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苦悩する姿を晒す人たちへの共感

『マイルド・サバイバー』が発売されて数日。なかなか初速が出ない。
ニッパチといって、2月、8月は本が売れない月だと言われているけれど、売れるというのは本当に難しいのね。

間違いなくいい本なんだけどねえ。

紀伊國屋書店 梅田本店さまのTwitterより

「すでに移住した人も必読」という感想は嬉しかった。
ただ、自分としては移住ガイドブックを書いたつもりではないのよね。小説のときと同じで、いちばん書きたかったことはちょこちょこ埋め込んでいるので、ストレートにはなかなか伝わらないのだと思う。

終章~あとがきのあたりに書いたことこそ、今の自分がいちばん書き残しておきたいこと……かなぁ。
例えば……

 そもそも私たち都会人は、なぜ田舎暮らしに理想を求めるのでしょう。
 人が多すぎる都会の息苦しさから逃れ、自然に触れながらゆったりとした時間が流れるような生活を求めるからこそ、田舎暮らしを始めようとするわけです。
 しかし、同じ考えを持つ都会人が増えてみんなが田舎に移住してきたら、たちまちそこは「都会」になってしまいます。
 つまり、ナチュラリスト的思想の裏には「少人数の世界」という前提が隠れているのです。
 これって、とんでもないエゴだと思いませんか?
 少人数だから成立する社会というのは、「グレート・リセット」という言葉の裏に隠されている超富豪支配者たちの身勝手な思想に共通するものさえ感じて、ドキッとします。
 田舎の地元民は、田舎暮らしを求めてやってくる都会人のそうしたエゴイズムを感覚的に見抜いています。そもそも、都会の生活を支えているのは自分たちが作る農作物であり、農閑期には出稼ぎに出て都会人のために提供する安い労働力であり、迷惑施設を受け入れて作られる原発の電気や産廃処分場でのゴミ処理だ。田舎の自然や労働力を散々利用してきた連中が「田舎の自然を満喫したい」だと? 身勝手な「いいとこ取り」もいい加減にしろ! ……と、言葉にこそしませんが、そうした意識を持っていると思うのです。

『マイルド・サバイバー』p.231 より


この問題提起は一種のタブーであって、正面切って書いたことは今まであまりなかったと思う。
自分の首を絞めるみたいなことだからねえ。

結局、売れるもの、受け入れられるものというのは、ドストレートな主張だったり表現だったりするのだろう。
それをいちばん知っているのはメディアや政治家かな。
悩みながら発信する人はウケない。
でも、苦悩する姿を晒す人たちにこそ共感を覚える。自分もそうだから。

ここ1年くらいずっと、医師たちのブログを毎日チェックして読んでいる。
長尾和宏荒川央いしいじんぺい中村篤史関根徹……。
みなさん、どんどん疲れてきているのが分かる。内ゲバとかルサンチマンとかもあって、やっかいだなあと思わされることもある。
その中でもいちばん冷静で、常に抑えた論調で、信頼性の高いデータや研究論文、自身の実験や分析を通してのみ見解を述べてきた荒川央博士が、珍しく自分の心情を率直に語っている。⇒こちら

私自身この騒動を通して世界の見方も大きく変わってしまいました。しかし、今まで見えていなかったものが見えてきただけなのかもしれません。
物事が上手くいっている間よりもむしろ逆境に立たされた時にこそ、その人間の本質が見えるのではないでしょうか。逆境の中でどうやって戦っているかに、その人となりが現れてくるように思います。
「アインシュタインの言葉から」 荒川央 note より)

荒川博士がここに至るまでの苦悩や葛藤は相当なものだっただろう。
初期の頃は様々な医師・研究者の言葉に傾き、そうだそうだ!と同調した私も、さすがに今は考えがだいぶ変わったし、当初信頼していた医師たちへの見方も変わった。
栃木県で有名になったあの医師や、PCRを叫んでいたあの医師らは、どんどんおかしくなっていってしまった。悪意を持っておかしくなったわけではないとは思う。意固地になり、疲労とストレスが溜まっておかしくなっていったのだろう。
人間って、難しいなぁと、つくづく思わされた。
でも、まさに「今まで見えていなかったものが見えてきただけ」なのだろうな。
見えてしまった結果、どうすればいいのか。

The world is a dangerous place, not because of those who do evil, but because of those who look on and do nothing. この世界は危険なところだ。悪事を働く者のせいではなく、それを見ながら何もしない人がいるためだ。(アルベルト・アインシュタイン)


翻って、今の自分はどうなんだろう。

私のようなマイルド・サバイバーは、なんとか無理をせずに、それなりの幸福感を得ながら生き抜きたいと考える、一種「ズルい」生き方をしています。
まずはそのことを自覚した上で、マイルド・サバイバーなりの礼儀や節度を身につけないといけない。地元の人たちとの摩擦をマイルドにすり合わせて、どちらにとっても幸福が得られるような適正値を見つける工夫が必要なのだと、私はこの歳になってようやく気がついている次第です。(『マイルド・サバイバー』p.232より)

そう。気がついているし、苦悩もしている。
でも、今の自分にできることはどんどん少なくなっていて、気力・体力も消えていくばかり。
できるのは、こうしてあがいている姿を晒すこと……くらいかなぁ?
エンターテインメントにはほど遠いけれど。

こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。