には、控えめに言っておっぱいであるクルーニーのおっぱいしか映っておらず、おっぱいをマウンテンデューと言っているようだった。

文法的にかなりおかしく、「クルーニー今日もおっぱいだ」の意味になってしまう為、理解に苦しむが、どんなに部活に熱心なサッカー部の彼もそうだったので仕方ないと思って読んで欲しい。

私は「なぜマウンテンデューなのか」とかんじ君に聞くと「美味しそうだから」と彼は言ったのである。

晴天の霹靂である。母の脇から生まれた釈迦も発想の奇天烈さにはほとほと呆れているので、天竺には連れて来ないでと三蔵法師に言うのではなかろうかと思わされた。

ぐうの音も出ないほどの正論を叩き込まれ、生まれくる恵まれない子供たちに聞かせたい言葉オブザイヤー受賞はほぼ確実と自信を持って言える。

そんな気分であった。

そんな2つのマウンテンを聖峰と称え、その後本人にマウンテンデューと言い続けたのはいい思い出だったと言えるであろう。

そのなだらかで、時に鋭く月を突き刺したあのDカップは忘れることの無い永遠のマスターピースとして、今なおワンピースの最大の伏線、Dの一族と形を変え、姿を隠しながら我々を楽しませてくれているわけである。

感謝するのはその包み込むブラジャーではなく、金銀財宝とも形容すべき豊かな膨らみに、マウンテンデューという付加価値を与えたあの「性なる春の一刻」、性春になのである。

しかしあの煌めき、部活の思い出を振り返り、元カノに想いを馳せることはきっと間違いでは無いのだと、いっそ刺青として身体に刻み込みたいと思うわけであります。

#部活の思い出

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