海外の発信者たち
ワクウクのことはもう書くのはやめようと毎日思いつつ、やはり気になって調べているうちに、相当な時間を費やしていろんなものを見たり読んだりする羽目になる。
今日は↑これを見た。
イタリアの映像作家2人が2021年に発表した30分ほどの短編。
これも『ドンバス2016』同様、カナダモントリオール在住の映像作家Tom氏が英訳字幕を埋め込んでくれたおかげで、なんとか内容を把握できた。イタリア語だけだったらお手上げだものね。
英語字幕を再生しながら自動翻訳「日本語」にして字幕を日本語にしながら見るのだが、あちこち変な訳文になるので、その都度停めて、右側にリアルタイム表示させた英語字幕を読みながら見た。
↑こんな感じ。
YouTubeの字幕自動翻訳機能には「日本語」もあるのだが、直接これをやると滅茶苦茶な日本語が出てきて、半分以上は想像しながら見ることになる。でも、英訳字幕を埋め込んである動画だと、表示される日本語字幕が埋め込まれた英語字幕に対しての訳になるようで、かなりマシになる。
それでも???となる部分が出てくるので、右側に英語字幕を表示させながら見る。意味が通じない、あるいは不自然な日本語字幕が出てきて判断に迷ったら、その都度一時停止して、右側の英訳で内容を確認する。
こういう鑑賞方法だから、オリジナルの尺よりは時間がかかる。
それでも、英訳字幕を埋め込んでくれた人のおかげで、イタリアから発信されたものを理解することができるわけで、ボランティアで英訳作業をしている人たちには感謝しかない。
この映画の英訳作業をしてくれたのはTomと名乗るカナダ バンクーバー在住の映像作家。
彼は制作者に許諾を得てイタリア語、英語、スペイン語、ポルトガル語の字幕を挿入したものをプロモートしている。
彼がYouTubeにUPした翻訳埋め込みバージョンの説明の中の一節(英語)を意訳してみる。
この30分ほどの記録映画を制作したのはイタリアのLuca Belardi と Maya Nogradi という2人の映像作家だが、全編を抑えたトーンで、一種哲学的というかアート志向?にまとめている。
決してプロパガンダが前に出た作品ではない。
ドンバスの人たちと一緒に、「人間ってどうしようもない生き物だね」「世界って所詮はこんなものだったのか」「命とは何か、生きるとは何か、死とは何か」といった問いかけをしているように感じる。
そして、この作品にも犬たちが何度も映るのだが、アンヌ-ロール・ボネルの『ドンバス2016』と同じように、犬はすべてつながれておらず、住民の隣りに、それこそ「ソーシャルディスタンス」を守っているかのように自然な距離を保って共存している。
こんな風に犬が人間の暮らしにとけ込んでいる場所で暮らせたらいいだろうなと思う。
そんな町や村に白燐弾を降らせ、砲弾を撃ち込む連中がいて、そういう頭のおかしい連中を利用しようと養成する外部の、これまた頭のおかしい連中がいる。
そういう少数の狂人たちによって、世界は簡単に絶望に向かって動かされてしまう。
英訳を付けているTomと名乗る人物も、プロフィールを読むと映像作家らしい。
彼のWEBサイトにはコラム的な文章や大手メディアにのらない貴重な情報が並んでいるのだが、例えば⇒この文章の内容などは、あまりにも今の自分の考えと一致していて驚かされる。
いや、本当なら、こうした考え方が大多数を占めてもよさそうなものなのだが、今の世界はそうなっていない。
え? なんで? 嘘でしょ、と呆然とするようなことばかり連日見せられていると、自分と同じように思考する人がいたというだけで驚いてしまうのだ。そこまで精神的に追い詰められているんだねえ。
The first casualty of war is truth.
(戦争の最初の犠牲者は「真実」だ)
という彼の叫びは、まさに現代社会そのものを言い当てている。
アンヌ-ロール・ボネルはフランス人、Luca Belardi と Maya Nogradiはイタリア人、彼らの作品を英訳して紹介しているTomはカナダ人。
みんな一応「西側諸国」と呼ばれる「陣営」に住んでいる。もちろん私が住んでいる日本もそうだ。
「日本で流れるニュースがアメリカやフランス、ロシアや中国ではどのように伝えられているのか。現地のオンエアから最短で30分の時差で、日本語通訳付きで伝えます」(NHKによる紹介文)というNHKの『ワールドニュース』(NHK BS1)では、3月12日を最後に、ロシアTVのニュース報道が完全に消えていた。それまでは毎日放送していたみたいなのに。
ボネルはフランスのテレビショー(日本でいえば「そこまで言って委員会」みたいな番組)に呼ばれて、ゴリゴリの西側論理アジテーターみたいな人物と堂々と渡り合っているが、コロナや言論統制でただでさえ発信、表現の場を奪われているアーティストたちは、どんどん元気をなくしている。
そんな状況で困窮し、困惑しながらも、なんとか自分の言葉や表現方法で発信できる可能性を探し続ける人たちが世界中にいることを知るだけでも、ああ、自分ももう少しあがいてみるかな、という気持ちになる。
気持ちにはなるんだけど、身体がついてこないんだよね。
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。