人を見たら泥棒と思え

冬の晴れた日っていいよね、好きだな

冷たくて澄んだ空気にまっすぐ届く日差し

肺の奥までひんやりする感覚が水風呂に入った時と少し似てる

季節に趣を感じる感性はいっちょまえにあっても人とはうまく関われないし、やるべきことはなんにもできない今日この頃

こんなに人生をがんばれないのは脳みそに欠陥があるに違いないとか言い訳して

ポエムなんかつづってないではやく仕事しなよって自分に言い続けて

今年の目標は不言実行、口癖の~したいをやめてしたいと思ったらできるだけすぐに行動するように

ちょっとずつ行動に移せてるような気はするけど、どうにもこうにも酒を飲んだりインターネットを眺めたり、恋だの愛だの形の無いものにこだわったり、脳ミソが死んでてもできるようなことばかりして時間が過ぎる

やる気が起こらないし何も考えたくないし、けっきょく酒を飲んでるときほど楽しい気分になることがない

みんなちゃんと好きなものがあっていいな、と思う

音楽も本も映画も、空っぽの自分をなんとなく満たした気になるためにやってるだけで周りを見るたび好きの熱量の無さに落ち込む

嫌いなもののことばかり考えては無駄なエネルギーを消費する

それが愛の裏返しなわけない

全部大好きなんて嘘ばっかり、そうじゃないから言ってるだけ

このまますっかすかで死んでいくんじゃないかって恐怖に襲われる毎日

人の文章を見ては才能の無いことに落ち込んで、あ~明日起きたら芥川賞作家になってないかな~とか、風邪ひいて熱を出すたびに治ったら突然変異的に天才になってないかな~とか考える

でもだいたいそんなことはごはん食べてお風呂入って寝て起きたら忘れてる

こんな自分でもいいかなと思える日とこんな自分が生きてて申し訳ないと思う日を繰り返しながら


人を見たら泥棒と思え、的なことを自分はよく言われる

小さい時は優しいねとか人に騙されないようにねとかやわらかい言葉をかけてもらえたけど、あんたはお人好しなだけで優しいわけじゃないとか人に期待しすぎとか口先だけだとか言われることも多くなった

そしてそれは26年間自分と人生を共にしてきた私が一番知ってる

苦しくなる

私が人に「優しく」するのはいろんなマイナスを帳消しにするための逃げでしかない

社会や他人に対して利益を生み出すことも表現で感動を与えることもができないから、そうすることでしか生きていていいんだと思えない

というか、だから許してね、という甘え

嫌われたくないから誰のことも傷つけないようにするけど中途半端なやさしさは何の意味も持たない

精神的に不安定な友達と連絡が一切つかなくなったとき、死んでしまったらどうしようと不安に襲われていろんな人に聞いて回ったりした

一人には自分は彼の人生まで責任はとれないと言われ、一人にはじゃあその人の面倒一生見る覚悟あるの?と言われた

みんな現実を見ていて圧倒的に正しい

そういうことがあるたびに自分の中の気持ち悪さと向き合って自己否定が止まらない

同情ほど最悪なものはないのに、意識の底には気持ちよくなっている自分がいるんじゃないかとか、罪悪感を消すためにやってるだけなんじゃないかとか思う

更生していじめられっ子に謝罪するいじめっ子とか、遺族に手紙を送る犯罪者とかと同じ感じで、自分だけすっきりしてるんじゃないの?みたいな

人生単位で贖罪してるようなそんな気分

やらない善よりやる偽善とかいうけどほんとにそう?

ほんとうの優しさっていったいなんなの?

私この話するの何回目だよってね

こうしてるうちにもやるべき仕事がどんどんたまっていくしこんなバカな人間どこにいるっていうんだ

どうせ死にたいなんて思わないし死にはしないんだからなんとか生きてくしかないんだよな、今日も明日も明後日も

外まっくらだし、昼ごはん食べるの忘れてたし、カップ麺食べたらちょっとやる気出して掃除機でもかけようかな













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?