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今いちばん怖いのは「民主主義による全体主義化」社会だ

日光での生活は今のところ大きな変化はない。スーパーではいつものように買い物ができるし、店員さんたちも普通に働いているように見える。みんなかなり疲れている感じではあるけれど。
相変わらずレジにはビニールシートがぶら下がっていて、カード類は手渡しせずに自分でカードリーダーに入れる。全員があたりまえのようにマスクをしている。そういう生活がすっかり「普通」になってしまった。

ここまで来ると、「病気」で死ぬこと自体は仕方がないことだなと、一種の諦観に包まれる。
たとえ、その「病気」が、人為的にばらまかれたもの、計画的に仕組まれたものであっても、罹患して、自分の身体が抵抗しきれずに死ぬなら仕方がない。抵抗しようがない相手だから。
それよりはるかに怖いのは、自由が奪われることだ。
それも、今まで普通に、一緒に生きていた「人」たちによって。

今、世界中で、にわかには信じられないような狂信的全体主義が爆発している。
それも、中国やロシアのような共産圏の国だけではなく、民主主義を掲げている欧米諸国での全体主義化が、だ。

⇒ドイツではこう(このブログの後半部分)
⇒イタリアではこう
⇒オーストラリアではこう

他にもオランダ、カナダ、オーストリア、フランスなどは本当にひどいことになっているようだ。
なんだか、過去の戦争で国民全体がヒートアップした国々ほど変貌ぶりが極端な気がする。
そこから逃げるように日本に戻ってきた人たちが異口同音に「日本の社会が普通である」ことに驚いている。
そう、日本ではなんとか今のところは同調圧力や間違った正義感の暴走による全体主義的狂気が欧米諸国よりはかなりマシなのだ。
しかし、これがいつまで持つかは分からない。すでにほとんどの人が、自ら進んで打ってしまっているわけで、これが瞞された結果だと気づき始めたとき、社会がどうなるか……。
昨日まで笑顔で善良だった友人や隣人たちが変貌してしまうのではないか。
そんな状況の中で生きていくこと、そして死んでいくことがいちばん恐ろしい。
自由を奪われ、脅されて自己防衛も放棄させられて最後を迎えるくらいなら、修羅場を見る前に、見えない何者かの手に落ちて病死したほうがマシかもしれないとさえ思う。

今から間に合うのかどうか分からないけれど、なんとか正気を取り戻せないものかな、世の中が。

★「情報統制下の社会に生きる」が、そこそこ読まれているようなので、もう一度、今私が毎日チェックしている個人ブログをのせておきます。リンクは張りませんが、検索すればすぐに出てきます。

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こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。