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2016年リオ五輪のときに書いた日記

5年前の日記(2016年8月13日)に、「オリンピック雑感」と題したオマケの文章がついているのを見つけた。今読むと大変興味深い。そのまま転載してみる。

オリンピック雑感

リオデジャネイロオリンピック、「ほんとに開催できるのか?」なんて言われつつ、なんだかんだで開幕。
開会式を見る限り、ずいぶんよくやっているなあと思う。
恒例化している開会式のショー(?)では、自国の歴史の暗部である奴隷制まで出してきて、ちょっとびっくりした。
演出は映画監督フェルナンド・メイレレス氏(冒頭の写真の人。私と同じ1955年生まれ)だそうだ。ひとりの力というのはすごい。
メイレレス氏は当初、開会式が広島に原爆が投下された8月6日にあたることから、投下時間に合わせて会場で1分間の黙祷を捧げることを提案したが、IOCに却下されたそうだ。「特定の国家を特別扱いするような演出はまかりならん」ということだったらしい。
それでも、原爆投下に合わせて日本人移民を先祖に持つ日系人たちを登場させてアーティスティックな群舞を取り入れるという演出。

日本人がブラジルに渡っていった背景には、ブラジルでの奴隷制廃止(1888年=明治21年)と、日露戦争で日本がアメリカのユダヤ財閥に対して多額の借金をしたことがある。
奴隷制廃止でコーヒー農園などでの低賃金労働力が不足してきたブラジルは、当初、ヨーロッパからの移民を受け入れたが、まず、イタリア人移民が奴隷のような待遇の悪さに耐えかねて反乱をおこし、それによって移民が中断。
そこで、ブラジル政府は1892年に日本人移民の受入れを表明する。
イタリア人移民がひどい扱いを受けた事例を知っている日本政府は、当初、ブラジルへの日本人移民を躊躇ったという。しかし、当時、日本国内は日清戦争(1894-95)の勝利で欧米列強から危険視され、主な移民先であったアメリカでは日本人排斥運動が激化。1900年には日本政府がアメリカへの移民を制限したが、排斥運動はますます激化し、日露戦争(1904-05)後はさらに日本人移民排斥が激化。カナダやオーストラリアでも同様な排斥運動が起こり、日本人街が襲撃されるなどした。
日露戦争でさらに戦費がかさんだ日本は、国内外の債権発行、アメリカのユダヤ財閥などからの資金調達などで借金まみれになり、農村の困窮が深刻化する。
そこで、日本政府は、それまで慎重になっていたブラジルへの移民を積極的に推進。その際、彼の地ではバラ色の生活が待っているといったPRを展開した。
そんなこんなで、「皇国殖民会社」を介して第一次移民781人が家族単位でブラジルに渡ったのが1908年(明治41年)。
しかし、ブラジルに渡った日本人移民は、やはり奴隷並みの悪条件で苦しんだ。「話が違う」と気づいても、もう日本には戻れない。そこから始まる日系移民の苦難の歴史……。

そんな歴史を、奇しくもリオ五輪開会式で再確認させられたわけで、その意味でもすごい開会式だった。
さらには、入場する選手たちに200種類以上の樹木の種を持たせてポットに植えさせ、そこで育ったポット苗で、オリンピック閉会後には、競技会場の一部に「選手の森」を作るという趣向は、僕も同じことを実は考えていた。どうしても東京オリンピックをやるというなら、そういう演出が必要なんじゃないか……と。
新国立競技場問題の愚を反省し、私たちはこういう意識に立ち戻りました、と世界にアピールするくらいに方向転換できるなら、やってもいいんじゃないか……と。
それを、サラッと先にやられてしまった。
ブラジルは多民族国家だ。原住民がヨーロッパ人に征服され、アフリカからは奴隷として人狩りで多くの人が連行され、移民もたくさんいる。そんなブラジルが、南アメリカ大陸初のオリンピックで「他者を認め、争いをやめよう」「自然環境を守ろう」というメッセージを世界に発信している。
今のオリンピックは商業主義にまみれている。IOCが「開会式会場は8万人規模以上のものを」なんて条件をつけてくるし、開催期間や競技日程は莫大な放送権料を払ってくれるアメリカの放送会社の都合が最優先される。
そんな中で、同じ金をかけるなら、世界に向けて大切なことを伝えたいというメイレレス監督の強い意志が感じられた。
これだけの開会式を4年後の東京五輪でできるだろうかと思うとき、ほとんど絶望的になる。
2020年の東京五輪の開催を準備する組織として「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」という長い名前の組織の会長・森喜朗は、「コンパクトにやるには金がかかる」などと本末転倒なことを言っている。
新国立競技場問題、ロゴ問題などでとっくに辞任していなければならないだろうに、何の追及もされていない。

都知事選前の借金問題を追及されて辞任した猪瀬直樹「元」東京都知事は、オリンピック関連に森喜朗だけはつけさせたくなかったらしい。それで安倍首相側と衝突して都知事をおろされたのではないか、なんていう説まである。
どこまで本当か分からないが、こんなことなら猪瀬氏が今も都知事をやっていたほうがなんぼかマシだったのではないかなあ。
あの人、「嫌なやつ」かもしれないが、少なくとも舛添要一よりはずっと「仕事をしていた感」があるし、小池百合子よりは平和主義の良識派だと思うから。

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↑という内容だった。

5年経った2021年8月の今、この文章を書いたことはすっかり忘れていたが、このときからIOCや森喜朗がスポーツのあるべき姿をどんどんおかしくしていることは窺える内容が混じっている。猪瀬直樹への評価は5年たった今、グッと落ちたけれどね。



こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。