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桜桃の味

人が本気で死を選ぼうとするとき、それを引き止めるに足りる言葉なんて一つもない

「もう一度美しい景色を見たくないか?」とか「悩みは必ず解決する」なんて当たり前になんの意味も為さないしそんな言葉に説得されるくらいならそもそも死のうとなんてしない

だけどたった一粒の桑の実で気が変わることはある

「救われる」とかじゃなくて「気が変わる」
その程度のことだ

「首を吊ろうとして木にロープをかけたがそこから落ちてきた桑の実を口に入れてみたら甘くて、気づいたら死ぬことを忘れていた」

作中の老人はそんな過去を語る

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。(中略)これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治「葉」

この一節とも重なるが、彼はけっきょくその後無理心中を果たしたし、死を先のばしにしたに過ぎない

生きることと死ぬことの境界線は限りなく薄く、ときに簡単に飛び越えられてしまう

桑の実も着物も「救い」なんて大それたものではないけれど生きる意味ってきっとそんなものだと思うし、とりあえず生きていくための目先の理由を積み重ねていくことが人生なんじゃないかと思う

私が今までで一番絶望に近かったころ
投げやりな気持ちで缶チューハイをあおりながら夜道を歩いていたのだが、
最後の一滴を飲み干し天を仰いだら満天の星が広がっていて、それを見た瞬間に私は生きようと思った

その時の感情と光景は私の心の中にずっと残っていて、人生論と言えるほど大したものではないがわたしの中の一つの指針になっている気がする

「それでも生きていく」が私の人生のテーマであり、そういう精神性を根底に感じる映画が好きだ

この世界にわずかな希望も見いだせなくなったとき、映画を見て心を動かす余裕などないだろうが、人生の転換期にまた見たいと感じる作品だった

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